第6話 冒険者区
アステリア王国の首都ウルズの町。
そのウルズの町で西側に位置する一画が、冒険者区と呼ばれる場所だ。
昼間は多くの冒険者で賑わい仕事に勤しんでいる。
冒険者の仕事は周辺地域に出没した魔物の討伐や遺跡の調査、物品の運搬や薬草の採取、さらには町のドブさらいから迷い猫の捜索まで多岐に渡る。
老若男女問わずベテランからルーキーまで、冒険者の経歴も様々だ。
しかし夜になるとガラリと雰囲気は一変する。
建ち並ぶ酒場や娼館の明かりだけが灯り、ちょっと危険な香りを漂わせる。
冒険者区の風紀は冒険者ギルドが組織する自警団によって保たれ、本来町の秩序を守るはずの警察も暗黙の了解でほとんど関与することはない。
そんな夜の冒険者区に俺たちウルズ剣術学院の五年風竜クラスの六人は、好奇心から足を踏み入れることになった。
事の発端はロイドが警官から聞いた話だった。
昨晩、町に出没した闇夜の死竜を探す。
俺以外はみんな興味津々で深夜に集まったのだ。
俺はただ平穏な学院生活を送りたいんだけどなぁ、と常日頃から思っているのだが、そう簡単にはいかないらしい。
「ねぇ、アル。わたし冒険者区に来たの初めて」
「そうなのか? でもまあ、普通こんな場所に俺たち剣術学院の生徒は用事なんてないからな。それにしても、ここは相変わらずだな」
「もしかしてアルは来たことあるの?」
「いや、俺もほとんど初めてみたいなものだよ。何度か近くを通り過ぎたことがある程度だ」
「ふぅん、でもなんだか落ち着いてるのね。さすが男の子って感じがする」
セシリアは物珍しそうに辺りを見渡している。
知らない世界に少し不安を感じているのか、左手は所在なさげに俺の腕に触れていた。
俺は歩調を合わせながら隣を歩く。そして周りにおかしな様子はないかと神経を尖らせた。
周辺には数軒おきに酒場が並んでいる。
たいてい宿泊施設も兼ねていて、ウルズの町以外を拠点としている冒険者が寝泊まりしているのだ。
酒場と酒場の間に挟まれるように娼館も建っている。
客引きとおぼしき男が若い冒険者の青年に声をかけていた。
セシリアはそれが何を意味するのか疑問だったようで尋ねてきたが、俺たち子どもには関係ない大人の遊びだと誤魔化すと、口を尖らせて「ふぅん」と言った。
しかしこれではまるで冒険者区を見学しているみたいな感じになっている。
俺は本来の目的を忘れないためにもセシリアに忠告する。
「今の俺たちは冒険者だってことを忘れないようにな。そうだな、駆け出しのルーキーで仕事を求めて隣町からやってきた。これでいこう」
「わかったわ。でも冒険者ってどういうふうに振る舞えばいいのかな?」
「いつものセシリアで大丈夫だと思うぞ。ただし、これでもかというぐらい堂々とするんだ。多少冒険者に似つかわしくない所作があっても、気に留めるヤツもいないはずさ。よし、まず慣れるついでにここで情報を集めよう」
俺が足を止めたのは一軒の大きな酒場だった。
酒場の入口には酔い潰れた客が壁を背に地べたに座り込んでいた。
吐瀉物からは悪臭が漂っている。
すぐ隣には客の所有物らしき剣が置かれているので冒険者なのだろうとわかる。
それを見て顔をしかめたセシリアは、本当にここへ入るの?とでも言うように目で訴えてくる。
俺はセシリアの不安を取り除くように笑顔で頷いてから扉を開いた。
外にも十分漂っていたが、中に入るといっそう酒の臭いが増した。
それ以外にも冒険者の汗や衣服についた埃や土などの混じり合った臭いに、俺は鼻をつまみたくなった。
しかし隣のセシリアからはいい香りがするので、近くにいるだけで悪臭は少し緩和された気がする。
俺は心持ちセシリアに身を寄せた。
セシリアを見るとなんとか鼻をつまむのだけは我慢しているようで、平静を保とうとしている表情に俺は自然と笑みが漏れた。
テーブル席がざっと見回しただけで二十席ぐらいはある。
どこも満席状態でテーブルに並べられた料理や酒を手に客の会話が盛り上がっているようだ。
気になるのは、どいつもこいつも人相が悪いということだ。
身なりからして冒険者だということだけはわかるが、彼らの経歴などは俺たちが知る由もない。
中にはタチの悪い者もいると聞く。
今夜はセシリアをちゃんと守らないといけないと改めて思う。
奥のカウンターに目を向けると、ちょうど二つ並んで席が空いていた。
俺たちの立っている場所からは真正面の席だ。
カウンターの内側では初老の男が手にしたグラスを磨いている。恐らくこの店のマスターだろう。
「席が空いてるから、あそこに座ろう」
俺はセシリアに声をかけてカウンターまで一緒に向かった。
そして席に腰を下ろすと、「いらっしゃい」とマスターが会釈した。
カウンターにいたマスターに飲み物を注文する。
酒場に来て何も注文しないのは不自然だからだ。
「マスター、あったかいミルクを二つ」
すると俺の隣に座っていた三十過ぎくらいの男が鼻で笑った。
マスターは少し困ったような顔をしてから、申し訳なさそうに言う。
「ごめんよ。ミルクはないんだ。果実酒でいいかい?」
「お兄ちゃんよ、ミルクが欲しけりゃお家に帰ってママのミルクでも飲むんだな」
隣の男は俺を馬鹿にしたような顔でゲップをする。
酒臭い息が顔にかかる。
……酔っ払いめ。
俺は心の中で深呼吸して気を落ち着かせる。
今のをセシリアにしていたら俺も怒っただろう。
「あいにく乳離れはとうに済ませた。ガキに見えるかもしれないが、これでも成人している」
この国では十八歳で成人の扱いだ。
剣術学院も順当に行けば十八で卒業だし、多くの生徒はその後就職する。
歳を一つや二つサバを読んでも気づかれまい。
男は俺を視界に留めながらも、セシリアを気にしているようだった。
「ふん……お兄ちゃん、この辺じゃ見ない顔だな。新入りか? そんなべっぴんな姉ちゃんと一緒で羨ましいぜ」
男は俺越しにセシリアを顎で示したが、俺はさり気なく体の向きを調整して視線を遮った。
「今日ウルズに着いたばかりの駆け出しだ。よろしく頼むよ」
「そうかい、よろしくな。ちっ、ジジイおかわりだ。早くしろ」
男は飲み干して空になったグラスをカウンターに置いて、マスターを怒鳴りつけた。
マスターが慌てた様子で男に酒を提供し、俺にはメニューを渡してくれた。
木製の板にメニューの書かれた紙が挟んでいる。なかなか洒落た店だ。
メニューを見ると飲み物の他に料理とその値段が記載されていた。
果実酒一杯で五百ナール。妥当な価格設定だと思えた。
「マスター、じゃあ俺は果実酒でいいよ。酒はそんなに強くないからできたら薄いやつで。この子も同じのを頼むよ」
マスターは注文を聞くと頷いて、酒を用意し始めた。
セシリアが俺の脇腹をつついて「お酒は駄目よ?」と小声で窘めるが、メニューには酒以外の飲み物はなかったので「フリだけだよ」と返した。
マスターがグラスを二つ差し出した。
鼻を近づけるとほのかにブドウの香りがする。
グラスを口につけ、わずかに傾ける。唇に液体が触れるがそこで口からグラスを離した。
セシリアも俺を真似る。そして「うえっ」という顔で舌を出す。
それがおかしくもあり、俺の目にはなんだか可愛いらしく映る。
そのとき右目の奥でズキンと痛みを感じた。
セシリアに心配させたくないので、何事もなかったように装う。
心当たりはあった。ここに来る前に仮眠をとったとはいえ、明らかに睡眠不足だった。
しばらく目は休めたほうが良さそうだと思った。
「何よ? そんなに変かな?」
「いや、セシリアはそれでいいよ」
「どういうことよ、もう。……それよりこれからどうするの?」
「ここ数日で何か変わったことはないか誰かに聞きたいんだけど、さてどうするかな」
俺は眉間をキツく指でつまんでから、店内を観察することにする。
右目の痛みは変わらなかった。
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