一倉洋輔・6
「へへ、なんですか、なんでおっちなんすか」
気味が悪い。その顔、声、表情、全部全部、こいつは知っている。俺がお笑いの養成所に行きたいと言うことも。それがおっちにバレてはいけないとわざわざ警告されるということは、おっちにも秘密があって、もしかして……
「あ、あいつも芸人志望なんすか!?」
「あっはは、そんなわけなかろう。なあ、一倉くん、お笑いはここまでにしないか。二◯五のDVDも増えすぎだ、実家に送るか売るかしてくれ」
「あっ、はい……」
自然と小声になってしまう。丸まった背中、ニヤニヤ笑う羊山、差し込む夕焼けがやたら、何か始まりそうな予感がして。お笑いはここまでにしないかって、なんだ? 諦めろってことか? 羊山に何がわかるものか。用がないなら帰ってくださいと言おうとしたが、羊山は用があるから俺の部屋に来たのだ。
「養成所に通うのなら、大学は辞めるんだね?」
「……そうですね、稀に通いながら大学とか専門行くやつもおるにはおるけど、本気の奴は養成所一本です」
「せっかく手に入れた学歴を? 手放すのかい?」
「全寮制の進学校に入れてくれた両親には感謝してます。でも、ほんまにやりたいことはやっぱこれじゃなかった、何もなかった俺が、やっと今なんかに向かって努力しようとしとるんです、じゃあ、この辺で」
それだけを言いに来たとは思い難いなとは、この時から薄々感じていたのかもしれない。
嫌な予感が汗になって背を伝う。とにかく気色が悪くて羊山を追い返そうとした。玄関の便所スリッパに左足を通して、少しバランスを崩して機能しているのかしてないのかわからない靴箱に思いっきりぶつかった。いった、と反射的に声が漏れる。
「星亜学院大学、って知ってるかい」
まともに立っていられなくなった俺の腕を掴む羊山。人間は基本的に好きだが、こいつだけは好きになれない。人間じゃないんじゃないかとすら思う。また冷や汗が垂れた。何を言っているのかわからない、大学? 名前も聞いたこともないし、俺たちとは全く関係ないところだ。そこはお笑いの養成所と連携を取っていて編入を勧めてきた、といったところか。余計なお世話だ、俺は自分のことくらい自分で決める。……まだ決められてないけど。
「知らないっす、なんすかその、Fラン丸出しみたいな名前の大学」
「落合くんの通ってる大学だよ。星亜学院大学、情報研究学部のイノベーション学科。キミたちの通う東和大学を第一志望にしてたみたいだけど、受験で落ちちゃったみたいだねえ」
にったりと羊山は笑う。俺は少し力を入れて、腕を振り解いた。馬鹿らしい、確かに羊山荘の四人は同じ大学に通っているものだとなんとなく決めつけていたけれど、違うからなんだってんだ。昨日の天気くらいどうでもいい。嬉々としている羊山に少しだけ軽蔑の目線を向ける。
「別に、大学が違おうがおっちはおっちやないすか」
「キミが、その学歴を捨てて養成所に行くって言ったら、落合くんはどう思うかい?」
おっちは友達だ。俺の夢だって、話せば理解し、応援してくれるだろう。
……いや、本当にそうだろうか? 落合進という人間を、一度頭の中に思い起こす。人生まるごと何も考えていなさそうな中野麻衣や、比較的善人であると思われる赤川さやかに比べて、おっちはなんというか、言われてみれば、卑屈な面が強いように思う。目線は自分より相当低いところにあるけれど、斜に構えて周りを見下しているようなところが無いとは言えない。ステージに立って積極的に笑われに行きたい俺とは対照的に、おっちはプライドが高く、だから大学が違うことも知られたくない。学生証を貸してくれなかった件だって、代替出席してもらってるんじゃなくて、単に見せたくなかったんじゃないか。
「……そんときはそんときですわ、そこまでだったってことです、おっちに気遣う必要なんてないと思います」
「一年も一緒に暮らしてそんなものかい。キミ、さっきまで落合くんは大事な友達だって言ってたじゃないか、叶う確率もほとんどない夢のために、羊山荘まで裏切るとはねえ」
「あの、もう帰ってくれませんか。人の秘密バラして何がおもろいんすか、おっちは……今は、まだ、友達なんすから、やめてください」
羊山がついに不気味に見えて、追い出すように突き飛ばしてドアを閉める。
おっちが何だ、俺だって何の考えもなしに大学を辞めたい訳じゃない。合格した時は親族揃って祝ってくれたし、平凡に就職して平凡に生きるのが俺らしいと言えば、そうなのかもしれない。でも、叶うかもしれない、に賭けたかった。怖気付いて退学届すらまだ貰いに行けてないけれど。布団にぼさりと倒れ込み、頭を抱える。全ての選択から逃げたかった。つけっぱなしの扇風機が、慰めにもならないぬるい風を送ってくる。
大体、おっちが勝手に嫉妬してるだけじゃないか。点数が足りなかったのが悪いんじゃないか。彼にどうしてもネガティブな感情をむけてしまうのは嫌だけど、ゴミ捨て場の前でトラックに轢き殺されていたカラスを見る光のないあの視線が、まとわりついて離れない。
「羊山、そう、羊山のせいだ、あいつが余計なこと言うから……」
タオルケットをかぶって、独り言を繰り返す。
いつかおっちに指摘された、不自然な関西弁はすっかり消えて、普通の新潟語が部屋に消えていく。
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