08-01


 翌日は誰も家に来なかった。起きたのは昼過ぎ。暇だったので、適当に街をぶらつくことにした。


 レンタルショップや本屋なんかをぶらりと回って暇を潰す。こういうことをしていると時間はあっという間にすぎる。

 とてもじゃないが、有意義とはいえない。かといって家でだらだら過ごすのも有意義ではない。


 今この瞬間も、課題を全部終わらせた上で、一学期の復習やら二学期の予習やらをやってる奴がいるんだろうか。

 ちょっと想像がつかない。

 アリとキリギリスの寓話(ホントはアリとセミらしいが、語感的にはキリギリスの方がいい)。


 遊んでばっかりの俺は、いつかそのツケを食らうことになるのかな、とか。

 柄にもなく真面目なことを考えたりもした。


 ボディーソープを詰め替えたばかりだったことを思い出して、近所のホームセンターに向かった。

 生活用品は一通り何でも揃う店。いつも使っているものを購入する。妹の選択。


 ひとりで買い物してるときって、なんか和む。特に生活用品の場合は。

 なんかこう、生活してるや、って気分になる。

 俺だけかもしれない。


 帰りにペットショップを覗くと、やっぱり幼馴染がいた。


「……かわいい」


 ガラス窓の向こうの子犬を見つめて瞳を輝かせていた。

 よく飽きないものだな、と思う。


 幼馴染は昔から犬を飼いたがっていた。ユリコさんがそれを認めなかったのは、遠出ができなくなるから。

 旅行好きな一家としては、やっぱりそれは痛かった。

 幼馴染も、犬を飼うことの責任と旅行にいけなくなることを考慮したうえで、納得はしていたが、やっぱり犬は好きで仕方ないらしい。


 暇を持て余すとここに来て窓を覗いてる。

 

 一度、祖父母の家に連れて行って‘はな'に会わせたことがある。すごく喜んでいた。

 帰り際に泣いてた。そこまでいくとちょっと怖い。


 声をかけると、幼馴染はハッとして振り返った。


「いつからいたの?」


「さっきから」


 実に十分間、彼女は俺に気付かずに子犬を眺めていた。


「一緒に帰ろうか」


「うん」


 並んで歩く。なぜだか赤信号に多くぶつかった。

 家につく頃には二時頃になっていた。幼馴染の家までつくと、ユリコさんに強引に誘われてお茶を飲まされた。


「トウモロコシ茹でたから」


「いただきます」


 好物。

 

「麦茶もどうぞ」


「いただきます」


 好物。


「あ、昼間お祭り行ってリンゴ飴買ってきたの。いる?」


「いやなんつーか」


 なんていえばいいんだろう、この人には。

 やりすぎって言葉がある。ユリコさんも知ってるだろうけど。


 ユリコさんは食べ物を置いていったあと、用事があるといって家を出て行った。幼馴染とふたりで取り残される。


「タクミは出かけてるの?」


「うん」


 タクミの両親もいないようなので、多分どこかに出かけてるんだろう。

 せっかくなので涼しい場所に行こうと思い、縁側に麦茶とトウモロコシを持って腰掛ける。

 

 幼馴染とふたりで並んでトウモロコシをかじる。


「美味い」


「うん」


 さっきから幼馴染が「うん」しか言ってない。

 しばらくだんまり。ゆるやかに流れる時間。


 最近じゃ珍しく、涼しい。

 明日からはまだ暑いらしい。残暑は九月半ばくらいまで続きそうだという。

 

 不意にポケットの中の携帯が鳴った。歌を設定すると外で鳴ったときになんとなく恥ずかしいので、初期設定のまま。


 画面を開く。メール一通。開く。屋上さんからだった。

 本文はなく、画像ファイルが添付されている。

 浴衣姿のるーが、カキ氷を食べながら出店の並ぶ商店街を歩いていた。かわいい。今日も祭りにいったらしい。


「タクミ、こっちにいつまでいるんだ?」


「たぶん、今週末くらいまで」


 両親の仕事の都合ってどうなってるんだろう。少しだけ疑問だった。

 

「……今週末」


 意外に近い。

 屋上さんのメールに対する返事を打っていると、幼馴染が何かを言おうとした。


「あのさ」


 こんなふうに、彼女は何かを言いかけることが多い。なぜか。

 そして最後には、「なんでもない」と言って話を終わらせる。


「……なに?」


 続きを促す。幼馴染は戸惑ったような表情をした。


「メール、誰から?」


「ああ」


 話している相手の前で携帯を弄るのは、さすがに失礼だったかな、と思う。

 でも、そういうことを気にする奴じゃない。


 親しき仲にも礼儀ありとはいえ、そんな瑣末な事柄で不愉快になるような間柄ではない。

 もちろんそれに甘え切ってなんでもしていいと思っているわけではないが、これは「そこまでのこと」とは思えなかった。


 少し考えてから、添付されてきた画像ファイルを見せる。


「ほら」


 幼馴染はディスプレイを見て少しだけ表情を強張らせた。なぜ?


「メールのやりとり、結構してるの?」


「そこまでではない。たまに来たり、送ったり」


 それも最近になってからだ。教えてもらったのがそもそもつい先日。

 メールをしたといっても、大した期間じゃない。キンピラくんとの回数の方がよっぽど多い。

 

 大抵が、こういう画像だったりとか、どうでもいいことだったりとか、家に行ってもいいかとか、そういう類のものだ。


「ねえ、好きなの?」


「え?」


 驚く。どうしてそうなる。


「何が?」


「彼女」


 判断に困る。


「メールのやりとりがあると、イコール好きなのですか」


「そうじゃないけど」


 幼馴染はもどかしそうに唸った。


「なんか、そんな感じがする」


「そんな感じ、とは」


「……そんな感じ」


 そんな感じがするらしい。

 話の流れから判断すれば、幼馴染には、俺が屋上さんのことを好きであるように見えるらしい。


 ぶっちゃけ、嫌いではないけれど。 

 というか、好きではあるけれど。

 それが恋愛感情かと訊かれれば、どうだろう。


 でもたしかに、好意の種類としては、るーや後輩に向かうものとは別のもの、という気もする。


「よく分からない」


 大真面目に答える。

 でも、最近なんか気になる。ふとしたときにどきっとする。

 そういうことはある。それが恋愛感情なのかどうかは、まだ分からない。まだ。


「……じゃあ、私のこと好き?」


「何言ってるのか君は」


 唐突な質問に呆れる。


「真面目に。シリアスに」


 と幼馴染が言うので、シリアスに考えてみる。

 幼馴染。


「……おまえとは、なんか、好きとか嫌いとかじゃないような気がするんだけど」


「というと?」


「きょうだいみたいなもので」


「……都合の悪いときばっかりそれだよね」


 彼女は少し棘のある声音で言った。強張った表情。距離を測りかねている。


「本当に妹ちゃんと同じように扱ってくれれば、納得もいくけど」


 そうは言われても、妹と幼馴染は同じ人物ではないし、立ち位置も違う。

 もし仮に、本当に幼馴染が俺の妹のひとりだったとしても、妹とまるで同じ扱いにはならないだろう。


 個人個人に対して態度が変わってしまうのは当然のことだし、仕方ないことだ。


「ねえ、今さ、私が告白したらどうする?」


「……はあ」


 少し考えて、返事をする。


「え、なんの?」


「だから、好きです、っていう」


 硬直する。

 冗談か、と思って幼馴染の顔を見る。

 目が合った。

 

 緊張で強張った表情。

 戸惑う。


 しばらく、互いに黙り合った。西部劇の決闘みたいな雰囲気。というのは嘘。

 

「……困ってる?」


「困ってる」


 そう答えた俺より、幼馴染の方がよっぽど困った顔をしていると思う。

 困ってる。

 でも、何かは言わなくちゃいけない。


 考えなかったことではない。想像していたことでもある。

 けれど、そのとき自分がどう答えるか、まるで想像ができなかったのだ。

 俺は幼馴染をどう思っているのか。


 罪悪感が胸のうちで燻る。なぜだろう。これは誰に対する罪悪感なんだろう。


 たぶん、幼馴染に対するもの。

 罪悪感があるということは、つまり、俺の中では、幼馴染に対する感情は、恋愛的なものではない、ということだ。


 自分の中で絡まっている感情を、少しずつ解いて言葉にしようとする。

 その作業を進めているうちに、つくづく自分が嫌になっていく。保険をかけようとするからだ。

 この期に及んで、正直に、思ったことだけを告げることができないからだ。


 やがて、なんとか考えを言葉にする。できるだけ慎重に。


「たぶん」


 なんというか。

 たぶん。


「おまえは俺にとって、家族なんだよ」


 言ってから、言葉が足りないことに気付く。

 そうじゃない。でも、難しい。どういえば伝わるだろう。

 好きじゃないわけじゃない。でも、それは恋愛感情というよりは、家族に対するそれに近いのだ。


 お互い、押し黙る。心臓が痛んだ。何かを言おうとするけれど、やめる。

 言葉を重ねれば重ねるほど、言いたいことが伝わらなくなってしまう気がしたからだ。


 彼女は少しの間、ずっと息を止めていた。顔を逸らして俯いた。

 俺は何も言えない。

 しばらくあと、幼馴染は軽い溜息をひとつ吐いて、拗ねたみたいな声音で言った。


「好きだから」


 そういう空気はずっと感じていたのに、実際に言われてみるとひどく戸惑う。

 俺が何も言えずにいると、幼馴染が立ち上がった。どたどたと大きな音を立てながら、階段を登っていく。


 ついさっきまでとは、自分の体を構成しているものがまるで別のものになってしまった感じがする。

 

 不意に、屋上さんの顔が脳裏を掠めた。


 現実感がまるでない。

 手のひらの中に、受信したメールを表示したまま操作していない携帯があった。

 折りたたんでポケットに突っ込む。やけに鼓動が早まっている。落ち着こうとして麦茶をコップに注いだ。 


 ユリコさんが帰ってきてから挨拶を済ませて家を出た。

 帰り道を歩いているはずなのに、どこをどう歩いているのかが分からない。


 やけに重苦しいような痛みが胸を突いた。

 

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