メイクライン
坂崎かおる
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子供の頃は巌谷の八丁目に住んでいたのだけれど、そういえばちょっと不思議なことがあった。六年生の夏休み。友達とプールへ行った帰り道だった。
市民プールは国道をまっすぐ行って、五差路の交差点を左に折れるのが普通の行き方だったのだけれど、信号も多いし、だらだら坂も長くて、僕たちはあまり使っていなかった。代わりに僕たちは、神社の中を抜けて、住宅街を細かくジグザグに進む道でいつも通っていた。今にして思えば、それは逆に遠回りだった気もするのだけれど、まあ、子供の頃って、そういうものだ。
友達と僕で四、五人、アイスの棒をくわえながら、急坂をどこまでブレーキをかけずにいけるか、競争しながら走っていた。Tという向こう見ずな友達がいたのだけど、僕が坂の途中の桜の木のところでブレーキをかけるのに対して、彼はその先のガードレール直前まで行けることをいつも自慢していた。
その日もTは自信満々に坂をおりていたのだけど、急に自転車を止めてしまった。後ろから追いかけていた僕たちも彼の横で止まると、Tは「あれなんだろ」と、坂の終点辺りを指差した。彼の指した先を見ると、どうやら人が座っているようだった。二人組だ。パイプ椅子のようなものに座っている。僕たちはのろのろとブレーキをかけながら下っていった。
二人組は、並んで座っていたわけではなく、道の両側を挟むようにして座っていた。一人は男で、一人は女。ただ、どちらも髪が長く、服装も似たようなシャツを着ていた。
「こんにちは」
声をかけたのはTだった。僕は内心、余計なことをしてくれたと舌打ちした。明らかにその二人の雰囲気は普通ではなかったからだ。Tにはそういう、「空気を読まない」ところがあった。
「こんにちは」
その二人は、息を合わせて返事をしたので、右と左からサラウンドに「こんにちは」が響いた。
「何をしているんですか」
お構いなしにTは訊いた。
「線を引いているんです」
「まっすぐに」
「線」については男が言った。「まっすぐに」は女が言った。僕たちは馬鹿みたいに揃って足元を見た。アスファルトは夏の光が焼きついているだけで、特に線は見えない。
「ないっすけど」
Tが言うと、二人はにっこり笑った。同時だったかはわからない。僕はまず男がにっこり笑ったのを見て、それから女の方を向いて、彼女もにっこり笑っていることに気が付いたからだ。
「線は」
「ありますよ」
男が足元を指さし、女はつーっと指を左から右へと動かした。
「で、俺たち通っていいんすか」
「どうぞ」
間髪入れずに男は答えた。「
「おい、行こうぜ」
Tはペダルに足をかけ、僕たちに言った。でも、何故だか僕たちは動けなかった。何だか、気味が悪くなったのだ。
「なんだよ、びびってんのか」
Tは鼻で笑ったが、僕たちは動けなかった。そうは言っても僕たちは小学生で、相手は普通ではない空気を発しながらも、だいぶ年上の大人だった。
「俺は行くぜ」
そう言うと、Tはがっとペダルを漕ぎ出し、あっという間に二人の男女の間を通り抜けた。僕たちはどうしようか迷ったが、結局引き返して、国道沿いの道を行くことにした。翌日、Tは僕たちのことを笑ったが、誰も言い返さなかった。
その話を思い出したのは、葬式の時だった。
亡くなったのは小学校からの友達で、あの時、一緒にプールから帰っていた一人だった。急な出来事だった。
「あいつは線を越えなかったのにな」
思い出話の途中で、Tがそう呟いた。僕はあの奇妙な二人組の男女の姿を頭に描き直し、「そうだね」と答えた。僕も同じことを思ったからだ。
「あの二人はさ、なんか、不気味だったよな。この世界の人間じゃないみたいで」
うん、と僕は頷いた。Tは続けた。
「だから、ホントは、あの線を越えた時、俺、実は、めっちゃびびってたんだよね。ここを越えたら、やばいんじゃないか。何かが起きるんじゃないかってさ」
でも、と僕は考えていた。線を越えたかどうかは、
「俺たちも気をつけねえと」
Tはそう言って、煙草に火をつけた。曖昧な煙が、僕とTを分け隔てた。僕は今、どちら側にいるのだろうか。ぎゅっと心臓が跳ねた。僕は指で、つつつつつと、線を引く。
メイクライン 坂崎かおる @sakasakikaoru
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