一倉洋輔・3

 マイちゃんは、次の日の朝素知らぬ顔でゴミ出しに来た。俺はどうにも気まずくて、あいさつすら躊躇いそうになったが、いつも通り燃えるゴミと燃えないゴミをぐちゃぐちゃに詰め込んだビニール袋を突き出して、眠そうに目を擦る姿を見て、もしかしてコイツ、全部覚えとらんのかな、と思った。それならそれでいいんだけど、心の奥底では複雑な気持ちになる。「天職」と言われた事実だけは、なかったことにしたくない。


 「……昨日のさ、居酒屋のネタ、面白かった」


 少しだけ俺から目を逸らして、バツが悪そうな表情を浮かべるマイちゃん。こういうところだけ見ればアンニュイな雰囲気を纏った美人なのだが、昨日の鮮烈な事件は心の中から消えない。記憶、あったんかい。心の中でツッコミを入れて、「あんま気にせんでええよ、マイちゃんにもいろいろあったんやろ」と濁しておいた。

 マイちゃんからの返答はない。朝の住宅街を、学童たちが楽しそうに話しながら駆けて行く。俺はマイちゃんに会話のキャッチボールを放り投げてそのまま試合中断を告げられたような気持ちになった。子供でもできるコミュニケーションが、今は難しくてわからない。

 なにかギャグでも、と軽く口を開きかけた時、カタン、カタンと水色の階段が軋む音がした。思わず見上げてしまう。気怠そうな寝起きの顔で現れたのは、二○二に帰ってきたおっちこと落合進だった。おっちの両手には一応分別されたゴミ袋が握られており、階段の数段上からおはよ、とだるそうな声を投げかけてくる。


 「朝から二人揃って、アツいじゃん」

 「……」


 俺とマイちゃんは、目を合わせて黙り込む。おっちは茶化して言ったつもりなんだろうが、今は笑えない。好きなコンビの活動休止くらい笑えない。


 「あれ、僕なんかまずいこと言った?羊山荘内で付き合うとかやめろよ、キショいから」

 「……そんなわけないでしょ。落合こそ、昨日は赤川と密会だったんじゃないの?」


 少し怪訝な表情を浮かべたおっちに対しマイちゃんが出したのは、あまりにも無理やりなこじつけだった。俺が知っている限り、おっちは昨日サークルの仲間と、さやぴはバイト先の友人と、それぞれ別の場所に行っている。もしかしたら嘘かもしれないけれど、二人が嘘なんかつく理由がない。前にもこの二人は同じ講義を取っていて、他の仲間も何人か含めた勉強会のため羊山荘を一日離れたことがあった。おっちとさやぴが同じ日に泊まりに行くのは、さほど珍しいことではない。


 「面白くないこと言うなって。赤川さやかにはどうせ彼氏もパトロンもいるだろ」


 おっちはいよいよ本当に嫌そうにして、ゴミ袋をぼかぼかと捨て場に放り投げる。それを見ていたマイちゃんが、さも面白いことが起きたように、無理やり盛り上げようとして囃し立てる。


 「え、パトロンだって、古くない? 今の子ってパパ活っていうよね?」

 「よせよせ、おっちは現代時空から切り離された土地、四国の出身なんやから」


 ぱし、とマイちゃんの肩を叩いた。マイちゃんは機械のスイッチが入ったように、あははと声を出して笑う。俺とマイちゃんの間の気まずい空気はいくらか和らぎ、おっちには悪いがちょっと、ありがたいなんて思ってしまう。


 「……るっさいな、田舎から来てるのはみんな同じだろ」


 晴天の空の下、暗い表情のままのおっちはポケットからセブンスターを取り出す。一本貰おうとしかけたマイちゃんが、不機嫌を察して諦める。

 特に朝は、俺はメンソールの煙草を吸って頭をすっきりさせたいので、そのタールの重いヤニにお世話になることは無い。自分の内ポケットから緑色のパッケージとライターを取り出した。

 マイちゃんもわざわざ部屋まで煙草を取りに行く気は無いようで、水色の階段に座り込んだ。相変わらず丈の短いスカートで行動するよなあ、と思う。


 「……今日は、ふたりとも授業?」

 「私は一限、あったけど行ってない」

 「相変わらずやなあ」


 こうして三人で、しばらく朝の爽やかとは言い難い時間を過ごしていると、すぐ近くからカタカタと小気味いいヒールの音が聞こえてきた。マイちゃんが嫌そうに振り返る。おっちは最早見向きもしなかった。予定調和のようで、やはりやってきた「彼女」には、映画やドラマの登場人物のような人間味のなさを感じた。

 真っ白のワンピースを身にまとい、日傘を差し、髪の毛をくるんと巻いた美人、赤川さやかがそこには立っていて。「おはよう、みんな揃って何してるの?」と微笑んだ。


 「……その傘、なんか意味あるの?」


 階段に座って脚を組んでいるマイちゃんが、静かに言い放つ。水でも打ったように、場は張り詰めて静かになった。ああ、俺はこういうのが苦手なんだった。

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