06-09
翌日の午前中、部活があったので学校に顔を出した。
雨は夜中降り続いていたようで、朝になってようやく止んだらしい。地面が濡れていた。
部室につくと、やっぱり部長がいた。
「どうも」
「おはようございます」
そういえば部長と話をするのも久しぶりだ。
「何か良いことでもあったんですか?」
彼女は俺の顔を見てすぐにそう言った。
「なぜ?」
「機嫌良さそうな顔してるから」
「そうですか?」
無自覚。意識していなかった。
「恋人でもできたんですか?」
部長が真顔で突飛な質問をする。なぜ恋人か。
「休み前にそんなようなことを言ってたじゃないですか」
そういえばそんな話をしたような気もする。
恋人つくるにはどうしたらいいか、みたいな話。
すっかり頭から抜けていたけれど、別に恋人ができたわけじゃない。
やたら周囲の女子率が上がっただけで。
「毎日楽しくて仕方ないです」
男として本音を言うべきだと感じた。
「女の子を侍らせて毎日楽しんでるわけですか」
「部長、その言い方だと、なんか俺が悪い人みたいです」
「好きな人はできたんですか?」
部長は疑問が直球です。
好きな人。
好きな人て。
「やだそんな恥ずかしい」
照れた。
「好きな人、いないんですか?」
「ぶっちゃけよくわかんねえっす」
正直に答えた。
好きな人とか言われても困る。
しいていうならみんな好きです。
「部長は、いないんですか?」
「私のことはいいじゃないですか」
誤魔化された。
好きとか好きじゃないとか、難しい。
幼馴染はずっと一緒にいるせいで、きょうだいみたいなものだし。
屋上さんとは友達と言えるかどうかも微妙なところだし。
妹は、いや、妹は妹だし。
しいていうなら、
「全員ひとりじめしたい……?」
「最低の論理ですね」
軽蔑された。いや、男なら思うって。
もちろん、そんなことできないのはわかってる。
でも選べないってことは、少なくとも特定の誰かに恋愛感情を持っているわけではないってことだろうか。
なんかそんな気がする。
「俺はずっと女に囲まれて過ごすのですぐへへ」
うわあ、と部長が声をあげた。
言い方はともかく、割と正直な気持ちではあった。
俺は嘘もつくし失敗もするけれど、できるだけ正直であろうと思うし、真摯でありたいと思う。
言ってることは最低かもしれないけど。
……真摯じゃないかもしれないな、これは。
そういえば、とふと思う。
部長に「好きな人は」と聞かれたとき、頭を過ぎった、幼馴染と屋上さん。妹……のことはおいておいて。
いつのまにか、屋上さんと幼馴染をほとんど同列に置いている自分に驚いた。
ちょっと前まで屋上さんは、ただのよく会う人だったのに。苦手にすら思っていたのに。
ちょっと前まで、幼馴染に彼氏ができたとかいってひどく落ち込んでいたのに。
深く考えないことにした。
◇
部活を終えて家に帰る頃には、地面はすっかり乾いていた。
太陽、まばゆい。張り切りすぎだ。暑い。
汗を拭うが、きりが無い。さっさと着替えてしまいたい。帰ったらシャワーを浴びよう。
家についたのは一時過ぎだった。幼馴染の家には夕方までに行けばいいので、まだ余裕がある。
シャワーを浴びて着替える。昨日のうちに男子三人にはメールを出しておいた。
返信はすべて「行けたら行く」だったけれど、たぶん三人とも来るだろうと思う。
マエストロはエロ小説の肥やしにでもするかもしれないし、サラマンダーは肉食だし、キンピラくんはツンデレだし。
案の定、一時を過ぎた頃に、三人とも俺の家にやってきた。
それぞれ、手にビニール袋を持って。
どこかで一旦集合したらしい。結局乗り気だったんじゃん。
荷物の中身を訊ねてみる。
「サラマンダー、なにそれ」
「花火。食べ終わったらやるかなーと思って」
サラマンダーの面目躍如である。
「マエストロ、なにそれ」
「おまえに見せようと思ったエロ小説」
そんなもんみせんな。マエストロの面目躍如である。
「キンピラくん、それはなに?」
「いや、初めて会いにいくわけだし、親御さんいるんだから、菓子折りでも持ってくべきかと思って」
やけに礼儀正しい。高校生の発想じゃなかった。侮れない。
「これだと、俺もなんかをもってかなきゃいけない気がする」
とりあえず何かないかと家中を探す。妹が怪訝そうな目でこちらを見ていた。照れる。
冷蔵庫の中にスイカがあった。これだ。
俺だけ手土産なしという最悪の事態は回避される。
三時までゲームをして遊んだ。
キンピラくんはやたらと強かったが、マエストロには敵わない。最下位は俺だった。
少ししてから五人で幼馴染の家に向かう。庭では既に幼馴染の父であるアキラさんが準備を始めていた。
三姉妹は既に来ているらしく、幼馴染やタクミと一緒に中で待機しているという。
アキラさんを手伝おうと思ったのだが、なぜだか拒否される。あまり強くも出れない。
ユリコさんなら、強引にでも手伝うことはできる。でもアキラさんは難しい。
この人はなんというか、「いいっていいって」という言葉だけで万人を納得させる力を持っているのだ
「いいっていいって」
仕方なく家の中にお邪魔する。
リビングに入ると、五人は座ってトランプをしていた。
男勢の多さに、るーが少しだけ警戒したようだったが、後輩と話すのを見て少しは安堵したようだった。
基本的に無害な人たちですし。
男子勢はむしろ、見知らぬ女子がいることを疑問に思っていた。そういえば説明してなかった。
軽く紹介する。彼らはすぐに納得した。
「花火持ってきたから後でやろう」
サラマンダーが株をあげた。
キンピラくんはキッチンに立つユリコさんに菓子折りを礼儀正しく渡した。すげえ。
でもキッチンで渡すことないのでは? やっぱりキンピラくんはキンピラくんだ。
勝手知ったる人の家で、俺はユリコさんに一声かけてからスイカを冷蔵庫に入れた。
俺、妹、幼馴染、タクミ、屋上さん、後輩、るー、サラマンダー、マエストロ、キンピラくん。
増えすぎ。
さらに、ユリコさん、アキラさん、と、見知らぬ誰か数名。
見知らぬ誰か数名。
知らない人がいることに気付いて動揺する。キッチンでユリコさんと並んでせわしなく動いていた。
「だれ?」
「るーちゃんたちのお母さんだって」
幼馴染が答えてくれた。人のよさそうな表情、若々しい見た目、少し聞こえる話し声は、落ち着きがあって控えめ。
いい人っぽい。
どことなくるーに似ている。
親しみを持つために脳内呼称をつけることにした。シミズさん。申し訳ないけど適当だ。
もう一人、キッチンには誰かが立っていた。
「タクミの?」
うん、と頷いたのはタクミだった。
そういえば、さっきアキラさんの隣に誰かがいたような。あの人がタクミの父親だろうか。
こっちは「タクミのお母さん」でいいや。うん。それで混乱しないし。
大人多い。
微妙に緊張する。
でも緊張していたって仕方ない。今日は余計なことを考えず、子供として楽しむことにした。
いわば妹と同列。
それはそれで間違っている気がする。
しばらく話をする。屋上さんが後輩のことを「すず」と呼んだ。
記憶にある限り、屋上さんが後輩の名を呼ぶのははじめてのことだ。
るーはいつも後輩を「お姉ちゃん」と呼んでいる。その違いはなんなんだろう。
「すず姉」でもいいはずなのに。
それはどちらに対して距離があると受け取れるんだろう。
俺が考えるべきことでもない、と、思考を区切った。
今はバーベキュー。
四時頃、ユリコさんに呼ばれて庭に出る。サンテーブル、紙コップ、紙皿、ジュース、ビール。
鉄板に重ねられた網の上で焼かれていく肉、野菜。
垂涎。
幼馴染と妹が積極的に動いて皿の準備をした。ユリコさんは早々に椅子に座りビールを飲んでいた。
トングはもっぱらアキラさんが持っていた。
「代わりますよ」
シミズさんが名乗り出る。
「いいからいいから」
アキラさんは当然のように断る。ユリコさんがシミズさんを強引に座らせて、酒を紙コップに注ぐ。強引な人。
サラマンダーとマエストロは遠慮がなかった。焼けたそばからばくばく喰う。ちょっとは遠慮しろ。
二つ目のトングを握った妹に、俺は野菜ばかりを食わされた。ひどい。
でもほとんど食べられていない妹の手前、何もいえない。
るーやタクミはサラマンダーたちに負けじと張り合っていたが、後輩や屋上さんはマイペースで箸を進めていた。
幼馴染は、なぜか大人たちと酒を飲んでいた。謎。
これだけの人数がいると、場は騒がしくなる。
頃合を見て妹と役割を交代する。子供の網は子供の管理。
マエストロたちに肉があまりいかないように誘導しながら具材を焼く。
大人たちが微笑ましそうにこちらを見ていた。落ち着かない。
アキラさんも大人たちに混じって酒を飲み始めた。もう酒盛りがしたいだけだったんじゃないか。いや、そういうものか?
大人たち五人を放置して、子供たちはばくばく食べる。そのままだろうが串だろうがどんどんなくなる。早い。
でも食材は大量にあった。……いいのかこれ。
敷かれていたレジャーシートの上に、屋上さんたちが正座していた。小さなテーブルの上に置かれた皿。
少し休むことにする。なぜだかあまり食べる気にはなれなかった。
俺が座ったのと同時に、後輩が立ち上がる。
網に近付いてトングを握った。気遣いタイプだなぁ。
屋上さんはあんまり食べていない様子だった。
「遠慮してるの?」
と訊ねると、首を横に振る。そういえば、いつも彼女は昼食にサンドウィッチを食べていた。少食なのかもしれない。
会話の糸口を見失う。何を言えばいいのやら。
紙コップに炭酸を注いで飲む。なんだかなぁ、という気持ち。
周囲を見る。マエストロがトングを握ってタクミの皿に肉を分けていた。大人っぽい。
サラマンダーは大人たちに混ざって酒を片手に談笑している。何者だアイツは。なぜか和やかな笑いを作り出している。
キンピラくんはマエストロの脇に立って、空いた皿や肉の入っていた容器の片付けをしている。気遣い屋。
後輩はるーの脇に立って、マエストロ作業を眺めていた。
妹は、皿を持ってこちら側にやってきた。俺の隣に腰掛ける。正面に屋上さん、隣に妹。
不意に衝撃があった。
何事、と動揺すると同時に、なにか心地よい匂いが鼻腔をくすぐった。
幼馴染が後ろから抱き付いてきたのだと気付いたのは、数秒経ってからだった。
「ふへへ」
妙な声で笑いやがる。
酔ってる。
こいつは酔うと抱きつく。抱きつき癖がある。
「離れなさい」
大人っぽく言う。
「ごめんなさいー」
謝りながらも、彼女は離れようとしない。
困る。
背中に当たる感触とか。
微笑ましそうな大人たちの目とか。
隣に座る妹の視線とか。
屋上さんの何か言いたげな顔とか。
るーがこっちを指差してけたけた笑っている様子とか(酒でも飲まされたんだろうか)。
困る。
しばらく流れに身を任せていると、幼馴染は飽きてしまったようで、なんとか離れた。暑苦しかった。
なんとか解放されたと溜息をつくと、今度は膝の上でぽすりという感触がした。
なぜか、妹が眠ろうとしていた。
「ちょっと疲れた」
「……あ、そう。中で休めば?」
「ここでいい」
言いながら妹は目を閉じる。
なんだろうこの理屈。自分がひどくおかしな空間に巻き込まれている気がした。
気付く。
夢オチだ。
そろそろなおとが現れて、「時間だぜ、そろそろ起きろよ相棒」とか言いながら都合のいい夢の邪魔をするのだ。
目が覚めるとまだ七月の上旬で、テスト前。キンピラくんも屋上さんも辛辣で、幼馴染には彼氏がいる。
そうだ、きっとそうに違いない。
どうせ夢なら何してもバチは当たらないだろう。
髪を撫でると、妹は瞼を閉じたままくすぐったそうに首をすくめた。
猫みたいに頭を動かして眠る姿勢を変える。ちょっとかわいい。
胸に触る。
殴られる。
「何をしやがりましたか」
動揺のあまり、妹の口調はいろいろ混じっていた。
「痛い。ってことは夢じゃないのか」
「何を言ってるの?」
痛いからといって夢じゃないとは限らない。夢の中で痛いと感じることもあるだろう。たぶん。
もし現実だったとしたら幸いなことに、他の誰にもさっきの行為は見られていなかったようだった。
幼馴染はどこにいった、と周囲を確認すると、いつのまにか屋上さんと世間話に興じていた。
妹は眠る気をなくしたのか、落ち着かないような顔をして居住まいを正した。
現実。
まずいことした。
「ごめんなさい」
謝る。夢の中なら何をしてもいいなんて考えた時点で最悪だった。
「いや、うん。さっきのはナシで」
なかったことにした。誰も傷つかない平和的な解決。
屋上さんと、ふと目が合う。
彼女はきょとんとした表情でこちらをみた。
なんだかなぁ。
変な日だ。
たぶん夢オチに違いない。
けれど、バーベキューを終えて、片付けをして、庭を綺麗にして、スイカを食べながら休んだあと、花火をするためにまた庭に出て。
そのあとも、ちっとも夢はさめてくれなかった。
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