赤川さやか・1
私の名前は赤川さやか。どこにでもいる女子大生だ。
趣味はコスメ集めとファッション。最近カラーコーディネーターの資格の勉強も始めました。あとは、友達と表参道のカフェを巡るのも好きかな。あとは、他には、ええっと。
AV女優をしています。
「赤川さん、お疲れ。この後ホスト行くけどどう? 知り合いの子も来るって言ってんだけど、その子めっちゃ金使うからさあ、見てる方も気持ちいいんだよね」
六本木の某ビルで撮影を終えて、帰宅の準備をしている時、共演者の女優に話しかけられた。私はカーディガンの袖に腕を通しながら、愛想笑いを浮かべて断りの文句を述べる。男に金を使うなんて馬鹿らしい。男とは、搾取以外で関わりたくない。
伸びた茶髪を適当に巻いて後ろで纏めている、彼女の名前は加藤さん。単体で売り出されるようになると、キラキラした芸名をつけられてビデオショップに作品を並べられるけど、今回の私は複数乱交プレイの中のひとりでしかないので、源氏名すら不要であり、知られたくはないであろう本名で呼び合っていた。さっきまで裸で乱れていた仲だ、名前くらい知られても困らない。
「……あのさぁ、赤川さんって金何に使ってんの? 貯金? たまにはパーっと遊んできたら?」
「そうね、息抜きにはいいかも。でも今歌舞伎町って気分じゃないの、ごめんね」
今だけじゃなくて、ずっとそんな気分じゃない。
急いで着替えを終えようと思った。化粧直しの鏡台は満席だけど、みんな加藤さんみたいな人ばかり。誰とも話したくないし、ちょっと吐きそうだから、お手洗いに行きたい。みんな、よく平気で次の男とのアポに行けるよなあと思う。気持ちが悪くて仕方がない、吐き気を自覚したら一気に胃液が上がってくる感覚がしたので、加藤さんから逃げるようにその場を後にした。
「うっ、うえ、うええーー。さいっあく、飲まされるなんて聞いてなかった……」
いくらギラギラした六本木の中心でも、ビル自体は酷く寂れている。撮影場所は広くて綺麗な部屋だったが、更衣室や化粧室は最後に掃除した形跡が見られないほど汚い。一応洋式ではあるが、ウォシュレットも音姫もないトイレに入って鍵を閉めて、酔っ払いみたいに便器に顔を突っ込んで、喉の奥に絡まっていた精液を押し戻すように胃液を吐いた。汚れた床に膝をついていると、それだけでまた気持ち悪くなってくるので、何度か同じ行為を繰り返す。精液が、べったり張り付いている感覚は抜けない。
気持ち悪い、気持ち悪い、何よりいちばん気持ち悪いのは便器の底に溜まった水面に映る自分の顔。次はどこを弄ればいいんだろう。私はいつになったら「彼女」になれるんだろう、綺麗になれるんだろう。こんな仕事、してる時点で、何も……と思ったのが最後。私の意識は途切れ、ぼんやりとした記憶の中、赤いランプが視界に入った。
□
「身長は?」
「えーと、百六十五……くらいです」
「で、体重は?」
「三十八。拒食症ですね、彼女。あとこの痕なんだろ……整形? あ、腕ですか? ええと、うげえ、左腕に凄いのが……はい、日常的に切ってると思います、それもかなり深く。はあ、起きたら話聞かなきゃですね……えっと、赤川さやか、さん」
消毒液の匂い、看護師と思われる女性たちの会話、腕に刺された点滴の針。
あれ、私、と思い出そうとしても思い出せない。起きあがろうとしても体が動かない。仕方ないので、あ、あのう、と声を発したら、看護師のうちのひとりが振り返った。
「あら、起きた? 赤川さん。あなた血吐いて倒れてたのよ、良かったわねえ、周りに救急車呼んでくれる人がいて」
「え、ええ……?」
何も覚えてないけど、このワンピースを着ているということは、今日は撮影で六本木に来ていたはず。行為が気持ち悪くて昼食も喉を通らなかったけれど、それはいつものこと。じゃあ、終わったあと、帰り道か駅で倒れた、とかだろうか。
栄養失調です、と一言言われた。こんな、初対面の年上の男に裸を晒して奉仕して喜ばせて、それを全世界に配信されているような状況で、栄養なんか摂れるわけがないだろうと思った。
入院を提案されたが、すぐに断った。点滴で体調もかなり良くなったし、六本木の病院に入院なんて、たとえ一日だとしてもとんでもない大金を払わなければいけなくなるだろう。とんでもない大金は、持っていないという訳ではないのだけれど、なるべく使いたくない。貯金して全て整形費用に回したい。
はじめて整形したのは大学一年の夏。医者とのカウンセリングで、私は理想の顔として中野麻衣の写真を出した。この顔になりたいんです、これにしてください、と言った。医者は、かなり大掛かりな手術を何回もすると思うけど、と首を捻って困っていたが、私の覚悟は固まっていた。どんな仕事をしようとも、どんな場所に住もうとも、あの顔になるまで私は死ねない。
すでに目や唇など、手の出しやすいところからちまちまと整形を始めている。冬には実家に帰ると羊山荘の面々に嘘をついて渡韓し、鼻の手術をした。
それでも鏡に写る私は醜く、「彼女」になるにはまだ足りない。
中野麻衣の顔になるまで、私はこれをやめない。
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