第2話 不敗の剣術

 見下ろした暗闇の中に小さな明かりが揺らめいている。

 深夜なので一般人ではないだろう。

 十中八九、巡回中の警官が手にしているランタンの灯りだ。

 ランタンの灯りを目で追うと、何本かの通りがうっすらと形を浮かび上がらせた。

 目が闇に慣れた頃、俺の魔眼は何者かの足跡を捉えていた。


 しかし地面には足跡など残っていないし、仮に残っていても誰のものかなんて特定できるはずもない。

 俺の魔眼はそうした見えないものを見る。

 手にしているのは短剣で、もちろん俺の所有物ではない。

 先ほどの男が懐に忍ばせていた短剣を、警官に引き渡す前に抜き取っておいたのだ。


「予想はしていたが痕跡が薄いな」


 短剣に付着したわずかな魔力を頼りに、俺の魔眼が痕跡を辿る。

 俺は深緑のもやが足跡のようにどこかへ続いていくのを視認した。

 おそらく男に関係した人物に繋がるはずだ。

 これが俺の魔眼の能力の一つ。


 生まれ持ったというべきか、生まれたときに仕込まれたというべきか。

 そのため魔眼の扱いは手足を動かすのと同様に造作もない。

 欠点は魔力を激しく消耗するということで、元々魔力の少ない俺にとっては痛いところだ。

 ナイフに目をやると俺のぼやけた顔が映っている。

 その右目は今、本来の茶色から燃えるような赤色に変化していた。

 俺は自嘲気味に笑うと、魔法の翼を纏い大きな広場に向けて滑空した。


 広場に着地して魔眼を頼りに入り組んだ路地を突き進んだ。

 しばらくして薄暗い通りに出ると、背後に人の気配を感じた。

 一瞬警戒するが、それが敵ではないとわかると思わず舌打ちが出た。


「ふむ、やっと合流できたね」


 後ろから声をかけられる。

 知った声なので振り向かずに走り続ける。

 声の主が横に並ぶと、俺は視線だけをそちらに向けた。


「相棒、手抜きが過ぎるんじゃないのか? 警官から二人しか捕まえてないって聞いたぞ」


 俺が相棒と呼んだ男は、悪びれもせずに爽やかな笑みを浮かべている。

 風になびく金色の髪に青い瞳。俺よりわずかに背が高い相棒は顎に手をやった。

 これは言い訳を考えているフリの顔だ。

 整った顔立ちなので、こんなとぼけた仕草でも様になるのが腹立たしい。


「警官にも伝えたんだけど、今回の相手はかなりの手練れだったから仕方がないよ。そっちも同じかい?」

「ああ、五人とも流派はバラバラだったが、いずれも上級相当の腕だった」

「五人!?」


 相棒は俺の実力を把握している。

 驚いているのは倒した数ではなく、このウルズの町に侵入した何者かの数が想定より多かったからだろう。


「相棒の情報どおり、ゲルート帝国のスパイなのは濃厚だろうが証拠がない」

「なるほど、闇夜の死竜を前にしても口を割らなかったか。胆が据わっているのか、単にバカなのか……それともただの命知らずか。どちらにせよ、相手もきみと戦ったことを後悔するだろうね。ウルズの双剣使い、その剣術は噂に違わぬ本物だと。いやぁ、神出鬼没のウルズの守護神、数々の名は伊達じゃないな」

「はぁ……相棒までそう呼ぶか。その呼び方はやめてくれ。というか、その名を喧伝してるの相棒じゃないだろうな?」


 相棒があさってのほうへ視線を外したのを見て、俺は嘆息する。

 犯人はこいつか。


「はっはっは、そう目くじらを立てないで。これからも仲良くやっていこう」


 俺の気持ちを宥めるどころか、逆撫でしていく相棒。

 まぁ、相棒の性格からして何を言っても無駄だろう。

 こちらが熱くなっても、のらりくらりと躱されるのは火を見るより明らかだ。

 だが嫌味の一つでも言ってやりたくなる。


「これからも仲良く、か。言っておくが、俺が相棒に協力するのはもう二年もないぞ」


 相棒と組んでもう丸四年にもなる。ゆえに残された時間は二年を切っていた。

 そのことは相棒も知っているが、あえて口に出してみる。

 相棒はどう思っているのだろうか。


「その間に気が変わるのを期待しているよ」

「呑気だな。俺の気を変えてみせるとは言わないんだな」

「ん~、こればかりはなるようにしかならないからね。無理強いは好きじゃないんだよ。それより、ようやく追いついた」


 相棒の表情から笑みが消える。

 同時に鋭い眼光を、前を走る何者かの背中に突き刺した。

 ゲルート帝国のスパイ。そして俺にとって六人目だ。

 俺も気を引き締め直す。随分距離が縮まったが、簡単に手の届く範囲ではない。

 この先は確か……。


「挟み撃ちにしよう。俺はそこの角を曲がって迂回するから、相棒はこのまま追ってくれ」

「いいねぇ、了解した」


 俺の提案に、相棒はウインクを返す。

 やめてくれ。いくら美形でも男にされて嬉しいものではない。


 宣言したとおり、俺は一つ目の角を左に折れて迂回する作戦に出る。

 人が三人並んで歩けるくらいの細い通路を、俺は全力で疾走する。

 この長い直線の先にある行き止まりには右に曲がる道がある。

 俺は突き当たりの手前で、減速せずに左側の壁めがけて跳躍した。

 そして、左足で壁を蹴った時には呪文の詠唱は終えている。


 翡翠色の翼を纏った俺は、地面と平行に飛ぶ超低空飛行を敢行する。

 往来がある昼間は障害物が多くて使えないが、人通りがないこの時間なら走るより幾分早い。

 魔法なので長時間の行使は難しく、ここぞという場面に限られるが、これでうまく挟み撃ちできるはずだ。


 通りを抜けると右手のほうから六人目と鉢合わせた。

 先ほどの五人目の男と同じく全身を黒で統一した軽装なので間違いない。

 地の利はこちらにある。

 六人目の後ろから相棒が追いつき、退路を塞いだ。


「もう詰みだ。そこにいる闇夜の死竜からは逃れられないよ」


 相棒が宣言した。

 どうやら、相棒は俺に戦わせる気らしい。

 腰にぶら下げた名剣を抜く気もないようだ。


「闇夜の死竜だと!? その仮面っ! ……貴様が動いていたのか。どおりで他の仲間と合流できないわけだ。まさか、全員やったとでも言うのか?」

「さあな、全員で何人いたんだ?」

「答えるわけなかろう」


 六人目が剣を抜いた。

 剣の構えから技巧に優れたザフィーア流剣術だとわかる。

 五人目といい、俺に対して一歩も引かない姿勢だ。


「いいねぇ、ザフィーア流とウルズの守護神との一戦。こんな特等席で観戦できるなんて俺は運がいい」

「軽口を叩いているのも今のうちだ。闇夜の死竜を葬った後で、おまえも始末してやる」


 六人目は落ち着いた口調で言った。

 相棒の挑発にも乗ってこない。その構えには微塵の揺らぎさえなかった。

 俺は腰から剣を抜いて器用に回転させてから構えをとった。

 右手をわずかに動かすと、侵入者は素早く防御の姿勢を取った。

 それがフェイントだとわかると、また元の構えに戻す。

 反応は悪くない。

 だがフェイントだと気づけない時点で、五人目の男と大差ない実力だと俺に露呈してしまっている。

 何度か同じような動作を繰り返すと、いい加減に痺れを切らしたのか今度は六人目のほうから攻めてきた。


「こちらからいくぞッ! はあっ!」

「ほい」

「せいっ!」

「ほい」

「くっ……! はあああっ!」

「ほい」

「こ、これならどうだぁッ!」

「ほい」


 ザフィーア流剣術は数ある流派の中でも群を抜いて技が豊富だ。

 流れるような連続攻撃が特徴で見る者を魅了させる。

 俺の仲間にもザフィーア流を使う子がいるが、彼女のほうがもっと優雅に剣を振るう。

 もっとも実力は、目の前にいる六人目のほうが数段上だ。

 俺は剣を振るって、その剣技を封殺していく。

 素直に付き合ってやる義理はない。

 技の出所を狙いすまし完全に挫く。何度も何度も徹底的にだ。

 思うように連続攻撃が繋がらない六人目は、ついに業を煮やして大技に出る。


「これは躱せまいッ! 死ねぇッ!」

「小手先の技が通じないからと大技に出るのは悪手だぞ」


 そう来ると読んでいた俺は、彼我の距離を一瞬で詰める。

 六人目が「しまった」というような顔をしたが、もう遅い。

 俺の斬撃が六人目の意識を刈り取ったのは、そのすぐ後だった。


「さすが仕事が早いね。これで合わせて八人と、結構な数だね。こうなると俄然、彼らの目的が気になるよ」

「誰も喋らないんじゃ、あと何人いるのか見当もつかないぞ」

「きみの目があるだろ?」

「冗談言うな。今夜は酷使し過ぎて限界だ。魔力が保たない」

「わかった。きみは一旦休憩していいよ。その間に俺が警官を呼んでくる」


 相棒が呑気に言い、踵を返して走っていった。

 気を失っている六人目もしばらくは目を覚まさないだろう。

 俺は魔法の翼を広げて周りの建物に飛び移っていく。

 辺りに異常がないのを確認してから、民家の屋根の上に腰を下ろした。

 この調子だと今夜はろくに睡眠も取れないなと、独りごちる。

 しばらくすると相棒が警官二人を連れて戻ってきたので、俺は屋根から飛び降りて合流した。


「遅かったな。何かあったか……いや、どこでさぼってた?」

「ふぅ、人聞きの悪いこと言わないで欲しいな。こっちが汗だくになって警官を呼んできたのにさ」

「よく言う」


 相棒は汗一つ流しておらず、涼しい顔をしていた。

 まったく掴みどころのないやつだ。

 すると、話題を変えるように相棒がわざとらしく手を叩いた。


「それはそうと、ようやく人数を教えてくれたよ」

「……本当か!? 拷問でもしたんじゃないだろうな? やけに遅かったのはそのせいか」


 もちろん冗談だ。

 そんなことをすれば捕虜規定に抵触するし、アステリア王国とゲルート帝国との国同士の問題にもなりかねない。

 表向きは平和に交流しているのだから。


「まさか、それはあり得ないよ。きみは俺が魔物か何かと勘違いしていないかい? 俺が根気よく真摯に尋ねたら教えてくれたんだ」

「それがですね……ぐきょ……!」

「はいはい、無駄なお喋りは禁止だよ。今は不審者を捕えるのが先」


 何かを言いかけた警官だったが、寸前で相棒に口を塞がれた。

 唖然としていたもう一人の警官は、俺の相棒に羽交い締めにされている同僚と、失神している男を交互に見やり右往左往していた。

 やがて再度相棒に促され、やれやれといった様子で職務に取りかかる。


 相棒め……拷問まではいかなくても、多少手荒な真似をしたみたいだな。

 そこは俺の管轄外だから口出しはできない。

 ようやく相棒から解放された警官は、「まったく勘弁してくださいよ」と乱れた制服を直していた。


「目的までは聞けなかったけど、このウルズの町で行動していた連中は、全部で十人だそうだよ。というわけで、あと二人だね」

「あと二人もいるのか。この辺には多分いないぞ。何かあてはあるのか?」

「ああ、西の冒険者区に隠れているらしい」

「冒険者区か、そいつは少し面倒だな。そもそも、ここからだと距離が遠すぎる。今日はここまでにしよう」


 この辺りと違い、冒険者区だと夜中でも出歩いている者がいる。

 たいていは酔っ払った冒険者だが、一筋ならではいかない連中が拠点としている場所とあって気が進まない。

 俺の両親や爺さんも冒険者として生計を立てているが、かなり癖が強いのだ。

 中には非協力な輩もいる。


 それに、ここからだと距離もあるので時間的に厳しいだろう。

 何より俺の睡眠時間がどんどん削られていく。

 そんな俺の心情を知ってか知らずか――いや絶対知っているだろう――相棒は、俺の肩に手を置いて笑顔で言った。


「もうひと頑張りしようか」

「相棒に人の心はないのか? 働かせ過ぎだろう。大丈夫、相棒なら一人でできる」

「ウルズの守護神、闇夜の死竜が何を言うんだい。さあ、町を悪漢から守ろうじゃないか」


 乾いた笑いで見送る警官をその場に残して、俺たちは再び夜を駆ける。

 両手に持った二本の剣で戦う、アレクサンドリート流剣術。

 その七百年の歴史にただの一度も敗北はない。

 俺は負けが許されないその重圧を背負わされている。

 勘弁してくれ。

 俺はただ平穏に過ごしたいんだけどなぁ、と心の中でぼやいた。

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