落合進・6

 さやかが今日帰らないことを、偶然会って聞いただけと誤魔化した。いっちも中野も簡単に騙されてくれた。しかし、この男だけはそういうわけにはいかない。腕組みをして、夏の夕暮れの下、電柱の影に上手く入り込んでいる彼を見やる。

 羊山幸一というらしい。公的な書類できちんと確認したことは無いけれど、この変な男が僕らのアパートの管理人だ。

 見た目にこだわりは無い。髭を生やしてアロハシャツを着ていることもあれば、英国の紳士のような服を纏っている日もある。共通しているのは「近寄りたくはない」の一点のみで、例え都会の電車でこいつの隣しか席が空いていなかったとしても、大半の人間は吊り革に捕まる方を選ぶだろう。近寄りたくない、にも種類はある。羊山はオーラがあるというか、彼の横に立つと彼こそがその瞬間を切り取った映画の主役であり、僕ら一般人は脇役に過ぎないということをまざまざと思わせてくるようなタイプで、それが羊山荘に住む四人それぞれの細かいコンプレックスを刺激していた。こんな、僕らと歳も変わらないようなやつが。


 「赤川くん、今日は港区のオフィス通りに用事があると言っていたね」


 この変な感じの喋り方は、幼少の頃同じアニメばかり何度も繰り返し見ていたら、登場人物の博士の口調が移ってしまい、直す気もなくそのまま育ったらしい。僕はこのエピソードを聞いた時、本当になんの脈絡もないけれど、これが東京か、と思った。


 「仕事でしょ、ほんとよくやりますよね。顔出しなんて、いつかバレるだろうに」

 「中野くんじゃあるまいし、彼女にはそんな隙はないように見えるね。むしろ過剰なほど自分を守りぬいている。そこを漬け込んでいる落合くん、キミは、大悪人だ」


 言われたとおりだし、言わせておけばいい。煙草の煙が夕方の空に、変な円を描きながら飛んでいく。僕はずっと、羊山が今日着ているパチンコのキャラがプリントされたシャツの、左端にいる青い髪の女の子の鼻あたりをじっと見ていた。こんな奴と直接目を合わせるなんて、できそうもなかった。


 「ですから、僕の秘密も握らせたんです。さやかは損得勘定でしか人を見れないような人間だから、対価として僕の弱みも見せたんです」

 「だからといって、毎週抱くこともなかろう」


 かっと顔が熱くなる。

 赤川くん、愚痴っていたぞう。あはは、と羊山は笑った。その下駄を鳴らしているような、軽快ではあるけれど普段聞くようなことはない笑い方を、僕は素直に奇妙だと思った。

 まるで羊山だけが全部知っていて世界が動いているような感じだ。

 小学生の時、僕を含めた友達のグループが夢中になってやっていた携帯ゲームで、ひとりだけやたら強い奴がいた。モンスターの能力値がありえない数字を出し、話すことが出来るはずの人間キャラのセリフが全て文字化けしていた。そいつは改造コードを使って所謂チート行為をしていた訳だが、羊山にはそういう類の気持ち悪さがある。

 未だにスロットなどで七が揃っていると不自然な気分になる。中野やいっちは同じ数字が並ぶと嬉しいと言うけれど、マーク試験で同じ番号が続いたら不安になってくるのが人間の性質じゃなかったっけ。

 羊山が全ての答えを知っているかと言われれば当然NOで、さやかが港区の、どういうホテルで、どういうビデオを撮るのかは知らないらしい。僕も別に興味はなかったが、インターネットで時々さやかの出ているビデオを見て、書き込まれている知能の低いコメントを見ては、ふん、僕は本物を抱いてるんだぞ、と浸る行為は偶にすることがある。むろん、あのアパートの壁を突き破って中野麻衣が登場し、僕のスマホを指さして、それ赤川さやかじゃんと声高らかに叫ぶ可能性も、羊山荘ならゼロではない。だから外出先のトイレや勉強目的で入ったネットカフェや、さやかの秘密がバレないようにはある意味、自分の秘密と同じくらい細心の注意を払っている。なぜなら、さやかが死ねば僕も死ぬからだ。Fラン大学生とAV女優の住む羊山荘は、想像もつかぬ急展開を迎えることになる。


 でも、羊山は、僕の秘密もさやかの秘密も知っている。なんなら、いっちの秘密も知っているという。教えてくださいよ、と冗談半分で問いかけると、「所属している劇団サークルで、本当は主役をやる予定だったのに、急に木の役に変更させられたらしい」と、さもこの世で一番面白いものごとかのように語り、またからからと笑った。

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