08-03
何かを言わなければならない、と決意はしたものの、どこから手をつけたものか分からない。
結局悩みに悩んだ挙句、誰にも何も言えずに、タクミが帰る日になった。
俺と妹は一緒に幼馴染の家に行って、別れを惜しんだ。三姉妹も来ていた。俺と幼馴染は一言も話せなかった。
何かを言わなければならない、のだけれど、何をどう言ったものか、分からない。
タクミは平気そうな顔をしていた。何を考えているのか、つくづく分からない奴だ。
それでも、初めて会ったときのようにゲームを手放さないなんてことはなくなっていた。
るーは後輩の背に隠れて、何かを言いたそうにしている。寂しそうな表情。
タクミはそれを見て困った顔をする。
暑さがおさまり始めた昼下がりに、タクミたちの両親は幼馴染の家を出た。
タクミはるーを手招きして呼び寄せて、小声で何かを言った。
それを聞いたるーがくすくすと笑う。ふたりはそれっきり話をしなかった。
「またな」
と俺が言った。うん、とタクミは頷いた。
そのまま車に乗ってしまうのかと思ったら、彼は、今度は俺を呼び寄せた。
「なに?」
「ねえ、姉ちゃんと早めに仲直りしときなよ」
諭されてしまう。やっぱりこいつは大人だ。
「けっこう、落ち込んでたよ」
なんというか。まぁ、そうなのだろうけれど。
「まぁ、がんばるよ」
苦笑しながら答える。どうなるかは分からないし、どう言えばいいかも分からないけど。
でもまぁ、がんばる。
彼は最後に、俺たちに向かって小さくお辞儀をした。大人だ。もうちょっと子供っぽくてもいいのに。
タクミを乗せた自動車は、あっという間に見えなくなった。
蜃気楼が道の先を歪ませていた。うっとうしいような蝉の声だけが、いつまでもそこらじゅうに響いている。
少し、落ち着かない空気が流れる。ユリコさんが、それを吹き飛ばそうとするみたいな大きな声をあげた。
彼女は俺たちを家の中に招こうとしたけれど、全員が断った。
なんとなく、もうちょっと黙っていたいような気分だった。
全員で俺の家に向かい、リビングで寝転がる。誰も何も言わなかった。
やがて、るーはソファに寝転がって顔を隠したまま眠ってしまった。
後輩は困ったみたいに笑った。
「るー、泣きませんでしたね」
彼女は少し意外そうだった。るーもタクミも、強がりなタイプで、弱いところを見せたがらない人種だ。
まだ子供なのに、俺よりもずっと大人だ。参る。
幼馴染も、俺たちの家にやってきていたけれど、俺とはちっとも言葉を交わさなかった。
黙っているというわけではなく、終始、妹に話を振っている。
このままじゃまずい、と思う。
窓の外から、まだうるさい蝉の声が続いている。
腹を決めるしかない。
タクミに言われてしまったわけだし。
幼馴染を誘ってコンビニに行く。彼女は少し緊張したような顔つきでついてきた。
こういうことはどう伝えるべきなのだろう。
下手に取り繕っても無意味だという気がした。
けれど、実際に考えを口に出す段階になると、どうしても躊躇してしまう。
蝉の鳴き声。赤く染まりかけた西の空。揺れる木々。かすかに肌を撫でる風。
隣り合って歩く。
言葉というものは、考えれば考えるほど混乱していく。
だから思ったことを単刀直入に言うべきなのだ。
でも。
言うとなると、難しい。
結局、コンビニに着くまで何も話すことができなかった。飲み物とアイスを買って店を出る。また並んで歩く。
帰りに公園に寄った。幼馴染は黙ってついてくる。
ブランコに座る。落ち着かない気持ち。
考えても仕方ないし、ずっとこうしていても仕方ない。
「俺さ」
幼馴染が息を呑んだ気がした。
間を置くのもわずらわしい気がして、はっきりと告げる。
「屋上さんのこと、好きだ」
声に出してみると、その言葉は俺の頭の中にすっと融けていった。いま言ったばかりの言葉が、心に自然に馴染む。
好きだ。
なんかもう、そうなってしまっている。
手遅れな感じ。
惚れたからにはしかたない。
長い時間、沈黙が続いた気がした。幼馴染の方を見ると、顔を俯けていて表情がよく分からない。
「私は」
と、しばらくあとに彼女は口を開いた。
「やっぱり、家族なの?」
否定しようとして、口をつぐんだ。どう言ったところで同じことだ。
俺は何も言わなかった。胸が痛む。緊張のせいか、息苦しささえ覚える。
そうじゃない。
家族だと思っているからとか、そういうことじゃない。
でも、それを言ったところで、何も変わらない。
彼女はじっと俯いたまま動こうとしなかった。ふと、トンボが飛んでいることに気付く。
それを追いかけていると、視線が上を向いた。夕月が青白く澄んだ空にぼんやりと浮かんでいる。夏の終わりが近付いていた。
不意に、幼馴染が、今までに聞いたことがないほどはっきりとした声で言った。
「納得いかない」
「……は?」
「納得いきません」
納得いかないらしい。
何が?
「だって、ずっと一緒にいたでしょ、私たち」
「はあ」
「人生の半分以上の時間を共に過ごしてるわけで」
「……いやなんつーか」
「その間中、私はずっと好きだったわけで」
「……ずっと好きだったんですか」
「ずっと好きだったんです」
頭の中で斉藤和義が歌っていた。
なんか、開き直ったっぽい。
「ね、屋上さんにふられたら、私と付き合ってくれる?」
「何言ってんだおまえは」
「いいじゃん。保険。キープ」
こいつ、自分で何言ってるのか分かってるんだろうか。
「あのな、仮に振られたとして」
言いかけて考え込む。
そういえば、振られるかもしれないんだった。
何も解決してない。
「……いや、それは今はいい。仮に振られたって、あっちがダメだったからこっち、みたいな真似できるわけないだろ」
「なんで? 別に私はいいけど」
「いいけど、って」
「だから、別にそういう扱いでもいいよ、って」
ダメだ。
言葉が通じなくなってしまった。
「なんなら二号さんでもいいよ!」
……あれ?
なんか二股できる感じの雰囲気?
いや違うだろう。
「ダメだって」
何が悲しくて、こんなことを必死に否定しなければならないのか。
「でも、それじゃ私、告白し損じゃん。もし君が先に屋上さんに告白して、それで振られてたら、私にもチャンスがあったわけでしょ?」
「いや、え?」
「先に告白しちゃったから付き合えませんって、どう考えてもおかしいよ」
……いや、なんつーか。
「振られる前提で話を続けないでください」
そこまで自信がないので。
「いいじゃん、振られてよ」
無茶を言う。そこは俺の意思でどうにかなる部分じゃないです。
言ってることがむちゃくちゃだ、さっきから。
「いや、だからさ――」
「あ、アイス溶けてる」
「――あっ」
「もう帰ろうよ」
言うが早いか、幼馴染はブランコから跳ね上がるように立ち上がった。
「いや待てって」
「もう何も聞きたくないです」
結局、その後は何を言っても聞いてもらえなかった。
家に帰ってからドロドロに溶けたカップアイスを冷凍庫に突っ込む。
幼馴染はその後すぐに帰ってしまったので、あの態度にどういう意図があったのかが分からない。
本気で言っていたのか、ただの強がりだったのか。
まさか、とは思う。
でも、もし本気で言っていたら、少し気が楽になるのに。
どう考えても希望的観測。
もう以前通りとはいかないだろう。
……そのはず、だ。うん、たぶん。
その後すぐに、幼馴染は自分の家に帰った。三姉妹も同様に、揃って帰路につく。
特別騒がしかったわけではないはずなのに、妙に静かになったように感じる。
困る。
台所で洗い物を始めた妹が、不意に俺に声をかけた。
「ねえ、お姉ちゃんの何かあった?」
鋭い。
が、どう答えるべきか迷う。
何も言うべきではない気もするし、何かを言っておくべきだという気もする。
結局、何も言わなかった。
「いいんだけどさ」
ちょっと拗ねたみたいに、妹は言った。
部屋に戻ってベッドに寝転がる。
さて、どうしたものか。
ひとまず、幼馴染に自分の考えを伝えることはできた。
なんだか、非常に疲れる結果になったけれど、まぁ贅沢は言わない。
妙に気に掛かるところではある。が、今は気にしてたって仕方ない。
――で。
これからどうすればいいんだろう。
告白?
というのは、唐突だ。
別に、今すぐ急いでどうにかしようとしなくても、なんとかなるんじゃないかな、と思う。
サチ姉ちゃんもそんなこと言ってた。
……いいのか、それで。
どうなんだろう。
でも、今日は疲れた。とりあえず眠りたい。
ここのところずっと考えてばかりだったから、少し休んでいたい。
その日は何の考えも浮かばないまま眠る。
翌日になって、サチ姉ちゃんが実はエスパーなのではないかと疑いたくなるような出来事が起こった。
前日、早めに眠りについたにもかかわらず、ぐっすりと眠って十時過ぎに起床した俺は、起きてすぐ携帯を手に取った。
メールが来ているのに気付く。慌てて開くと、屋上さんからのものだった。十五分ほど前のもの。
心臓の鼓動がやけに騒がしいことに、気恥ずかしい気持ちを覚えながら本文を読み進める。
内容は単純で、近々後輩の誕生日が来るため、プレゼント選びを手伝って欲しい、という内容。
二人でお出かけしませんか、的なお誘い。
「うおお……」
喜んだりする前に、強く動揺した。どうしよう。
とりあえず深呼吸をする。深く息を吸って、息を吐く。
後輩の誕生日って夏だっけ、と考える。思い出そうとしたけれど、記憶に引っかかるものはない。
夏休み中に誕生日が来ていたなら、知らなくても無理はない。
でも、なんで俺なんだろう。
幼馴染とか、妹の方がいいんじゃないだろうか。後輩、女の子だし。
とはいえ、そんなことを言ってせっかくの機会を棒に振ることになるのも嫌だったので、即座に了解の返事を打った。
サチ姉ちゃんはエスパーです。
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