赤川さやか・5
人が高層階から飛び降りた場合、比喩でなくぐちゃぐちゃになる。
中野麻衣の顔に生まれて、自分から死ぬだなんて意味がわからず、私は何か言おうとすることさえしなかった。愚かにも程がある。自殺っていうのは、中野のような美しい女の子ではなく、もっと死んで当たり前だというような、たとえば落合進のような人間がするものだろう。
「……ええと、どうして? 中野さんは、幸せじゃないの?」
こんな話になると声も震える。さっき吐いたのにまた吐きそうになる。気持ち悪い、この女の子の顔がぐしゃぐしゃになる想像をするだけで胃をぐるりと回されているような心地になる。
中野さんは何も考えてなさそうな顔のまま続ける。私はショックを受け続けることしかできない。
「だあってさぁ、あの一倉にさえセックス拒否されるんだよ? ありえないって。目の前に女がいるのにビデオに夢中。私みたいなクズって結局男に寄生して生きていくしかないくせに、その男にすら拒否されるって、死じゃん、もう」
煙草の煙が消えた路地に、気の抜けた女の声がこだまする。羊山荘内で行われている変な情愛関係に愕然としつつ(人のことは言えないけれど……)、自然と口からはこう出ていた。
「中野さんって、求める側なの? 男性に求められるんじゃなくて?」
「はあ? あんたさぁ、ちょっと美形だからって調子乗んないでよね、あー、はいはい、そうです、一倉にすら相手にされない女だから死にたいんですう」
そうじゃなくて、そういうことを言いたいんじゃなくて。
中野麻衣は、姿形が綺麗な女の子だ。それは全員が認めるだろう。一倉洋輔と何があったかは知らないが、多分お笑いのDVDに夢中になっていて中野の誘いも聞こえなかった、とかだろう、どうせ。あの男だって、来るべき時が来れば女を相手にするだろうし、中野がちゃんと雰囲気を整えて、小綺麗なホテルで言い寄れば、喜んで食いつくだろう。落合進のように。
男に寄生するしかないクズ、それは私だって一緒だ。落合の認識では、「毎週AV女優赤川さやかを抱いてやっている」である。なんで私たちは、こんなに似ていて、こんなに違うんだろう。中野麻衣を目指して整形をした。初めて会った時の彼女のように清楚な服を着て上品に振る舞った。私がなったのは、ちょっと美形だから調子に乗っている赤川さやかで、死にたいくらい追い詰められている中野麻衣ではない。というか、一倉洋輔に求められなかったから死ぬなんて馬鹿馬鹿しすぎる。じゃあ落合進に嫌々体を提供している私は何なわけ? 気づいたら言葉に出てしまっていた。もう中野麻衣を許せそうになかった。
「じゃあ、落合くんに言い寄られたらどうするの? 中野さんは、一倉くんとどうなりたかったの?」
「えぇ? 知らないよそんなの、その時が来ないと分かんないよ……てかそういうのがめんどいから死にたいのよ、赤川にはわかんないよ」
「わかる、だって私は、あなたになりたかったから」
へ? と間抜けな声をだして、中野さんはこっちを見た。久しぶりに顔を見た。顔立ちだけを見れば、とても綺麗だ。身なりやまとった不幸そうなオーラを直せば、彼女は私の理想となり得る。
「今日生きたくても生きられなかった人もいる、って綺麗事でしょう? でも、中野さんの顔になりたくてなれなかった人もいるって考えてみて、それがここにいるの、死にたいなんて言える?」
「……何言ってんの、赤川。あんたミスコン出るんでしょ? なんで私なんかになりたいわけ? 超普通じゃん、私」
「だから違うって、それに私ミスコンなんて……」
出たら、もしかしたらどこかの誰かがアダルトビデオに出ている私を見つけてしまうかもしれない。冷や汗が背中を伝った。
慌てて口を塞ぐ。これ以上言ってはいけない。秘密を、彼女に握られてはいけない。
「……ま、死ぬなんて嘘! 明日パチ屋の新装開店だし。一倉なんかもうどうでもいい、勝ったらあんたにも酒でも奢るよ」
にかっと笑った笑顔の底、キラキラしていた一年前の彼女はここにはいない。中野さんは、ここで暮らすにつれて目の光が失われていっている。中野さんをこのようにした男たち、今なら一倉洋輔に苛立ちながら、私は嘘だったことに少しほっとして夜空を見上げた。でも中野のことだ、急にふらっといなくなってしまうかもしれない。
もう少し高いところに行かないと、月はみえない。
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