第3話 ウルズ剣術学院
「誰だい? 俺の授業で居眠りしている悪い子は?」
聞き慣れた声と同時に、俺は後頭部に鋭い痛みを覚えた。
「いてっ!」
頭上からの不意な一撃で覚醒した俺は、頭をさすりながら上体を起こす。
重い瞼を上げると、机に広げた教科書に染みができているのがうっすらと見えた。
「アルバート・サビア、俺の授業中に寝るとはいい度胸してるね。六年に進級できなくてもいいのかい?」
ここはウルズ剣術学院。
アステリア王国の首都ウルズの町にある剣術の名門校だ。
今年から五年生に進級した俺は先日誕生日を迎えたばかりの十七歳。
昼食後の午後の授業、腹を満たした俺は睡魔の誘惑に勝てず微睡んでいたようだ。
目をしばたたかせると、ぼんやりとした視界が明確になった。
「やあ、目が覚めたかい?」
「……寝てませんけど?」
平然と言ってのけた俺が見上げると、教師であるブランドン先生が呆れた顔で肩をすくめた。
ブランドン先生はウルズ剣術学院の教師であり、この五年風竜クラスの担任でもあった。
すらりとした長身に手入れの行き届いた金色の髪が特徴で、開け放たれた窓から入ってきた風になびいている。
「嘘だね。即答すればまだ信じる余地はあったけど、今のは少し間があった」
「ブランドン先生、教科書の角はないでしょ、角は。それはある意味凶器だよ」
「俺の授業で寝るきみが悪い。それにちょっとやそっとの刺激じゃアルバートは目を覚まさないだろう?」
くすりと笑い声が聞こえる。
隣の席にいるセシリアだ。
俺と同じ色をした赤茶けたストレートの髪は、背中の真ん中ほどまで伸びている。
いつもと同じ花の香りが鼻腔をくすぐる。
セシリアは大貴族シンフォニー侯爵家の息女で、当主である父ダグラスはアステリア王国軍の将軍だ。
軍のトップを父に持つセシリアは、身分で言えばアステリア王国でもかなり上位に位置する。
ウルズ剣術学院の規則では、在学中は身分の差は不問とされている。
だから平民でも貴族に対してタメ口で話したり、少々不遜な態度を取ってもお咎めはない。
だが実際はそううまくはいかない。
影では親の威光を振りかざす者も少なくないし、平民が貴族に対して気後れしているのも事実だ。
しかしセシリアの場合は貴族であるにもかかわらず、権力を行使したり高圧的な態度を取ることはない。
むしろ身分問わず誰とでも接するタイプだった。
学年やクラスそれに男女を問わず人気があるのは、そういったセシリアの人望からくるのだろう。
もちろん愛らしい笑顔も魅力的だと付け加えておく。
「セシリア、気づいていたなら起こしてくれたっていいだろ」
「ごめんなさい。でもブランドン先生の言ったとおり、アルはなかなか起きないでしょ。それに、なんだか気持ちよさそうに眠っているアルの寝顔を眺めていたら少しくらいならいいかなって思ったわ」
クラスでも親しい仲間は俺を愛称のアルと呼ぶ。セシリアもその一人だ。
口元を押さえながら上品に笑うセシリアを横目に、俺は頬をかいた。
「セシリアにはアルバートの保護者として、しっかり監督することを頼むよ」
ブランドン先生は穏やかな笑みで言うと、教卓のほうへ踵を返した。
五年風竜クラス、いやウルズ剣術学院五年生の間ではセシリアは俺の保護者または世話係という立ち位置で定着していた。
少しばかりルーズなところがあるらしい俺を、甲斐甲斐しくフォローしてくれているのがその理由だ。
その光景は姉弟のようで微笑ましいと、仲間からはからかわれることも少なくない。
「もうっ、ブランドン先生まで!」
セシリアが頬を膨らませるが、本心では怒っていないと誰もが知っている。
教室のそこかしこから、生徒の笑い声が聞こえる。
「それじゃあ、授業の続きを始めるよ。いいかい? 居眠りしていたアルバートのために、少しおさらいをしてみよう」
ブランドン先生が教卓に両手をつけて言うと、笑っていた生徒が神妙な顔つきになる。
こういうときはたいてい難しい出題がくる。
答えられなかったらペナルティとして剣の素振り百回とかやらされるのだ。
俺の巻き添えで……ごめん、と心の中で頭を下げた。
「剣術の流派についての問題だ。ハロルド、答えてくれるかい?」
「はい、わかりました」
起立したの最前列にいたハロルド・ソネットだ。
癖っ毛の銀色の髪に幼さの残る中性的な顔立ちの少年ハロルドは、五年生の男子にしては小柄な体つきをしている。
それもそのはず、本来ならハロルドは一学年下の四年生に相当する年齢なのだが、成績が優秀なため三年生を飛び越して二年生から四年生に進級した経歴を持っていた。
いわゆる飛び級というやつだ。
なので、十五歳にして俺の同級生。
そして俺の仲間の一人でもある。
成績優秀なハロルドが指名されて、俺は胸を撫で下ろした。
(だけど、ブランドン先生にしてはごく簡単な問題を出してきたな)
一般の学校に通う者ならともかく、このウルズ剣術学院は剣術を専門的に学ぶ学院だ。
それは剣術の技術はもちろんのこと、剣の歴史や各流派の基礎知識まで多岐に渡る。
ブランドン先生の出した問題は常識的なレベルの問題だった。
ちなみに、剣術学院の他には魔術学院や一般の学校が存在する。
年頃の少年少女は家庭の方針や希望を考慮して、自らの学び舎を選択するのだ。
冒険者を両親に持つ俺は、問答無用でこのウルズ剣術学院に放り込まれた。
そこに俺の意思など存在しないが、どこでも良かったので気にしてはいない。
むしろ、セシリアや他の仲間と出会えて感謝しているぐらいだった。
「アステリア国内に限れば、主流であるオーソドックスなグラナート流、守りに長けたディアマント流に技巧に優れたザフィーア流、それと剛の剣ザルドーニュクス流といったところでしょうか」
「正解、でもまだ終わらないよ。ではアステリア国内で習得者の多い順で言うと?」
出た。こっちが本題か。
ブランドン先生が青い瞳を光らせて問題の難度を上げてきた
教室内からは困惑した生徒のささやきが聞こえる。
しかしハロルドは意に介さず毅然とした態度を崩さない。
まるでその程度の問題は簡単だとでも言うように。
「はい。グラナート流が四割、次に多いのがザルドーニュクス流の三割、ザフィーア流の二割に続いて残りの一割がディアマント流を含めた少数流派になります」
「いいねぇ、素晴らしい答えだ。文句なしの満点だよ」
ブランドン先生が拍手すると、教室内から歓声があがった。
さすが俺たちの頭脳。
頭を使うことはハロルドに任せておけばいい。
人には得手不得手がある。俺たち生徒は互いにフォローし合っていくだけだ。
「ちょ、先生。そんな難しい問題ハロルドじゃなきゃ解けないっての」
唐突に挙手して立ち上がったのは、最後列に座っていたロイド・サイマス。
実家は鍛冶工房を構えるサイマス家の次男で、俺の仲間でも人一倍熱いやつだ。
ただし、剣の稽古一筋でそれ以外の勉強が疎かになっている感は否めない。
ロイドは五年風竜クラス一の長身で、引き締まった筋肉には無駄な贅肉が一切ない。
家業の手伝いで負った火傷が太い腕のあちこちにあるが、生まれついた褐色の肌のおかげでそれほど目立つことはなかった。
確かにロイドの意見には一理ある。
隣の席にいるセシリアはわかっていたようだが、俺もここまで詳しく答えられるかどうか怪しかった。
ブランドン先生はロイドに視線を向けると、大げさにため息をつく。
「ロイドきみねぇ、これ四年生の履修内容だよ? もう一度四年生からやり直すかい?」
「げっ、本当かよ!?」
「頼むから、きみはもう少し勉強にも励んでくれるかい。そんなことで次の試験はどうするつもりなのかな?」
「え、それは気合いでなんとか…………すいませんしたぁ!」
教室が笑いに包まれる一方、ロイドは机に突っ伏した。
「今のを忘れてた者も、今一度復習しておくように。いつも言ってるけど、強くなりたかったら頭を使うことも大事だよ。これは俺の経験則。そのための課題は常に提示しているつもりだから、みんな意識して取り組んでいこう」
ブランドン先生はウルズ剣術学院を首席で卒業している。
俺たち生徒からすれば偉大な大先輩だ。
そのブランドン先生が言うのだから間違いはないだろう。
しかし飄々とした性格や表情とは裏腹に、時として過酷な授業の数々を思い出した生徒たちは苦笑いした。
「じゃあ次は――」
ブランドン先生が次の出題に入ると、生徒たちは戦々恐々とした。
教科書を机に広げて頬杖をついた俺は、再び睡魔と戦っていた。
(俺はこんなに眠いのに、ブランドン先生は眠くないのかねぇ)
目をこすりつつ、俺はあくびを噛み殺した。
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