赤川さやか・6

 「……ね、ねえ、中野さん、相談していい? 助けて欲しいの……」


 普段の私なら、彼女のことはどちらかというと見下している方だろう。しかし今は、足が震えて立てない。対して中野さんは、今にもそこの鉄格子から飛び降りてしまいそうに見える。そんなに身軽に生きられる方法を知りたい。死ねば楽になるだろうか? 「いつでも死ねる」が最終手段としてあるのは、あまり良くないのではないか。だけど聞かずにはいられなかった。


 「……え、何、改まって」

 「……私、落合くんに弱み握られて、毎週暴行されてるの」

 「は……?」


 ひゅう、と吹く風。呆気に取られる中野さん。

 私は話を続けた。「ちょっとした秘密」が落合くんにバレたこと。それを口実に、毎週抱かれていること。彼の「秘密」は私のためにも黙っておいた。でもこれも、こういうのも、隠して生きていくのはもう辛い。いつかバレる時がくる。それなのに、喉のつっかえが、最後の秘密だけは言えなかった。私AV出てるの、なんて言ったら終わりだ。

 中野さんは、案外こういうところは付かず離れずでいてくれる。時々登場する私や落合くんに関する「秘密」というワードには突っ込まずにいてくれた。無関心なのだろうか、だとしたらありがたいなと思っていたが、そういうことでもないらしい。急に激高しだしたかと思えば、カン、と古びた金属を蹴って立ち上がった。


 「赤川、なにやらしてんのあんた、バカでしょ、秘密だかなんだか知らないけど、落合なんかに抱かれるくらいなら死んだ方がマシだっ、て!」

 「え、えっと、一倉くんは……?」

 「あいつはまだマシだけど、落合ってなんか……ドブの底みたいな目してるから嫌なの、絶対に嫌!」

 「……まあ、私もそう思う、でも、それしかできないの、私、こうするしかできないの……!」


 いつの間にか立ち上がってお互いの腕を掴みあっていた私たちは、深夜ということも気にせず騒ぎ立てる。二○五は目視できるほど近く、話の中で最悪の悪者にされている落合くんに聞こえている可能性だってあるのに。

 後ろから、じゃり、と砂をふむ足音が聞こえてくる。ヒールやパンプスじゃないから女性ではない、スニーカーでは無いから一倉くんではない、この安っぽいサンダルで来るのは落合進くらいだ。

 急に寒気が込上げる。また具合が悪くなる。中野さんに話したのがバレた、中野さんにバレた……


 「……っ! ごめんなさ、落合くん、殴らないで……」

 「大丈夫だよ、赤川くん。ここに落合くんはいない。二○五で一倉くんと猥談を交わしていたよ、聞くに絶えないから来てみたけれど、ここも大変なようだね」

 「ひ、羊山ぁ……」


 困った顔の中野さんが、突如現れたこのアパートの大家「羊山」を見上げる。助けて、と言った感じの声色だ。

 中野さんは結局いい人で、落合に搾取されている私を哀れんでくれている。羊山は表情ひとつ変えなかった。もともと私と落合の関係を知っていたからか、どうでもいいかのどちらかだ。


 「中野くん、気持ちはわかるけど、落合くんにも落合くんの事情があって……」

 「その事情とか秘密とか、なんなのよ、ずっと! 私の知らないところで羊山荘が回ってて訳わかんないのよ、秘密があるからって赤川に酷いことしていいわけじゃないし、なんで同じアパートなのに秘密とかなんとか……」


 落ち着け、というふうに羊山が中野さんを止めようとする。でも、酔っ払っているのか、日頃の鬱憤が溜まっているのか、中野さんは羊山の腕を振りほどいてしまった。


 「っ、もういい、私落合に直接言ってくる! 赤川にそんなことやらせんなって、根性焼きしてやる、!」

 「待って、待って中野さん!」

 「中野くうん、それは悪手だぞ、やめた方が……」

 「うるさい、私が何とかするの、私は自殺以外こういうことしかできないんだから……!」


 中野さんのスリッパが、羊山荘の階段に乗る音が聞こえる。だん、だん、と崩れそうな音を立てて登っていく。そして、光が点っている二○五に入っていった。


 「……面倒なことになったねえ、赤川くん?」

 「……はは、話した私がバカでした、酔ってたんで……」


 いきなり立って騒いだから、酔いが回ってきたのかもしれない。

 ふらふらしてしまい、立ち上がろうとした手をまた地面に着けた。

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