一倉洋輔・4
「日傘。紫外線はお肌の大敵でしょう?」
赤川さやかは、出来の良い合成写真みたいだと思う。
お世辞にも綺麗とは言えないアパートの一室は、この綺麗な女の子の住居だ。シャツと短パンで平気な顔をして、駅までくらいは移動する俺たちとは見るからに格が違う、お嬢様然としたオーラを纏った、まるで人形のような整った子。寝癖も直さずゴミ捨て場横の階段にたむろしている三人にも分け隔てなく笑顔で挨拶をする姿は、汚い溝に咲く花のように、イレギュラーそのものだった。
こうして話しかけられると、ホームレスが餌付けされているみたいな気持ちになる。マイちゃんが毒づくのも少し分かる気がする。特に同じ女性という立場のマイちゃんからすると、こういうのって、自慢とかマウントだったりとか、そう受け取られても仕方ない。
男だったら、羊山あたりにもこんな感情になることがある。あいつはろくに苦労もせずに、好きなことをして遊び呆けていて羨ましい。本当に遊び呆けているわけではないだろうけど、俺たちからすると、羊山荘という狭い世界でお互いを出し抜かないように、細かいところまで一々気にしながら生活している中に突然現れて、たった一言でその場の主役を奪っていくような狡さを感じる。人生において成功するやつ、無条件で主人公っぽいやつ。次の舞台でもチョイ役しかもらえなかった自分とは全然違う。そもそも、本当にやりたいことは演劇とはちょっと違う。
ステージに立って、拍手と歓声を浴びるだけじゃ物足りない。あの日感銘を受けたように、サンパチマイク一つで広い劇場全部を沸かしたい。人を笑かすって、なんて凄い職業なんだろうと思う。
羊山のように生きられたら、大学なんてすぐにやめて養成所に入るだろう。ただ、「普通であらなきゃいけない」という呪いみたいな世間論が常に脚に絡み付いている。演劇だって、大学だって楽しい。このままの成績を維持していれば就職で困ることもないだろう。でも、本当にそれで良いんだろうか。テレビの向こうの憧れの人たちを、指を咥えて見ているだけなんて。
「で、いっちはどう思うわけ?」
突然話を振られて我に帰る。変な猫が描かれたTシャツを着たおっちは、相変わらず光のない目で俺を見た。ゴミ捨て場にしゃがみこんで煙草に火をつける仕草は、ヤンキーになりたての中学生みたいでちょっと面白い。
「ごめん、何の話?」
「だからー、これ話すの三回目よ、日傘って別にいらないよねって話。私女子だけど雨降ってる時しか傘ささないもん。赤川は意識が高すぎんのよ、肌くらいちょっといい化粧水塗り込んでればなんとかなんのよ」
階段に座っているマイちゃんがひらひらと手を振る。まだ日傘の話しとったんか、と思った。そういうところが好きなのだけれど、羊山荘の人間は生産性のない議論ばかりする。フリールームの二◯五には大量にボードゲームが置かれているが、ウノで手札に特殊カードを残したまま上がっていいか、人生ゲームで銀行役を買って出るやつには多少ゲーム面で優遇すべきだとか、そんなしょうもないことを夜が明けるまで騒いでいたりする。さやぴはその中でも一歩引いて笑顔で見ていることが多く、言葉少なに酒だけを飲み続けている。そんなさやぴを一発ギャグで笑わせた時は、めちゃくちゃに嬉しい。マイちゃんとおっちは少しでも酒が入っていたら基本何でも笑い転げるので参考にならない。
「肌の強さ弱さとかもあるし、人それぞれちゃう?」
「そうね、私はデザインが可愛いから使ってるけど……」
営業用の笑顔を浮かべ、傘をくるくると回すさやぴは、マイちゃんたちにあんなに言われても困っているようでもなかった。一年も一緒に過ごすと住民の無神経さにも慣れるものらしい。
しかし、いつまでも意味のない会話を続けていられるほど暇ではない。そろそろ切り上げて大学に行く準備をしようかと思い始めても、三人は次は夏みかん味だというスタバの新作の話を始める。マイちゃんに言わせると、意識の高いさやぴのような女はカロリーの高いフラペチーノなんかは飲まず、ソイラテを選ぶらしい。グランデサイズを駅で買って教場に持ち込む派のおっちは、淡々とダークモカのおいしさを語っているが、百分もある講義の中で腹でも壊したりしないのだろうか。
「ごめん、そろそろ俺支度……」
そう、言いかけた時。初夏のぬるい風が落ち葉をふわりと浮かせ、ついでにおっちの吸っている煙草の煙までこちらに来て少し咳き込む。足音が聞こえる。
規模はありえないくらいにショボかったけれど、ヒーローの登場みたいだと、直感が告げた。それもそのはず、煙を払って向こうを見たら、映画やドラマの範疇を超えた「主人公」である羊山幸一が居たのだから。ほんまに全員集合や、と呟いた。五人揃うことなんて滅多にないのに。厄日みたいである。
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