08-02


 家に帰ってから、リビングのソファに倒れこんだ。ひどく疲れている。

 現実感が、まるでない。


 夕食は半分も腹に入らず、体調でも悪いのかと妹に心配されたが、そうではない。

 その日は動く気になれず、ほとんど何もしないまま眠った。


 翌日は朝から昼過ぎまでじめじめとした雨が降り続いていた。湿気で暑さが煩わしく疎ましい感触を伴う。

 しっかりと覚醒してからも、起き上がる気にはなれずベッドの上でごろごろと寝転がった。

 

 昼過ぎに妹に強引に起こされた。あまりだらだらするなと言いたいらしい。


 仕方ないので起き上がる。汗がべたついて気持ちが悪いので、シャワーを浴びることにした。


 濡れた髪を簡単にタオルで拭いて服を着替える。少しさっぱりとした。

 リビングにはタクミがいた。傘を差してひとりで来たらしい。


「なんかあったの?」


 タクミにすら気付かれる。なにかはあった。

 

「世の中には、どれを選んでも正解じゃない問題だってあるんだなぁ、というお話です」


 分かったようなことを言ってみる。

 タクミは呆れたように鼻を鳴らした。小学生にして、なんなのだろうこの貫禄は。


 なにがあったというわけでもないのに、落ち込んでしまう。

 なんだろうこれは。上手く言葉にならない。


 タクミは少し休んだ後、雨の中を帰っていった。

 

 俺は部屋に戻ってまたベッドの中で寝返りを打ち続けた。


 考え事が上手くまとまらない。


 なんというか。

 告白、されたわけで。


 うれしくないわけではないけど、どちらかというと後ろめたさの方が大きかった。

 それが誰に対するものかは分からない。その由来の知れない罪悪感が、ひとつの答えになっているような気がする。


 家でぐだぐだと考えていても仕方ないので、出かけることにした。

 街を適当にぶらつく。本屋、レンタルショップ。暇を持て余した休日のルート。


 本屋でマエストロと遭遇する。少し話をして別れた。彼は以前となんら変わらない。

 でも、以前とは何かが違う。変わったのはなんだろう。状況か、環境か、あるいは俺自身か。


 何か、落ち着かない。

 家に帰ろうと歩いていたところで、サチ姉ちゃんに捕まった。


 近所のコーヒーショップに連れて行かれる。古臭い環境音楽。適当に注文を済ませてから、サチ姉ちゃんは俺を見て変な顔をした。


「……どうかしたの?」


 不思議そうな顔。この人でも他人を気遣ったりするんだな、と妙なことを思った。


「いや、なんといいますか」


 困る。上手く言葉にできない、のです。自分でもよく分からない。

 だが、今の感情を分かりやすく説明するなら、


「……二股かけたい」


「最低だ」


 サチ姉ちゃんは呆れたみたいに吹き出した。


「なんかもう、考えるのめんどいっす」


「何があったのよ、いったい」


 何があったか、と言われれば、幼馴染に好きだと言われただけなのだけれど。

「だけ」というには、ダメージが大きすぎた。


「なんというか、いつかこういうことになるのは分かってたんですけど」


 どういう形であれ、みんなで楽しく遊ぶのをずっと続ける、なんて形にならないのは自然なことだ。

 仮に曖昧なままで進んだって、結局いつかは何かの形で別れることになるわけで。


「なんというか」


 どうしたものか。

 どうしたものかも何も、俺の中で結論は出ているのだけど。


 いま俺が落ち込んでいるのは、明確な答えが出せないからではない。

 答えが出た上で、どう動くべきかを悩んでいる。

 昨日、幼馴染が最後にああ言ったとき、俺の頭に浮かんだのは、屋上さんのことだった。


 なんなんだろう。


 なんというか。


 どうやら俺は屋上さんのことが好きらしい。昨日、気付いたのだけれど。たぶん幼馴染よりも。

 あわよくばもっと近付きたい。付き合いたい。下心。


 でもそれは、幼馴染と比べてどうとかいうわけじゃなく、どこがどうだというのでもなく、単にタイミングの問題。

 彼女は俺が欲しがっているものを、欲しがっているタイミングで差し出してくれる。大抵、偶然なのだけれど。

 立て続けにそんなことが起こったから、どうしても、好きになってしまうのだ。

 結果からいえば、だけれど。


 こんがらがってる。いろんなものが。

 

「なんていうかさ、いろいろ考えすぎなんじゃない?」


 サチ姉ちゃんは、俺を励まそうとしているようだった。似合わない。

 

「一個一個見てけば、意外と簡単に片付くものって多いよ」


 一個一個。

 やってみよう、と思った。


 幼馴染は俺が好きだと言った。聞き間違えたのでなければ。

 で、俺はどうやら屋上さんが好きらしい。

 でも、今までの関係も居心地良く感じていた。


 多分そこだ。


 俺は、今までの状況を居心地良く感じていた。このままでもいいや、って思っていた。

 でも、たとえば誰かを好きになって、仮に付き合うなんてことになったら、今のままじゃいられない。

 

 選択。

 

 サチ姉ちゃんの言葉をもう一度考える。「一個一個」。でも、もう遅い。

 今までのぬるま湯みたいな関係を続けるには、もう幼馴染が行動を起こしてしまったわけで。

 俺は自分の好意に自覚的になってしまったわけで。


 恋愛としての「好き」が屋上さんに向いているとしても、幼馴染のことを「好き」じゃないわけじゃない。

 だから、選べといわれても困る。

 でも、選ばざるを得ない状況に、いつのまにか追い込まれている。


 これがぐだぐだ過ごしてきたことのツケだろうか。


 なんというか。


 ままならない。


 悪いことではない、はずなのだが。


「どうにかなりませんかね、こう、みんな俺のこと大好き! みたいな感じで終われません?」


「それはねーよ」


 サチ姉ちゃんはさめた声で言った。


「ですよねー」


 まぁ、冗談なのだけれど。


 でも、俺としては、誰に対しても真摯にぶつかるしかない。

 幼馴染に考えてることを伝えてみるしかない。


 サチ姉ちゃんはちょっと笑った。


「アンタね、ちょっと傲慢なところがあるから」


「傲慢。傲慢ですか」


「なんか、自分がなんとかしなきゃどうにもならない! みたいに思ってそうな」


「そんなことは」


 めちゃくちゃあります。


「いくら自分に関わりのあることだからって、自分がなんとかしなきゃ何一つ問題が解決しないと思ってるなら、思い上がりだから」


 サチ姉ちゃんは偉そうなことを言った。

 そうだろうか。少なくとも自分にかかわることなら、自分が行動を起こさないとどうにもならない気がする。


「案外、なんもしなくても状況が動いたりするんだよね。あと、アンタはいろいろ溜め込みすぎ」


「溜め込んでないっす」


 溜め込んでない。つもりだ。


「たまには言いたいことぶちまけちゃった方いいよ。猫の毛玉みたいなもんでさ」


 なんかえらそうなことを言ってる。

 けど、この人が俺に会うたびに「上司の目がいやらしい」だの「結婚した同級生がうっとうしい」だのという愚痴を言ってくるのには変わりない。


 いまさら、ちょっといいこと言おうとしても手遅れです。

 

 サチ姉ちゃんと別れて、家に帰る。

 なんとなく頭が疲労している。 

 

 たとえば、幼馴染に、俺って屋上さんが好きなんだよ、と言ったとして。

「そっか、じゃあ仕方ないね」って納得して、今まで通りの付き合いをしてくれるというのは、とうぜん、ありえない。

 それを考えると憂鬱だ。


 でもどっちにしろ、二人を同時に取るなんてことはできないわけで。

 いつか屋上さんのところに成績優秀頭脳明晰運動神経抜群の怪物が現れて、彼女を誘惑しないとも限らない。


 それなら。


 でも。


 やっぱりなぁ、と考えてしまう。不安。

 今までずっと一緒にいた幼馴染と、話もできなくなったりしたら、俺はどうなるか。


 それでも、どうにかしないわけにはいかなかった。

 俺は、誰に対してもできる限り真摯でありたいと思っているのだ。


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