中野麻衣・8

 『赤川、マジでどこ行ってんの?』

 『コンビニ行くなら唐揚げ買ってきてな。てか赤川って今スマホ見れてんの?』

 『さやぴ、見てんなら既読だけでもつけてくれ、警察呼ぶで』

 『いや、警察って』

 『そんくらいヤバいやろ! ベロベロに酔っ払った女の子が二時間も行方不明なってたら過保護にもなるわ!』

 『(一倉洋輔がスタンプを送信しました)』

 『赤川なんてどうせ朝になれば帰ってくるだろ。中野もイッチも騒ぎすぎ。あ、誰かセッタも買ってきてくんね? さっき煙草買い忘れたわ』

 『(なかの まいがスタンプを送信しました)』


 「赤川のやつぅ……」


 画面の割れたスマホに表示されているのはライングループ、羊山荘(4)。普段はレジュメを無くしたから多めに取っといて欲しい、トイレットペーパーが残り少ない、などといった業務連絡でしか使わないグループだ。

 ぎりりと歯を噛み締め、先程私が送ったネコのスタンプを睨みつける。これは赤川の捜索に全く協力せず、今も二○五でひとり酒を飲んでいる落合に向けた威嚇だ。

 羊山は、赤川行方不明の騒ぎが起きた頃にはふらりと姿を消していた。羊山が居なくても誰も気にしないが、赤川さやかがいつになく酔っ払って、私にあんな暴露をして、死にたいなんて言ってしまって、ふいに目を離した隙に居なくなられると大問題になる。既読はつかない。大学方面を探しに行った一倉とは反対方向に歩きながら、ここってこんなに暗かったっけ、街灯の明かりもおぼろげで、自販機の光だけが眩しくて、そんな田舎みたいなところだったっけ、と思う。

 誰かの家に行ったとは考えがたい。髪の毛を巻いて、まつ毛も巻いて、きれいに化粧をして、流行りの服をまとっていないと大学にも行けないような女だ。私が最後喫煙所下で会った赤川さやかは、あろうことか地面に勢いよく嘔吐したあと、ふらふらと私の横に座り込んできた。歯磨きもせずに羊山荘を出るのは、さすがの私でもしない。

 もしかして、誘拐されたとか、襲われたとか? ミスコンから出場依頼が来るような美女赤川さやかは、すっぴんかつゲロ吐き直後であっても目を引く容姿をしている。泥酔した女を狙って、という話もありえなくはない。


 「はあ、いい加減にしてよねえ……」


 あいつは「中野さんの顔になりたかったの」なんてふざけたことを言っていた。私に憧れていた、とも言われた。中高を異性の目がない女子校で過ごした私は、自分を加工カメラで撮ってみては「ちょっとかわいいかも」と浮かれたが、今なら言える、私なんて中の中だ。対する赤川さやかは初対面時こそ田舎っぽさが残っていたものの、大学生活で急速に垢抜けていき、今では学部のアイドル扱いされている。なにが「憧れてる」「あなたになりたかった」よ、と暗い道に言い捨てる。それを聞いていたのか、茂みから飛び出してきた黒い物体が、私の前に立ち塞がった。

 うわあ、と一瞬声を上げそうになるが、現れたのは敵意の欠けらも無い白と黒の柄の猫だった。そんなことをしている場合じゃないけれど、しゃがみこんでふかふかの毛を撫でてみる。人馴れしているのか、全く抵抗はされなかった。


 「はは、聞いてよ、居なくなっちゃったよ、赤川」

 「にゃーん」

 「……落合のこともさ、まあまあ良い奴だと思ってたけど全然違ったよ、もう私、羊山荘がわかんないよ……」

 「にゃーん」

 「……いや、そりゃあさ、私も一倉誘ったりとか……したけど、そんなんとはワケが違うじゃん、殴られてんだよ、赤川。あんな『なんともないでーす、お嬢様です、日傘さします、あんたらみたいな下界の民にも挨拶する私偉いでーす、さっさとタワマン引っ越しまーす』みたいなツラしてた赤川が、落合なんかに、さ……」


 私、何も信じられない。

 もう泣きたくなかったのに、猫を撫でる左手に涙の粒が落ちていく。猫は興味無さそうに顔を背け、柔らかい体を伸ばした。

 私より赤川のほうが、ずっと死にたかったはず。それなのに口癖のように死にたいって連呼して、息するように薄っぺらい希死念慮を口にして。遅れてきた中二病かよ、いまさら馬鹿みたいで恥ずかしい。今、こんなことになっているのは私への罰? 猫はなんにも答えない。ぐずっていても仕方ない。

 まだ泣き止めないけど、こいつとはここでお別れ。ぽんと猫の背中を押すと、にゃあ、と返事が帰ってくる。立ち上がって、サンダルを鳴らして歩き出す。スマホ片手に、赤川さやかに電話をかけながら。


 「あれ……?」


 下を向くと涙の粒が落ちるから、仕方なく腕で拭って夜空の方を向いていると、少し離れたところにある古いビルの屋上に人影のような物体が見えた。ふらふらと揺れる影は、そこに誰かがいることを示すには充分だった。

 ラインなんか気にしてる場合じゃない。電話を切って走り出す。

 そこに居るのが赤川さやかじゃなかったとしても、私が行かなくてはいけないと思った。何が私を駆り立てるのかすらわからないし、久しぶりに全力で走ると体の色んなところが痛い。それにさっきまで酒を飲んでいたものだから、視界も胃の中もグルグルして気持ち悪い。

 目的のビルにたどり着くまで、いろんなことが頭の中を駆け巡る。助けてと縋る赤川も、ニヤニヤ笑う落合も、なんか変なスタンプをグループラインに送ってくる一倉も、羊山でさえも、二○五の生ぬるい幸せを私が守りたいと思ってしまっている。友達なんか、仲間なんか、どうでもよかったはずなのに。おかしくてまた涙が出てくる。変なの、東京ってほんと、変なの。思いっきり地面を蹴り飛ばし、目的のビルを目指す。

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