――CASE2:【その人形劇は誰が為に】――前編


 ――CASE2:【その人形劇は誰が為に】――


 アレリア王国西部――〝堕落都市ブクレシュ〟北区――人形師通り。


 空は曇天。

 土埃と瓦礫が支配する、廃墟と化した大通りに戦闘音が響く。


「レムレス先輩! 後ろからも!」


 短めの銀髪を翻しながら細身の女性が、迫る人の形をした砂の塊――サンドゴーレム――を銀色の剣で切り裂いていく。纏っている冒険者ギルドの制服は汚れており、スカートや袖の端がところどころ破れているところを見るに、ここまでにかなりの数の戦闘をこなしてきたことが窺い知れた。


「ちっ、領域に踏み込んでしまったか。ルーナ、撤退するぞ」


 銀髪の女――冒険者ギルドの新人保険調査員であるルーナに、背中合わせに立っていた、長く豊かな赤髪を後頭部で縛っている背の高い男――レムレスがそう指示しつつ、通りに面していた建物の中へと飛び込む。


 その建物は元々は、何かの店舗だったのだろう。割れたショーケースの中には、朽ちた人形の腕や各部位のパーツが転がっていた。


 レムレスに続いて店舗の中へと逃げ込んできたルーナが追っ手を迎撃しようとするが――


「……あれ、襲ってこないですね」


 サンドゴーレム達は、レムレス達を襲っていたのが嘘のように、何事も無かったかのように大通りを歩き始めた。


「おそらくあの大通り全体が奴らの領域で、そこから出さえすれば襲ってはこないのだろう。店の中は範囲外と踏んだが、正解だったか」


 レムレスがようやく一服出来るとばかりに煙草を取り出し火を付けた。ジッポウの蓋が開く、澄んだ金属音が響き、紫煙が揺れる。


「厄介ですねえ……この遺跡は」

「かつて栄華を誇った街、ブクレシュ。新たに発見された遺跡だが、俺らにもD級案件が回ってくるのも頷ける」


 レムレスとルーナはとある案件の調査でこの遺跡にやってきていた。


 案件の等級はD。とある冒険者が探索中に死亡し、その現場検証をやっていたところ、うっかりサンドゴーレムの領域内に踏み込んでしまったのだった。


「調査も終わりましたし、さっさと帰りましょ。早くシャワー浴びたいです……」


 ルーナが土埃と汗で汚れた髪の毛を触って、溜息をついた。


「そうだな。サンドゴーレムの巡回パターンを見極めてからになるから……もう少しここにいるぞ」

「うへえ……」


 レムレスが窓際に移動し、大通りを歩くサンドゴーレム達を観察する。


「……なんとも気味が悪い光景だ」


 サンドゴーレムは形だけを言えば、人と同じだった。それらが、まるで人と同じように大通りを歩き、廃墟となっているはずの、大通りに面した店舗のショーウインドウを覗いている。中にはまるで、恋人同士のように手を繋いで歩いているゴーレムもいた。


 無人の廃墟で、人を象った異形が、人の猿真似をしているその様は、悪趣味な人形劇を観ているようで、気分が悪い。そんな気持ちが顔に出たのか、レムレスが苦笑いする。


「先輩、見て下さいよこの腕。見た目も質感も人の腕とそっくりですよ」


 暇潰しに店内を物色していたルーナが白い女性のらしき腕のパーツを手に取った。


「あん? ああ、そりゃあそうだ。それ、だからな」

「……ぎゃああ!!」


 ルーナが悲鳴を上げながら慌ててその腕を投げ捨てた。


「なんで本物の腕が!?」

「悪名高いブクレシュの人形師達……その悪意の傑作――フレッシュゴーレムのパーツだよ。おそらく防腐加工がしてあるのだろうが……まだ腐っていないとはな」

「ふ、ふれっしゅごーれむ……?」

「歴史の勉強ぐらいしろ」


 レムレスが溜息をつくと、語り出した。


「前竜歴897年、このブクレシュは現代よりも高度に発達した魔術と科学力があってな。その結晶とも言うべきものが、ゴーレムだ」

「そもそもゴーレムってなんなんですか」

「簡単に言えば動く人形だな。ゴーレムは、その身体を形成する素材で名前が変わるのだが、例えばさっき襲ってきたのは、主に砂で構成されているサンドゴーレムだ。まずは素材で形を作り、そしてそれに令珠れいじゅと呼ばれる物が埋め込まれる」

「令珠――ああ、さっき斬った奴もなんか小さい丸っこいのが埋まってましてね。あーそうそう、これこれ」


 そう言ってルーナがショーケースから、拳程度の大きさの球状の物体を取り出した。表面には複雑な回路が刻まれている。


「……あんまりやたらと触るなよ。まあいい、それが言わばゴーレムの核であり、心臓であり、脳なんだ。そこに人形師によってそのゴーレムが取る行動パターンや守護する領域などの情報が魔術で刻まれるんだ」

「凄いですね。自律人形は現代の技術でも作成は不可能と言われているのに。これを使えばまた使えるのですかね?」

「無理だよ。ここが廃棄されて何百年経ったと思っているんだ。原形は保っているものの、中の魔術はとっくに切れているだろうさ。大通りを歩いているサンドゴーレムは、シンプルな命令しか刻まれていないからこそ、今でも機能している。よく見れば同じパターンの行動しか繰り返していない。あくまで刻まれた行動しか取れないんだよ。それでも戦闘時の行動ロジックは大したものだが」

「確かに人を凌駕するスピードと攻撃力でした。ま、私からすれば、素直すぎる攻撃ばかりだったので戦いやすかったですけど」

「お前が化け物すぎるんだよ……本来サンドゴーレムを複数相手にして無傷でいる方がおかしいんだぞ」


 レムレスの言葉に、ルーナが嬉しそうに笑った。


「えへへ……先輩って地味に私のこと褒めてくれますよね」

「……うるせえ」

「あ、照れた」

「照れてない。話を続けるぞ……まあ、とにかくこの都市はゴーレムによって発展し、栄華を極めたんだが……見ての通り滅びた」


 そう言ってレムレスが煙を吐いた。白い煙が漂い、そして儚く消えていく。


「ゴーレムに労働を任せたこの都市の人々は快楽に走った。ただ己の欲望のままに生きた結果――外見も中見も、そして何より、動きや反応までも人とほぼ同じである、史上最低最悪の発明品とも呼ばれるゴーレムが生まれた。それが、さっきの腕の正体だよ」

「フレッシュゴーレム……でしたっけ」

「そう。さっきのパーツも女性の物だっただろ? 作られたフレッシュゴーレムは殆どが女性型か子供型だった……まあつまりはそういうこった。中には、奴隷や召使いとして使う者もいたそうだがな」


 その言葉の意味が分かり、ルーナが顔をしかめた。


「とはいえ……俺ら死霊術士ネクロマンサーがとやかく言うことではない。死体を動かして悦に入るって意味じゃあ……同じ外道だ。フレッシュゴーレムはな、死体を加工して作ってるんだよ。死霊術士が操るアンデッド兵と大差ない。せいぜい、肉体の鮮度ぐらいだろうさ」


 自虐的にレムレスが笑った。全くもって人の事が言えない。その瞬間、彼の頭の中で一人の女性の声が再生される。


 〝私を――使レムレス……それしか……貴方が生き延びる方法はない〟


 レムレスは首を横に振って、その美しき亡霊の声を頭の中から追い払う。


「……大丈夫ですか?」


 その様子を見て、ルーナが心配するような声を出した。


「大丈夫、気にするな。まあ、結局フレッシュゴーレムを容認する、しないで都市内部は分裂し、最後にはとある優秀な人形師によってゴーレム達の命令が書き換えられ、暴走。結果、人々は滅び、当時の命令を今もなお守る、主なき人形達の街になったのさ。だからこの街はこう呼ばれている――堕落都市とね」

「悲しい話ですね。人も、人形も」


 いつの間にかレムレスの隣に来ていたルーナがそう呟いた。


「そうだな。ま、いずれにせよ現代では再現不可能な代物だよゴーレムは。馬鹿な研究者共が目の色変えてこの遺跡を調査し始めるのも時間の問題だろうがな。うっし、パターンは大体掴めた。行くぞルーナ」


 そう言ってレムレスが煙草を携帯灰皿に捨てると、立ち上がった。


「はい。後ろは任せてください」

「頼りにしてる」


 頷き合った二人が通りへと飛び出す。


 再び、悲しき人形達が蠢き始めた。



☆☆☆




 アレリア王国王都、冒険者ギルド本部内――保険調査部


「部長、〝12D〟の調査報告書です」


 歴戦の戦士のような佇まいの、この保険調査部の長であるドライフが、レムレスから報告書を受け取り目を通していく。


「……これ書いたのはルーナか」

「そうです! めっちゃ頑張りました!」


 自分のデスクに座っていたルーナが声を張り上げるが、レムレスとドライフは目を合わせ苦笑する。


「お前には聞いてねえぞルーナ! ったく……元気だけは一人前だな」

「俺もちゃんと目を通したので問題ないと思いますよ」


 実は、五回近くも書き直しをさせたのだが……それを言う必要もないだろうとレムレスは思い直し口を閉ざす。


「うっし、これで上に上げておく。ああ、そうだ。これ頼めるか」


 そう言って、ドライフがファイルをレムレスに渡した。


「これは……?」

「ギルド本部長直々の〝再調査依頼〟だとよ。しかも、お前を名指しで指名してきたからな。この忙しい時に……」

「ギルド本部長が、俺に?」


 ギルド本部長とはつまり、この国の冒険者ギルドのトップである。そんな人間が再調査依頼をしかも自分に?


「先輩、再調査依頼ってなんですか。いや、字面で何となくは分かりますけど」


 いつの間にか横に来ていたルーナがそう言って、レムレスが開いているファイルを横から覗いた。


「俺達が保険金支払いを却下した案件について、受取人はそれに対し異議申立出来る制度があるんだ。それが通ると、一度調査して案件について、もう一度再調査する必要性が出てくる。これが再調査依頼だな。ただし、ほとんどの場合が実際に調査されずに、そもそも異議申立が却下される事がほとんどなんだ」

「でも、これは通ったって事ですよね」

「……受取人の名前を見てみろ」


 ドライフが苦々しい顔をして顎をしゃくった。


「――受取人は……エヴァ・アグニア。アグニアという家名といえば」

「彼女はこの国の魔導産業のトップ……【アグニア重工】を牛耳るアグニア家の親族だ。幸い直系ではないようだが……」


 アグニア重工。元々は魔術師の家系だったらしいが、百年前に魔導産業の先駆けとも言える冒険者向けの武具の製造販売を開始し、今ではその名やロゴを街で見ない日はないほどだ。王国軍の最新装備も手掛けており、その影響力は計り知れない。


 政治家、王国軍、そしてアグニア重工のお得意様である冒険者と関わりのあるこのギルドも、当然アグニア重工とは深い関係がある。名目上は独立組織である冒険者ギルドだが、その政治力、影響力を無視できない。


 そんなアグニア重工の関係者となれば、流石に異議申立を調査もせずに却下するというわけにも行かないようだ。


「本部長は、うちのエースであるお前が再調査すれば向こうさんも納得するってことでお前を指名したんだろ」

「……もうその案件通して、保険金払った方が結果損しないのじゃないですか」


 レムレスがそう言って溜息をついた。新発見されたあの遺跡のせいで、日々案件が増えつつある。こんな上同士の政治の為に、何の足しにもならない調査をする暇はないはずだ。


「俺だってそう思ったがな。厄介なのが保険金が目的じゃないところだ。ったく、うちを探偵か何かと間違えてやがる。とにかく、このエヴァ嬢は11時にはこちらに来るそうだ。詳しいことはファイルに書いてあるからよく目を通しておけよ」

「……了解です。ルーナ、行くぞ」


 レムレスが時計を見ると、既にもう10時半を過ぎていた。


「は、はい!」

「心配はしてないが……くれぐれも失礼がないようにな。特に、ルーナ! お前だ!」

「はい!! 黙って横に座ってます!」


 ビシッと敬礼のポーズを取るルーナを見て、ドライフが溜息をついた。


「頼むぞレムレス……」

「分かってますって」


 去っていく二人を見てドライフは少しだけ心配するも、すぐに頭を切り替え、目の前に積み上がった仕事の山に取りかかった。


☆☆☆


 冒険者ギルド本部――応接室。


「お待たせしました」


 レムレスが頭を下げて中へと入り、ルーナが無言でそれに続く。


 まだ約束の時間の十分前だと言うのに、応接室のソファには既に男女二人が座っていた。


「いえ……無理を言ってすみません。私が、再調査依頼をしましたエヴァ・アグニアです」


 そう言って立ち上がったのは、美しい女性だった。雪のように白い肌に、白い髪。目は冬の湖のような澄んだ青で、顔立ちは怖いぐらいに整っている。しかし、地味な黒のワンピースドレスを着ていて、顔には憂いの表情が浮かんでいた。


 喪に服しているよう……そうレムレスは感じた。


「俺は付添人のタロスだ。エヴァは今心身共に危なっかしいからな」


 そう言ってエヴァの手を握りつつ立ち上がったのは、いかにも冒険者といった風体の黒髪の青年だった。魔術師向けの軽鎧を纏い、魔導杖と大型のナイフが腰に刺さっている。


「もう大丈夫って言っているのに……タロスは心配性だわ」

「そう言うなよ。俺だって不安なんだよ。親友が目の前で自殺したんだ。お前まで亡くしたら俺は……」

「アダムは自殺なんかしてない……あれは自殺ではないはずよ」

「まだ言うのかエヴァ、あれは――!」


 言い合う二人を見て、レムレスがコホンと咳払いした。


「あー、話はこれからゆっくりとお聞きしますので……とりあえずお座りください」

「すみません。お見苦しいところを」

「ルーナ、飲み物を用意してくれ。お二人ともコーヒーでよろしいですか?」


 二人が頷いたので、ルーナが部屋の隅にあるコーヒーメイカーへと向かった。


「まずは、自己紹介をさせていただきます。私はレムレス、ここの保険調査部の調査員をしております。コーヒーを入れてくれている彼女は、ルーナ。新人で、研修の一環でここに参加しているので、分からない事があれば私に聞いてください」


 レムレスが微笑を浮かべるが、エヴァは無表情で頷くだけで、タロスは気に食わないといった態度を崩さない。


「さて。一応確認しますが、今回、再調査依頼をする案件は――アダム・エメースさんの死亡事件に関して……ということでよろしいですか」


 レムレスが一瞬、資料へと目を落とす。そこには整った顔立ちの青髪の青年の顔写真が貼ってあった。死因が死因の為、死体の顔ではなく生前の写真になっているが、それこそがこの案件の被保険者であるアダムだった。


「はい、その通りです」

「この案件について私は担当ではありませんでしたので、担当官の報告書を元にこちら側の見解を述べていきますね。訂正箇所があれば、気兼ねなく仰ってください」


 レムレスは一呼吸置くと、語り始めた。


「事件発生日時は6月25日……つまり五日前になりますね。現場は、王国南部の〝砂宮魔殿〟にある冒険者街の一つであるラクレス――」


 冒険者街――それは、遺跡の周辺や内部に冒険者や商人によって作られた街だ。基本的に遺跡と王都は転移装置によって繋がっているが、遺跡の規模によっては現地に数ヶ月籠もりっぱなしの冒険者達も出てくる。そんな冒険者達が休んだりアイテムを補給したりする為に、商人達が作った仮設の市場が始まりとされている。


 最近はそのまま住み着く者もおり、街と呼ぶに相応しい規模の物も現れはじめていた。


 さらに、今回事件が起こったラクレスは元々遺跡近くのオアシスにあった廃墟を元に作られた街で、そこそこの規模を誇っている。


「そのラクレスの中央広場にある、〝陽神の塔〟――ここが事件現場ですね?」


 レムレスがそう問うと、二人が頷いた。同時にルーナがコーヒーを二人の前に置いて、レムレスの横に座った。


「そうです。今でも、あの光景が脳裏によぎります」

「エヴァ……もう忘れろ」


 タロスがそう言って、コーヒーに口を付けた。しかし、エヴァは手を伸ばそうとすらしなかった。


「でも……」


 そんな二人の様子をルーナが観察する。資料によれば、タロスはアダムと組んで冒険者をやっており、エヴァはアダムの恋人だったそうだ。アダムは、剣と魔術を使う魔法剣士で、タロスはそれを後方からサポートする付与術士だと、資料には書いてある。対象の能力を向上させる付与術は使い手があまりおらず珍しいのだが、いないわけではない。


  そして恋人が死に、悲しみにくれたエヴァをタロスが慰めているのだろうとルーナは推測する。それはよくある話であり、特になにも感じないが、ルーナの目から見て、エヴァはまだアダムの事が忘れられず、そしてタロスはエヴァに恋慕しているのが分かる。


 本当に……よくある話だ。


 レムレスがその様子を見ながら、適切なタイミングで口を開く。


「辛いとは思いますが、話を続けます。時刻は夕刻およそ16時30分頃。丁度、中央広場でナイトバザールが始まる頃合いですね。その時に、アダムさんはなぜか高さ32mはある〝陽神の塔〟の頂上に立っていた。そしてエヴァさん、それにタロスさんはそれを下から目撃した。合っていますか?」


 レムレスの言葉にエヴァが頷き、口を開いた。


「はい。3人で、ナイトバザールを巡ろうと計画していて、ナイトバザールが始まる16時30分頃に塔の下で待ち合わせ、ということになっていました」

「なのにあの馬鹿野郎は……」


 レムレスがなるべく感情を込めないように言葉を紡ぐ。


「アダムさんは――塔の上から。結果、頭から地面に落下し、死亡。頭部は、再現不可能なまでに破壊され、身体も……。これ以上は言う必要はないでしょう。なんせ二人は現場の一番近いところで、それを見たでしょうから」


 資料によると、アダムが飛び降りて、一番に駆けつけたのがこの二人だった。他の目撃者によると、二人は混乱のあまり、木っ端微塵になったアダムの頭部やバラバラになった四肢を集めて回復術士を連れて来いと叫んでいたらしい。


 即死の状態から治す回復魔術など、有りはしないのに。


「大丈夫かエヴァ」


 心配するようにタロスがエヴァの細い肩をそっと抱いた。


「続けます。我々冒険者ギルドの保険調査員は、事件発生後すぐに現場捜査をした警察士と連携し、調査開始。結果、事件時アダムさんが飛び降りた塔内からは、彼以外の生体反応も魔力反応も検出されず、彼以外誰もいなかった事が分かりました。よって、この事件はアダム氏の飛び降り自殺と断定し、保険金の支払いは却下されました」


 資料だけを見れば、あまりに一目瞭然な案件だ。


 場所が場所なだけあり、目撃者は多数。塔内に第三者は無し。そもそもこの塔は普段から封鎖されており、裏口の扉は壊されていた。その扉からはアダムの剣の欠片が付着していたところから、彼が壊したと判断されている。


 そもそもアダムが一人で扉を壊して入っていくのを見たという目撃情報もあり、それ以降は誰も出入りしていないとその目撃者は証言している。


 どう考えてもアダムが扉を破壊し、中に入って塔を昇り……そして頂上から飛び降りた。としか考えられない。


「アダムが自殺するなんてありえません」

「エヴァ。俺も、そしてお前も見ただろ? あいつが飛び降りる姿を。あれが自殺以外、なんだって言うんだよ」

「でも……だって……タロスは知っているでしょ? アダムは……。そんな人が自殺なんてするわけないわ!」

「あいつ……そんな事を。あの馬鹿野郎……」


 二人のやり取りを見て、レムレスが目を細めた。


「きっと……誰かに魔術か何かで操られて」


 エヴァがそんな事を言い出すが、タロスが首を横に降った。


「エヴァ、付与術と違って、身体操作や精神操作系の魔術を人に掛けるのは不可能だ」

「その通りです。我々には元々、魔術に対する抵抗力があります。とりわけ、精神や身体を操作する魔術についてはほぼ間違いなく、人間には効きません。よって、そういった類いの魔術を仮に誰かが使ったとしても、自殺させるような動きをさせるのは不可能と断言できます。付与術は、あくまで元々身体に備わっている能力を向上させるだけなので、抵抗力を無視出来るのです。これはタロスさんには説明するまでもないでしょうが」


 レムレスの説明にタロスが頷く。


 現代の魔術理論では、他者に掛けて効果を発揮する魔術は、付与魔術と回復魔術の二つしかないとされている。そもそも回復魔術も、対象の治癒能力を飛躍的に高めた結果回復するので、いうなれば付与術と同じなのだ。例外があるとすれば死霊術だが、これも当然相手が死んでいないと効果は出ない。


 なので直接脳を操作し、相手を意のままに動かす、といったことを魔術で行うのは不可能なのだ。


「そうですか……」

「それにそもそも、アダムさんの遺体からはタロスさんの魔力しか検出されませんでした。これについては日々の探索でタロスさんが付与術を掛けているので当然でしょう。仮に――タロスさんが何か他の魔術を使ったとしても、アダムさんを自殺させるのは不可能です」

「おい、俺を疑っているのかよ」


 タロスが不快そうな顔をする。


「すみません。あくまで例え話ですよ。そもそも付与術で、あの状況を再現するのは不可能ですよ。付与術に限らず他の魔術でも無理でしょう」


 もし、タロスが事件当時に塔の下にいなければ、話は変わっていたかもしれない。


 例えば――塔の上に呼び出して、風の魔術で塔から落とす、など色々と可能性は出てくる。


 一般的な魔術の効果範囲は術者を中心とした半径20mと言われている。だから塔の真下にいたタロスが32m頭上に魔術を起こすのは不可能なのだ。更に当然塔の頂上は入念に調査されており、何かの魔術が使われた形跡も、誰かもしくは何かがいた形跡は一切なかったという。


 現場に残されていたのは、アダムの足跡のみ。しかもアダムは塔の上に登りきるとそのまま頂上から迷いなく飛び降りているのが、足跡から分かった。


 つまり、どう足掻いても第三者の介入は不可能と判断されたのだ。


「私は、それなりの数の現場と案件を見てきましたが……正直この案件については自殺以外に疑いの余地がないように感じられます」


 レムレスはそう結論付けた。


「それでも私は……。レムレスさん、聞きましたよ、貴方とても優秀な調査官だそうですね。これまでも事故や自殺としか思えない、いくつもの事件を解決していらっしゃると」


 エヴァがまっすぐにレムレスを見つめた。その目に、レムレスとルーナは強い意志を感じた。


「解決……は少し違いますね。我々は警察士ではありません。ただ、その案件に保険金が支払われるべきかどうかを判断するだけです」

「お金に興味はありません。保険金はなくても構いません。ですがどうか、どうかもう一度だけ調査していただけませんか?」


 諦めてくれたらどれだけ良かったか。だがエヴァは頑なだった。


 タロスは隣で溜息をついている。早くアダムの事は忘れて、自分を見てくれと言わんばかりだ。


「……善処はします。が、期待しないでください」


 レムレスは、そう言う他なかった。


☆☆☆


 エヴァとタロスが去ったあとの応接室。


「ふう……どう思う」


 レムレスが座ったままその長い足を組み、煙草をふかす。


「んー。エヴァさんには申し訳ないですけど、資料を見る限りはやっぱり自殺ですかねえ」


 ルーナが不満そうにそう言いながらエヴァ達に出したコーヒーを片付けていく。


「そうだな。だが、俺が聞きたいのはそこじゃなくて――。しっかりと観察していただろ?」


 レムレスの言葉に、ルーナが表情を引き締めた。


「はい。タロスは分かりやすくエヴァさんに恋慕しているようですし、エヴァさんはアダムさんを忘れられない……そんな感じに見えました」

「それだけか?」


 レムレスが煙草の先から立ちのぼる紫煙が揺れる。ルーナがその言葉に、目を細めた。


「そうですね……強いて言えばエヴァさんの挙動が――感じました」


 ルーナが、結局エヴァが手すら付けなかったコーヒーを見つめた。彼女は二人をずっと観察していたが、タロスはわざとらしいというか分かりやすかったが、エヴァは違う。


 なぜかエヴァの言動が演技のように思えて仕方なかったのだ。


「……お前もそう感じたか」

「はい。でも、仮に演技だったとして……つまりアダムさんについて何の感情も抱いていないとすると――」

「再調査依頼をしてくるのは、おかしい。そう言いたいんだろ」

「はい。お金にも困っていないようですし」

「だよなあ」


 レムレスが困ったような表情を浮かべ、両手を頭の後ろにやりつつソファの背にもたれかかった。


「タロスさんもアダムさんも経歴上に不審点はありません」


 片付け終えたルーナがレムレスの隣に座り、資料を再度確認する。


「ああ。情報部の調査もそれを裏付けている。過去に関して彼らに怪しい点はない」

「ですが……エヴァさんは」


 ルーナがエヴァの調査報告欄を見つめた。


 エヴァ・アグニア――年齢不明。そして過去については――

 

 分かっているのは名前と、現在はアグニア重工の魔導研究部に所属している、という事実のみ。


「ま、それについては、不思議でもない」

「え? だっておかしいですよ! 経歴が怪しいどころか……無いんですよ!?」

「アグニアの名を冠する者は皆そうだよ。全員の経歴が消されている。流石は、アグニア家といったところか」


 エヴァだけの話ではない。アグニア家の人々は皆、公的機関から自分達の情報を抹消させている。勿論、過去がない人間などいるわけがないので、データ上の過去が消されているだけだ。


 詳しく調査すれば過去は分かるのだが……アグニア家を敵に回してまでやるメリットがないのも事実だ。実際、調査に必要な場合、アグニア家に情報開示を要求すればあっさり教えてくれるそうで、警察やその他公的機関もそこについては目を瞑っているそうだ。


 今回の案件の場合、あくまでエヴァは保険金の受取人なだけであり、自殺が濃厚で事件性も薄いということで、そこまでの情報開示を要求できなかったようだ。


「ま、そもそもエヴァの過去がなんだろうと、この案件にはさほど関係ないだろうさ」

「ですよねえ。再調査してくれって頼むエヴァさんが実は真犯人だったとしたら話がおかしくなります」

「アホ、真犯人ってなんだ。前から言っているが俺達は――」

「警察じゃないって言いたいんですよね? いや分かってますって。言葉の綾ですって」

「まあ、いずれにせよ。この案件についてだが……少し不自然な点がある」


 レムレスが吸いきった煙草を携帯灰皿へと仕舞う。


「不自然な点?」

「ああ。端的に言えば、だ。殺人もそうだが、自殺こそ、動機が必ずあるはずなんだ。特に、経歴や私生活を見る限り順風満帆だったアダムが、わざわざプロポーズをした恋人の目の前で自殺する動機。これが俺には思い付かない。確かに資料を見る限りは自殺で間違いないだろう。だからこそ俺は――

「私はも……同じようにそう感じていました。あの二人の態度もそうですが……作為的な何かがありそうな気がします。

「ほお……根拠は?」

「ありません! 勘ですね」


 そう元気に答えるルーナを見て、レムレスが溜息をついた。


「だろうな……」


 その言葉に、レムレスが苦笑いする。


「行く気はあまりなかったんだが気が変わった。現場調査に行くぞ。もう5日も経ってしまっているから残留思念もおそらく意味不明な物しか視えないだろうがな」

「行きましょう。資料にはない何かが分かるかもしれません」


 二人が応接室を後にする。


「えらくやる気だな、ルーナ」

「さっきは、エヴァさんが演技っぽいって言いましたけど……なんというか矛盾しているようですが、エヴァさんの真相を解明して欲しいって気持ちは本当な気がするんです。こう何か必死さみたいなのを感じました」

「それも乙女の勘か?」


 レムレスが茶化すようにそう返しながら、冒険者ギルド本部の奥にある、ギルド職員専用の転送装置へと向かう。


「むー。それは乙女でもないくせに、とか思ってる顔ですね!」

「正解だ。中々俺のことも分かってきたようだな」


 レムレスが意地悪そうな笑顔を浮かべ、転送装置のある部屋へと入る。


「先輩はイジワルですね。まあそういうところも嫌いじゃないですけど」

「お前に好かれようなんて思ってねえよ。さ、行くぞ」

「ラクレスかー。ナイトバザールって一度行って見たかったんですよね」

「遊びじゃねえぞ」

「分かってますって」


 部屋の中にはコードが沢山繋がれた機械の台座があり、その上には複雑な魔法陣が刻まれている。


 二人が、必要書類にサインをし転送装置の上に立った。


「さ、行くぞ」

「はーい」


 転送装置が起動する音が静かに響き、そして魔法陣から光が立ちのぼる。それが周囲を白く染め上げるほどの光を放つと、駆動音が停止。


『転送完了』


 無機質な機械音声だけが部屋に響いた。


☆☆☆


 

 アレリア王国南部――〝砂宮魔殿〟近郊、ラクレス。


「あっついですねえ! それに思ったよりも乾燥してない!」


 夕日となってなおギラギラと照りつける陽光が、建物や地面の砂色と、街に生い茂る木々の緑色をより一層鮮やかにしていた。


 ルーナが眩しそうに空を見つめ、レムレスは目を細め道を進んでいく。


 歩いているのは冒険者ばかりだが、住み着いて住人と化した商人やその家族達もいて大変賑わっている。街角で、かつてここに住んでいたと言われる砂漠の民の弦楽器が奏でられ、異国特有の雰囲気を醸し出していた。


「なんか、同じアレリア国内って感じがしないですね」


 ルーナの言葉にレムレスが頷く。


「元々、この大陸には小国がひしめき合っていたからな。何度も何度も戦争をしているうちに統合していき、最後は、北のアレイアル連合と南のリアール連邦の二つの超国家群の間で大戦争が起きた」

「【覇竜戦争】ですね。それぐらいは知っていますよ。その戦争はお互いの陣営と土地に多大な被害を与え続け……気付けば人類の生存圏は大陸中央部のごく僅かな土地だけになった……でしたっけ」

「その通り。そうなってようやく両陣営は和解し、唯一の生存圏となった永世中立国の小国を元に、このアレリア王国を樹立した。その後の技術の発展によって我々人類は環境適応能力を得て、こうしてかつての土地に足を伸ばす事ができている。だから、王都から少しでも離れたら、それだけでそこはもう異国なんだよ。実は、距離は離れているがこの砂漠はあの堕落都市ブクレシュと他国を結ぶ重要な交易路になっていてな。ブクレシュの文化も受け継いでいる。あの楽器も元はブクレシュの物だし、この街の地酒なんかもブクレシュの影響を受けている」

「なるほど~。それ、飲んでみたいですね!」

「夜になればどこでも飲めるさ」

 

 二人は話しているうちに、中央広場へと辿り着いた。そばにはオアシスがあり、透明な水面が風で揺れていた。このオアシスのおかげで、砂漠の真ん中にありながらこの街の空気は湿度を保っているのだ。


 中央広場では今日のナイトバザールに向けて、商人達が露店や屋台の準備を始めていた。レムレスが時計を確認すると、時刻はぴったり夕方の16時だった。


 王都を出たのが午前11時半過ぎと考えると、やはり転移にそれなりの時間が掛かっていることが分かる。


「なんか未だに慣れないんですよね。体感時間は一瞬なのに、数時間も経っているなんて。損した気分です」

「仕方ない。転移技術も完全に復古できたわけではないからな。科学者達は、転移に掛かる時間も近い将来、体感時間と同じ程度まで縮める事は可能、と言っているが……どうだろうな」


 そんな事を言いつつ、レムレスが広場の中央に佇む塔を見上げた。


「これが〝陽神の塔〟か」

「こうして見ると、高いですね」

「ああ。高さは32mらしい。その高さから落下すれば即死だろうな」


 その塔は円筒状であり、岩から削り出して作られたと言われている。そのためか、外壁には継ぎ目が一切なく、窓すらもない。


 中見が空洞の一本の筒。そんな印象をレムレスは受けた。


「さて、まずは残留思念を視てみるか」

「現場は、資料によると……こっちですね」


 ルーナが、塔の東側に回った。


「ここのはずです」

「……本当か?」


 確かに、そこには血の跡なのか黒く汚れていて、落下の衝撃によって僅かに地面が凹んでいる場所があった。


 その周囲だけ、露店がない。不吉とでも思われているのかもしれない。


 だが、レムレスはそこが現場とは思えなかった。


「確かにここですね。資料の地図にもここと記されていますし血の跡も落下の跡もありますし」

「……

「へ?」

「ちょっと貸してくれ」


 レムレスがルーナから地図を受け取り、自身で確認する。だが、やはりルーナの言う通りここが現場で間違いない。彼は地図をルーナに返すと、少し離れた位置にいた露天商へと声を掛けた。


「準備中失礼。少し聞きたい事があるんだが」

「なんだ?」


 この街の住人といった風体の、黒く日焼けした男が訝しそうにレムレスを見つめた。


「五日前に、ここで冒険者の飛び降り事件があったと思うが――」

「――その話はよしてくれ。おかげで客は減って、こっちは迷惑しているんだ。露店の場所は決められているからな。あの場所の近くだった俺らは良い迷惑だよ」


 露天商がしかめっ面で手を払った。


「では、やはりあそこが現場だったのか?」

「そうだよ。俺も見たからな。……人が死ぬ光景なんざ二度と見たくない。ほら、何も買う気がないなら、邪魔するな」

「ありがとう。あとで何か買わせてもらおう」


 レムレスが礼を言って、露店を後にした。


「どうしたんですか、先輩」

「ルーナの勘、まんざら馬鹿にできないかもな……よし、塔を登るぞ」

「え? あ、はい!」


 大股で塔の裏口がある北側へとレムレスが進む。その顔には複雑な感情が浮かんでいた。


「どうしたんですか先輩。なんか変ですよ」

「あとで説明する」


 裏口の扉は閉ざされており、鍵が掛かっていた。しかしレムレスは予め許可を得て、鍵を受け取っていた。


 素早く鍵を開けて、扉を開く。


「……涼しいですね」


 塔の中には何もなかった。壁沿いに螺旋階段があるだけで、明かりも何もなく暗い。見上げれば上から光が差し込んでいるが、それもレムレス達がいる場所には届かない。


 ルーナが持ってきたランタンに魔力を込めると、淡い光が周囲を照らした。


「昇ろう」


 レムレスが周囲をざっと見渡したあとそう言って、階段を昇りはじめた。


「先輩、見てください」


 ルーナが階段の横にある壁をランタンで照らした。


 そこには階段と並行するように、謎の太い線がずっと上まで続いていた。


「これはおそらくアダムがここを昇る際に、手を付けた跡だろうと資料には書いてああったな。これだけ暗いとなると、壁に手を付けないと昇れなかったのかもしれない」


 ルーナもそう言われてみれば、確かに手を壁に付けたまま昇れば、丁度そのような跡が付きそうだな、と思った。


「じゃあ、アダムさんは灯りを持っていなかったって事ですかね」

「だろうな。さあ昇るぞ」


 それから二人は無言で昇り続けた。


 しばらくすると、螺旋階段はやがて塔の頂上へと到達した。


「うわあ……綺麗」


 塔の頂上から周囲を見渡したルーナが、思わず感嘆した声を出してしまう。


 そこからはラクレスの街が一望でき、オアシスとその周囲に広がる砂色の大地のコントラストが、何とも言えない光景になっていた。


 だがその光景以外に、頂上には何も無かった。


「あの場所に飛び降りようとすると……ここでしょうか」


 ルーナが立っていたのは、螺旋階段から上がってすぐの場所だった。下を見下ろせば、さっきまで立っていたあの場所が見えた。


「気を付けろよ」

「大丈夫ですって。私は特に高所恐怖症でもないですが……この高さから飛び降りるのはやっぱり躊躇いそうですね」


 その言葉にレムレスも頷く。調査によると、アダムは一切の躊躇なく飛び降りたらしい。まるで、そこに足場がまだあるかのように、空へと足を踏み出したようだ。


  レムレスは周囲を観察するが、怪しい物は見当たらない。警察士と保険調査員の捜査があったのだ、あればとっくに見つかっているだろう。


「やっぱりか」

「何かありました?」


 レムレスの確信めいた言葉にルーナが首を傾げた。何もかもが資料通りで、新たな発見はなさそうだと思ったからだ。


「いや……何もない」

「ですよねえ。昇ってはみたものの、やはり収穫はなさそうですね」

「いや、そうでもないさ。何もないことが分かった……それが大きな一歩だ」

「へ?」


 砂混じりの風が吹く。それは塔にぶつかって、もの悲しい音を奏でていた。


「ルーナ。その資料は、間違いない。だからこその資料では知り得ない物を探しにきたのだが……それもなかった」

「だったらやっぱり、報告書通りで間違いないのでは?」

「そう。だけどな、おかしいんだ。その資料が正しければ、絶対にあるはずの物がなかった」

「あるはずの物?」

「おいおい、ルーナ。俺達は何をしにこの現場に来た?」

「へ? それは……あっ」


 ルーナがようやく気付いたのか小さく声を上げた。それを見て、レムレスが空を見上げた。オレンジ色に染まる雲が流れていく。


「そう。この現場には……



☆☆☆


 ラクレスに夜の帳が降り、より一層賑わいを増していた。


 ナイトバザールの一角にある屋台。そこでレムレスとルーナは仮設のテーブル席に座っていた。レムレスは煙草を吸いながら、この地方の地酒である度数の高い無色透明の液体――ライラ酒をチビチビ飲んでいる。


「んー! これ美味しい!」


 ルーナはこの街の名物である、バルミィと呼ばれる麺料理を食べていた。野菜と肉を濃い味付けで炒め、麺で絡めたシンプルな料理だが、暑いこの街の気候と生ぬるいビールに、それはよく合っていた。


「このサボテンの酢漬けも中々だな」

「ビールに最高!」


 ルーナが上機嫌で目の前の料理を平らげ、ビールを飲み干し、おかわりを頼んでいた。レムレスは前々から思っていたが、ルーナは見た目のわりによく食べるし、何より酒豪だった。彼自身も良く飲む方ではあるが、ルーナはそれ以上であり、酔ったところも見た事がなかった。


「そういえば、先輩。アダムさんが自殺じゃないかもしれないって事はなんとなく分かりましたけど……。それでもあの状況を覆せるほどでしょうか」

「ルーナ、あの現場には残留思念がなかった。おかしいと思わないか?」

「もう五日も経ったので消えたとか?」

「いや、死者の想いはそう簡単には消えない。もちろん薄くなったり、不鮮明になったりするが……消えることはほぼないんだ。だから、まだ五日しか経っていないのに、あの現場にアダムのらしき残留思念がない時点で、こう考えるしかない――、とね」


 店員が持ってきたお代わりのビールに口を付けながら、ルーナが眉間に皺を寄せた。


「どういうことですか? だって飛び降りたのは事実ですよ。何人もの人が見ていますし。そして飛び降りた後の様子はどう考えても即死です。あの場で死んだ以外の余地はないと思いますが」

「まあ、普通はそうだろうな。アダムは塔の裏口を壊し階段を昇り、そして飛び降りた。これはまごうことなき事実だ。故に、飛び降りた時点ではまだアダムは生きていた――と考えるのが常識的だ」

「まるで、そうじゃないみたいな物言いですね」

「お前の目の前には誰がいる」

「レムレスさん?」


 周囲を見渡したあとに、ルーナを首を傾げながらそう言った。


「そう。じゃあ俺はなんだ」

「保険調査員。ちょっとイジワルな先輩」

「違う……そこじゃない。肩書き、というか何というか」

「えっと……元冒険者で死霊術士ネクロマンサー……あっ!」


 ルーナが目を見開き、手を口に当てた。


「そっか! 予めアダムをどこかで殺害し、その死体を死霊術で操って塔へと侵入させ、飛び降りをさせる。そうすれば自殺に見せかけられます! だから、残留思念がなかった。だから、アダムさんの自殺する動機が分からなかった。だって自殺ではなく他殺だったから! そういうことですね!?」


 ルーナが興奮気味にビールの入ったジョッキを揺らした。


「正解だ。そしてそれが出来るのは……タロスだけだ。なぜならそれ以外の者の魔力反応がなかったからな。普段から付与魔術を掛けていたタロスだからこそ出来る偽装だ」

「じゃあタロスさんが犯人ってことですね! エヴァさんは正しかった!」


 だが、レムレスは浮かない顔をしていた。


「この推論には、二つの確認すべき事項がある。その一つが、だ」

「死亡推定時刻……ですか?」

「ああ。それが気になったんだ」

「でもそれって飛び降りて、地面にぶつかった瞬間ですよね? 目撃証言を考えたら疑いようのないところだと思いますけど」

「ああ……そっか。事前に殺害して死霊術で操った場合は――」

 

 レムレスが頷きながら口を開いた。


。更に、この街は気温が高い。腐敗は急激に進むはずだ。資料には、〝目撃情報と検死官の見解により、16時30分頃と断定〟としか書いていない」

「あっ! だからレムレスさんさっき、ユリカさんに連絡を取ったんですね!」


 ルーナは、食事前にレムレスがこの街のギルド支所に行って、魔力通信機を使って本部に連絡を取っていたのを知っていた。


「ああ。アダムの検死結果については、大体の情報は得られた」


 レムレスは、ユリカとのやり取りを思い出す


***


『ん? 珍しいな、君が魔力通信機を使ってまで私とお喋りしたいなんて。そうだ、さっき解剖した子の内臓のヒダについて少し語りたいん――』

『〝案件56Z〟についてだ。すぐに検死結果を確認してくれ』

『全く……相変わらずつまらない男だ。ファイルを確認するからちょっと待ってくれ……ええっとどれどれ……ああ、これか。私の担当ではないが……まあ報告書を見れば大体分かる』

『死亡推定時刻についてどう書いてある』

『ふむ……報告書によると、死亡推定時刻は16時30分前後。検体の腐敗度からの推測と、目撃証言が合致しているので、ほぼほぼ間違いないだろうね』

『肉体の腐敗度は本当にその死亡推定時刻と合っているか? 例えば――とか、そういう見解はないか?』

『ラクレスの熱帯気候であれば、腐敗は確かに早く進むだろうが……数値を見る限り、大幅なズレはなさそうだな。どんなにズレても、十分前後だろうさ』

『そうか……』

『推論が外れた。そんな声だね』

『ああ。だが、助かった』

『じゃあ今度お礼に解剖さ――』


*** 

  

 レムレスが煙草をゆっくりと吸って、煙を吐いた。

 

「だが……検死結果によると、死亡推定時刻は飛び降りた時刻とほぼ合致しておりズレてもせいぜい十分程度、だそうだ」


 これで、また真実から少し遠のいてしまった。


「んー、例えば冷却魔術で新鮮に保っていたとか? で、あれば腐敗を抑える事が出来るのでは」

「ところが、厄介なことにタロスには……アリバイがある」


 レムレスが資料をルーナへと渡した。


「……ああ。〝タロスとアダムは14時にラクレスと転送。その後、タロスはアダムとは別行動を取り、15時にエヴァと合流――その後は事件発生時までは共に行動していた〟、と書いてありますね」


 そう。アダムとタロスは間違いなく転送装置を使って、14時にこの街に来ていた。そしてその後、別行動をしているのが聞き込み調査で分かっていた。タロスは15時にエヴァと合流し、初めてこの街に来たというエヴァの為に観光案内をしていたそうだ。そしてアダムと待ち合わせしていた16時30分つまり彼が飛び降りたその時間までずっと一緒にいたという。


「仮にタロスが犯人だとすると……14時から15時の間に殺害し死霊術を掛け、腐敗が進まないように冷却魔術を掛けるところまででは可能だろう。だが、その後はどうする? ずっとエヴァと一緒だったんだぞ」

「――なんかこう、遠くから操ってですね!」

「無理だよ。死霊術、特に今回の犯行に使えると思われる死体操作魔術である【コープスコントロール】の効果範囲は他の魔術と同じ、術者から大体半径20m以内だ。そこから離れると、ただの死体に戻ってしまう。冷却魔術だってそう。掛け続けるには術者が近くにいるか、もしくは他の魔力媒体が必要となる。冷蔵庫だって魔力源がないと動かないだろ? それと一緒だ」


 情報を何とか整理しようとルーナが思考する。


 アダムの死体を腐敗させない為には、冷却魔術なりなんなりを掛けるしかない。しかしその為にずっと近くにいなければならず、この街の観光案内をしていたタロスには不可能ということになる。


「うーん。やっぱり無理そうですね」

「いや、俺も考えてみたが、実は一応やれないことはないんだ。良いか、やり方はこうだ――まず、この街のどこかに隠れ家を借りて、そこに成人男性が入れるほどの冷蔵庫を用意する。14時から15時の間にタロスはアダムを殺害し、その死体を冷蔵庫へと入れておく。その後、エヴァと合流、観光をしつつ16時30分前に観光を装って隠れ家に近付く。そしてエヴァさんにバレないように【コープスコントロール】を遠隔でアダムの死体に掛けて操ると、塔へと移動させる。当然、魔術の効果範囲内からアダムが出ないようにつかず離れずでタロス達も移動する。そして、タロス達は16時30分に塔の真下へと移動。同時にアダムを塔へと登らせ、飛び降りをさせる」


 それがレムレスが思考の末に辿り着いた推論だった。だが、当然これが答えであれば、こんなところでのんびり酒を飲んでいるわけがない。


「……それだと可能ですね」

「一見すると……そうだが、この推論には致命的な穴がある。まず、あまりに賭けになっている部分が多い。特に、アダムの死体を塔へと移動させる時だ。もしアダムの様子を不審に思った誰かが彼に声を掛けたら? もしくは何かの拍子で魔術の範囲外に出てしまったら? 問題点は山のようにある。だが、これはまあいい。、と無理矢理納得しても良い。だがな……ルーナ。忘れてないか。肝心なところがクリア出来ていない」

「肝心なところ?」

「アダムが飛び降りた塔は――32


 レムレスが溜息と共に煙を吐いた。


「ああ……。どうあがいても……魔術の範囲外になってしまいますね」

「タロスがエヴァの側にいた事実は覆せない。だから、結局さっきの推論は破綻してしまうんだ」

「振り出しに戻りましたね……」


 ルーナが肩を落とした。


「それだけじゃない。そもそも、死霊術は自分で言うのも何だが、かなり高度な魔術なんだ。だから、使い手も少ない上に、使用する場合は必ず警察の許可が必要となる」

「え? そうなんですか!?」

「ああ。勿論俺も許可を取っているぞ。死体や死霊を操る、というのは中々センシティブなところでな。色々と制約があるんだ。だから、死霊術士についてのデータはかなり厳重に調査され、日々更新されている。つまり、何が言いたいかと言うと、タロスが実は死霊術士だった、という前提条件自体が実はかなり怪しい。もしタロスが死霊術の使用許可を取っているのなら当然、警察もギルドも把握しているはずだ。だが、報告書にはそんな記述は一切ない」


 レムレスも、今はギルド側の立場だからこそ許されているが、本来死霊術の使用はかなりの制限がかけられている。昔はよくそれでギルドや警察と揉めたことをレムレスは今でも覚えている。


「んー、じゃあ許可を取らなかった、闇医者ならぬ闇死霊術士だったとか」

「だとすれば……過去の経歴も全て白紙にして調査し直すしかない。何度も言うが死霊術は、習ったから、覚えたからといってすぐに使える魔術じゃないんだ。しかも死体を遠隔で操るなんてそんな高度な事ができるのは死霊術士の中でも一握りしかいない。これまでに死霊術士であることを隠しつつ死霊術の研鑽をし、更に付与術士として冒険者をしていたのなら……それはもう化物だよ」


 レムレスがお手上げとばかりに両手を挙げた。


「んー。タロスさんが死霊術士説は、難しいというところですね」

「悪くない推理だと思ったが……かなりのこじつけであることは否めない」

「んー。となるとやはり話が戻って来ますね。アダムさんは――

「残留思念がないから、あの場では死んでいない。という結論を見直すべきかもしれないが……どうも俺はそこじゃないような気がする」

「んー。予め殺害して、死体のまま飛び降りをさせるというは悪くない推理だと思うのですけど」


 ルーナがビールを飲みきると、今度はレムレスと同じライラ酒を注文する。


「死霊術を使った場合は効果範囲の問題があり、それ以外の場合はそもそも死体をそこまで動かすのが不可能と来ている。残留思念があれば、話が早かったんだが」

「うーん」


 ルーナは唸るも答えが出ない。もう少しで掴めそうな真実が崩れて、まるで砂のように手のひらからサラサラと流れ落ちていくような感覚だった。


 ルーナは店員が持ってきたライラ酒に口を付けた、強い酒精と薬草のような香りがクセになる味だった。


「凄い味ですね……これ。嫌いじゃないですけど」

「ライラ酒と言ってな。元々は死者を蘇らせる薬だったとか。そうそう、これが俺の言っていたブクレシュ発祥の酒だよ。この街はブクレシュの商人達によって拓かれた街道の宿場町が元だからな。だから遠い異国の酒がここで定着したのだろう」

「レムレスさんは物知りですねえ……」


 ルーナが勉強しないとなあ……と考えながらライラ酒を飲んだ。言われてみれば強い酒精があの陰鬱なブクレシュの街並を想起させる。


 そしてそこでふと、とある考えが脳裏をよぎったのだった。


「あっ……」

「どうしたルーナ」

「私、分かったかもしれません」


 ルーナがどこか遠くを見つめている様子を、レムレスが訝しんだ。


「あん? 酔ってきたのか?」

「違いますよ! でも、多分……いけると思います。死亡推定時刻も塔の高さの問題もクリアする方法を思い付きました」


 ルーナが自分でも信じられないといった表情を浮かべた。


「……聞かせろ」


 そこで、ルーナから語られた説明を聞いて、レムレスが頷いた。


「穴は沢山あるが……悪くない。悪くないぞルーナ。お手柄だ」

「えへへ……」

「良し、行くぞ」

「はい!」


 二人が立ち上がると、会計を済ませ、ナイトバザールを後にしたのだった。

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