落合進・9
結局この日は中野が男の家に外泊、さやかが就寝中だったので羊山荘総出の説得は無くなったのだが、次の日ゴミ出し場でやたらと元気に挨拶してくるいっちに、昨日のこと全て酔って見た幻覚じゃないんだということを分からされる。ゴミの入ったビニール袋をどかどか投げて、「ま、がんばれよ」と目も合わせずに言う。
今日は、さやかと会う予定がある。安ホテルに入ると、返却口から鍵が落ちてきた。
「……芸人になりたいのって本気なんだ。確かに一倉くんは面白いし、そんなに情熱があるならチャレンジしてみればいいと思ってたから、意外ではないかも」
白い体にバスタオルだけを巻いたさやかが、ラブホテルのベッドに座っている。僕は寝転がって煙草の煙を吐く。昨日酔った勢いであんなに捲し立てておいてあれだけど、お前もいっちの味方をするんだなと思った。
「さやかは? さやかは、なんでAV出ようと思ったのさ」
一倉の夢と比較して、意地悪なこと言ってしまったかななど、気にするような仲ではない。悪い意味で僕とさやかは特有の糸で繋がれている。さやかは少し間を置いて、うーん、と顎に手を置いてみせる。どうせ金だろ、理由探してないで早く言えよ。
「お金。私も憧れの人が居て、その人の顔になるためには何も惜しみたくなかった。できることは全部やりたかった。後悔なんてない、落合くんに殴られて辛いくらいかしら」
「あー……あれは、ごめん」
身にまとったものはバスタオル一枚のくせに、憧れを語る目は輝いている。まるで夢見る少女みたいに。
「ま、その人、中野麻衣っていうんだけど」
「中野麻衣? って、あの中野麻衣? あのズボラ酒カス女であってる?」
ふふふ、とさやかが笑う。
僕と一倉の間では、中野はちょっと可愛い、さやかは学年で噂になるレベルで可愛い、という認識となっていた。しかし、はじめて羊山荘の住人として顔を合わせた時、さやかはこんな顔じゃなかった気がするし、中野麻衣ももっと、都会に初めて来た無垢な少女のようだった。酒煙草ギャンブル男に溺れ、中途半端に都会を知り、ひねくれた性格が顔に出るようになってからは、世間的に見てもさやかの方が「美人である」というジャッジを下されることが多くなり、今では羊山荘に不釣りあいな美人といえばさやかのことだ。
初めて会った中野麻衣は、「中野麻衣です、秋田から来ました」と挨拶してぺこりと頭を下げていた。その汚れのない姿に、さやかは一瞬で恋したわけだ。その結果、さやかは自分を傷つけることになるのだけれど。
いつもより顔色が良く見える。あの日、秋田から来たと自己紹介した少女と同じ目をしている。造形もだけれど、研ぎ澄まされた精神が、この一年の辛く悲しい日々を作っている。
少し前、中野とさやかが泥まみれになって帰ってきたことがあった。ふたりとも、馬鹿みたいに笑っていた。全世界に裸を晒されているというのに、その姿は年相応の、普通の女の子に見えた。
……さやかみたいな奴が、AVに出なきゃいけない世の中ってなんなんだろうな、いや、こいつは望んで出たのか。決して楽な仕事ではないだろう。僕がさやかに乱暴していたことも、秘密さえなければすぐに羊山にでも報告したかっただろう。AV会社も、さやかも俺も何してんだろうな……
その日からしばらく僕らは体を重ねなかった。お互いそのような気分で無かったようだ。冷蔵庫に入っているコーラと烏龍茶だけを飲んで、大人しく座るさやかはAV女優。滅多にないことだと思われるのでゆっくり耳を傾ける。普通の赤川さやかとしての生活を聞く。
フル単できるかしら、アキコマが二個あるとうざいんだよね。さやかは顔色も良くなったし、嬉しそうだった。
その横顔は普通の大学生で、ちょっときれいな女の子に見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます