落合進・7

 ぼんやりしていて思い出せないが、また嫌な夢を見てしまった。スマホのアラームを消し、ボロボロの窓から射し込む朝日に苛立って目を擦る。今日の授業は三限から。ゴミ捨て場や二〇五に行けば暇な住民が相手してくれるだろうが、今はその気分にはなれないので、寝返りを打って二度寝を試みる。


 昨日の飲み会は、途中でさやかが失踪騒ぎを起こして終わった。元々気持ちよく酔えていなかったからちょうど良かった。いっちと中野が必死になってさやかを探し回る姿を、羊山荘のベランダで煙草を吸いながら見ていると、遠く、高いところから見た奴らは、チェスの駒のように小さくて、上からつまんで簡単に動かせてしまいそうに思えた。コンプレックスも、妬みも、あいつらのように生きられたらという羨望も、全部僕が作った盤上の上で動かせたらいいのに。二〇五にあるどのボードゲームよりも面白そうだ。

 そうして二時間半くらいの捜索の末、さやかは中野に連れられて帰還し、雰囲気も冷めてしまった飲み会はお開きとなった。各々がどこか微妙な表情を浮かべていたが、最初にさやかがどこかへ消えた理由の発端は僕にある。


 「きったねえの……」


 喫煙所から少し離れた場所で、腹を殴って吐かせる。僕を見るさやかの目に苛立った。ちょっと見た目がいいから、ちょっと頭がいいから、偉そうにしやがって。さやかは僕に怯える前に、二〇五にこの件がバレることを危惧しており、しきりに光のともる騒がしい部屋を気にしていて、それにもムカついた。さやかが地面に座り込み、酒をビシャビシャ吐く無様な姿は滑稽で、中野たちにも共有したいほど面白いのにとさえ思った。しかしさやかは僕の秘密を握っている。中野、いっち、さやかよりランクの低い大学に通っているという、しょうもなくてどうでもいい、僕にとっては必死に隠し通してプライドを守り切らなければならない秘密を。

 僕はよく器用に生きていると言われる。器用貧乏の嫌味として、と受け取ることも出来るが。実際僕は人間関係の立ち回りにおいてもそこそこ上手いのか、面倒なことからは顰蹙を買わない程度に避け、どこにでも居そうな女に「好き」と言われ、サークルでも時期幹部を任され、とまあまあ上手くやっているはずだ。「勉強ができない」くらい、誤魔化せるだろう、いや、誤魔化せてきたんだ、この一年間。


 喫煙所でさやかと出くわす少し前。ちゃぶ台を囲んだ二〇五ではいっちが相変わらずヘラヘラと笑いながら、鶏皮串片手に僕に絡んできた。さやかは既に部屋におらず、中野も席を外していたので、必然的に僕しか話し相手がいなかったのである。


 「おっちってさあ、将来何になりたいとかあるん? こういう仕事したいとか、さ。ちなみに俺は昔宇宙飛行士になりたかってん、宇宙食ゲロクソマズいらしいから諦めてもうたけどな。今思えば羊山が時々持ってくるゲテモノ料理の方が絶対マズいわ、宇宙飛行士なっときゃよかった〜」


 よくもまあこんなにノンストップで喋れるなあと横で思いながら、将来、つまり就活の気配を感じて身構える。無名大学の僕がこいつらより良い企業に入社できるわけが無い。というかやりたいことなんて、正直大学受験のやり直ししかない……

 もし僕の前にチェス盤があって、駒を動かしていっちの進む道を決められたなら、そうだ、売れない芸人にでもなってもらおう。中野は就職浪人を繰り返し結局ニート、さやかは一生AV業界。そんな世界なら一番は僕だ。


 「やりたいことか、僕より中野に聞いた方が面白いんじゃないの。なんも考えてないやつの将来設計」

 「マイちゃんはその手の話は嫌がるやろ、そもそも卒業できるかってとこだし……」


 急に声のトーンを落とすいっち。中野麻衣はこの手の話を嫌がるからこそ、面白いと思ったのに。

 いっちは優しいんだな、と冷めた目で見る。責めるべきは単位をとっていない中野だ。僕は話題の的を自分から中野にずらして逃げるつもりだったので、ここには居ない奴に向かって舌打ちをした。

 いっちの望む回答は、宇宙飛行士なんて突飛な話じゃなくて、目の前に迫りつつある就活のことだ。適当なことを言おうとして口を開きかけたが、おしゃべりないっちの方が先に喋りだした。


 「……今でも、就活とかなんもせんで、本当にやりたいことできたらええのになって時々思うけど。結局レール乗っとる人生やわ、情けない」

 「……本当にやりたいこと?」


 なにもなくなった串を紙皿に置く。窓から入る風が、生暖かくて気持ち悪い。汗をかいている缶ビールに視線を向けて、夏か、と感じる。


 「おっち、これは冗談なんやけどな、俺本当は大学辞めて芸人の養成所に行きたいねん」

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