中野麻衣・5

 そうだわ、と思い出して、漫画のように手を叩いた。今月の仕送りが、そろそろ入っているはず。なんだかんだ子供に甘い私の両親は、私がこんな生活をしていることも知らずに、毎月せっせと働いてはお金を送ってくれる。

 そりゃあ奨学金だって借りてるし、アルバイトを辞めてからは羊山荘の誰かから常にたかってるし。親的にも羊山荘にとっても、死ぬのはあんまり良くない。

 うーん、とまた漫画みたいに首を傾ける。目的はなるべく早い「死」のみ、就職先は天国。新町通りをのんびりと歩く。物件探しに初めて東京に来た時、この辺で良い感じのアパートを見つけたのに、大島てるを見たらばりばりの事故物件だからやめたことを思い出した。あの頃の私は憧れの東京にはしゃぎ倒し、目に見える全ての建物が素敵に思えた。素敵な生活を送るため、事故物件はダメ。できればオートロックがいいわ、家賃は五万以内って、とことん浮かれていた。

 今私が死ねば羊山荘も事故物件扱いとなるのだろう。事故物件として空いた二〇一には、私と同じ変な人が住むのかな、と考える。そいつが仮に居たとして、二〇五で楽しく酒を飲んだり、落合と煙草を吸ったり、一倉とゴミ出しの件で揉めたり、赤川の女子力にボコボコにされたり、なんだかんだで楽しく暮らし、最後はみんなの大学卒業を祝うんだろう。

 なんか、それは嫌だな、と思ってしまう。

 夏の熱気は視界を揺るがし、ちゃんと洗ってきた肌に汗が滲む。便所スリッパは、ずしゃ、ずしゃと重い音を立てて、憧れだった東京の住宅街を進む。やけに歪んだ私の影と、片方の持ち手が欠けたシャンプーとリンスの箱。煙草をもう一本吸うより、あと少しだけ涼しいところに居たい。

 羊山荘が事故物件になるのはともかく、別の誰かが「羊山荘に住むことによって得られる恩恵」を享受するのは、なんとなく嫌だった。


 「やっぱ死にたい……」


 冷房がガンガンに効いた、この東京における涼しい場所の頂点ことパチンコ屋、それは羊山荘を出て少し歩き、駅の方まで出てドトールと学習塾に挟まれたところにこぢんまりと置かれている。

一階がなにかの事務所で、二階と三階がパチ屋。華々しい音を立てて出る玉の音と、ボーナスを知らせる派手な効果音で店内は思わず耳を塞ぎたくなる……といったことは、もう無い。慣れるとこんなもの、羊山荘で誰かが騒いでいるのとさほど変わりはない。むしろ、東京の人混みのようで心地良い。

 私は二階の奥で回るスロット台を間抜けの代表みたいな顔で見ながら、ちんけな赤いベンチに座っている。


 「麻衣だけに、マイジャグってか」


 去年の十一月まで付き合っていた人が、新宿北口でよくやっていた。唐突に私を呼び出して、閉店まで回しといてくれ、この台設定六だから、絶対当たるから、当たった金で箱根に行こうと言われ、その人は友達とご飯に行った。

 新宿北口のゴミみたいなスロットを打っていると、近くの気のいいおじさんが、嬢ちゃん、この台当たるよ、と教えてくれることがある。しかし私は彼氏に「俺の台だけ打ってくれ、絶対当たるから」と言われているから、ありえないくらいの喧騒の中、笑って誤魔化すしかできない。そういって人の優しさを無下にした日は絶対当たらない。彼氏は東京出身で、私には少々眩しすぎたみたいだ。それでも当たると嬉しいし、彼氏のメダルが尽きたら私の財布から残金を回した。結局、箱根に行けるほどのお金が貯まることはなかった。

 遠い思い出、「麻衣だけに、マイジャグってか」と綺麗に矯正された歯を見せて笑った元彼が、今は憎くて仕方がない。ある日突然連絡が付かなくなって、全てのSNSをブロックされて、別アカウントで覗いたらガンガンストーリーを更新していた元彼に変わって、中野麻衣は世田谷でマイジャグラーをたまに回している。

 とりあえず仕送りの一万を突っ込んで大負け、さらに財布の中にあった三千円でようやく当たるも収支としては当然マイナス。頭が痛くなってきた、今月大丈夫かな。またバイトしなきゃだよなぁ、と頭を抱えて、コンビニか薬局かスーパーかで迷い、薬局が一番楽、だって狭いしと思い立ち、ぱっと顔を上げたら、よく見知った奴が満面の笑顔で、目の前に立っていた。


 「マイちゃん、授業も行かんで打ってても、ジャグラーの神様は降りてきいひんよ」

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