06-03


 翌日、妹は幼馴染と一緒に出かけた。水着を買いに行くらしい。

 水着て。


 暑いからプールに行きたいらしい。

 一人家に取り残されて、俺は暇を持て余していた。


 夏休みの過ごし方としては、だらだら家でひとり過ごすというのも正しい気がする。


 暇だったのでテレビをぼんやり眺める。

 すぐに飽きた。

 麦茶を飲みながら静かに時間を過ごす。


 課題やってねえ、と不意に思った。

 でも、めんどくさい、と思った。


 そういえばバイトしようと思ってたのも忘れていた。

 まぁいいか、と思う。


 ダメ人間ここに極まれり。


 暇なのでゲームをする。

 なぜかちっとも楽しめない。


 仕方ないので昼寝をする。

 目が覚めた頃には夕方だった。


 一日があっという間。

 夏休み、という感じ。


 夜は妹と二人で食事をとった。

 穏やかな日々。


「今度プール行くってことになったけど、お兄ちゃんも行く?」


「行く」


 当然。


 いい年して一緒に遊びに行く相手が妹以外にほとんどいないってどうなんだろう。

 

 マエストロは基本的に趣味に没頭するタイプだし。

 サラマンダーは自分の世界に閉じこもってるし。

 キンピラくんとは微妙に距離があるし。


 友達ほしい。


 その夜は暑くて寝苦しかった。





 翌日は部活があった。

 最近、ろくでもない生活を送っている気がする。


 目を覚ます。食べる。寝る。起きる。食べる。寝る。食べる。寝る。遊ぶ。寝る。

 課題してない。


 さすがにまずいよな、と学校に課題を持ち込む。どうせやることがない部活。

 なんだか気が抜けている。

 遊んでばかりだからだろうか。


 このままじゃいけない、と思うが、何がいけないのかが分からない。


 よくよく考えれば学生の夏なんてだらけているのが当然という気もする。


 ひんやりとした校舎。

 音が遠く聞こえる下駄箱に響く、上靴が床を叩く音。

 自分の起こす音だけが、やけに大きく聞こえる世界。

 

 太陽は相変わらず喧しいような光で地上を照らしている。緑の木々が潤んだ風に揺れて、ひそやかに夏を彩る。

 木漏れ日の下の水道に、休憩中の運動部が笑いながら近付いていく。

 体育館から響くボールが跳ねる音。掛け声。グラウンドからバッドとボールがぶつかり合う音が聞こえる。

 吹奏楽部の練習の音。廊下の途中で通った教室で、誰かが話す気配。


 部室に向かう途中で、ちびっこ担任と出会った。以前とあんまり変わった様子はない。


「おう」


「どうも」


 言葉を交し合う。あんまり個人的に言葉を交わしたことがない。そもそも教師があまり得意ではなかった。


「どう? 調子」


「何の?」


「いや。いろいろ?」


 ちびっこも、訊ねておいて困っているようだった。彼女の立場で想像すると、確かに「いろいろ」としか言いがたいかもしれない。


「まぁ、そこそこ充実した夏を送ってますね」


「妬ましいな。呪われろ」


 自分から訊いておいて呪うこともないと思う。


「まぁ、ほどほどにな」


 大人っぽい言葉を投げかけられる。


 部室に行く。やっぱり来ている部員は少なかった。

 それでも部長はいる。彼女は窓際の椅子に腰掛けて本を読んでいた。


 ドアを開けて部室に入ったとき、その音に気付いた部長が顔を上げた。

 話しかけるのは邪魔になる気がして、頭を下げるだけにとどめる。


 適当な位置に荷物を下ろして課題を進める。

 開けっ放しの窓から入る風が、日に焼けた薄いカーテンを揺らしていた。


 静かな時間。

 数人の先輩たちが一箇所に集まって話をしていたけれど、それは気をつければ聞こえないほど小さな声だった。

 休み前の騒々しさと比べると、あってないようなものとすら言える。

 部室はやけにひんやりと涼しかった。


 自分でも驚くほど集中して課題を進められた。静かな時間。こういうのも、たまには必要なのかもしれない。




 

 部活を終えて家に帰る。玄関のドアを開けなくても、中で人が騒いでいるのが分かった。


 妹、幼馴染、タクミくん。

 屋上さん、後輩、るーちゃん。


 すっかり遊び場にされてしまった様子だった。


 リビングに入ると、みんながいっせいに俺の方を見た。一瞬動揺する。


 彼女らはそろって「おじゃましてます」と言ってから、またがやがやとした騒ぎの中に戻っていった。

 なぜこうなった。


 幼馴染は俺の方を見て少しだけ申し訳なさそうな顔をした。


「来たらいなかったから」


「いなかったから?」


「勝手にあがったの」


 だろうね。

 妹がいたから勝手とは言いがたいけど。


 屋上さんの方を見る。彼女は気まずそうに目を逸らした。


「一応、メールしたんだけど」


 ポケットから携帯を取り出す。マナーモード。メールが来ていた。

 俺が悪かった。


「うちの兄は人気者のようで大変誇らしいです」


 妹は不機嫌を隠そうとするとき敬語になる。

 なぜ機嫌が悪いのかはちっとも分からない。


 こんなに人数がいては収拾がつかない。


「よし、タクミくん、るーちゃん! ザリガニ釣りに行こうぜ!」


「暑い」


「ジュース買ってくれます?」


 ノリの悪い子供たちだった。

 

 るーちゃんに至っては、「遊びに行きたい子供に仕方なくついていく年上の姉」みたいな雰囲気すら滲ませている。

 なんだろうこの気持ち。ちょっといいかもしれない。

 嘘だ。


「なんだよもう、どうしろっていうんだよ」


「どうもしなくていいんじゃないすか」


 後輩が楽しそうに笑う。

 じゃあもうどうもしなくていいや。


「先輩、私とオセロします? オセロ」


「なんでオセロ?」


「あったからです」


 後輩とオセロをする。

 るーちゃんとタクミくんは――もうめんどくさいので「るー」と「タクミ」でいいや。二人は仲良くアニメのDVDを見ていた。

 ぶっちゃけサラマンダーとマエストロに押し付けられた深夜アニメなのだが、楽しんでいるならいいだろう。そのうちパンツシーンが来る。


 麦茶を飲む。幼馴染と屋上さんが何か話をしていた。今度いくプールの話。幼馴染が屋上さんを誘っているらしい。


「先輩、ひょっとして迷惑でした?」


 後輩が言う。


「なにが?」


「来たの」


「まさか」


 本音だった。にぎやかなのは嫌いじゃない。騒がしいのは好きじゃないけど、意味が違う。

 赤の他人の子供の泣き声と、親戚の子供の泣き声くらい、意味が違う。


「さ、勝負勝負」


 後輩とオセロをしている間に、子供たち二人は眠ってしまった。

 よく寝るなぁ。もう昼寝が必要な年齢でもないだろうに。

 それだけはしゃいでいたのだろうか。


 ジャンケンで食料の買出しにいく人間を決める。いっそ準備しておけばいいのかもしれない。

 

 当然のように俺が負ける。

 もう一人は後輩だった。


 毎日のようにコンビニで金を浪費している気がする。

 このままじゃいけない、と思う反面、夏だし、アイスくらい誰でも買うよな、という言い訳がましい部分もあった。


「まぁ、なんだかんだでいい機会なのかもしれないです」


 コンビニ帰り、ポッキーをかじりながら、後輩は不意にそんなことを言った。


「何の話?」


「うちのきょうだい」


 何の話かが分からず、続きを待って口を閉ざす。後輩の言う言葉の意味がよくわからなかった。


「ぶっちゃけ、そんなに仲良くないんですよね。嫌いとかじゃなくて。なんというか……」


「距離を測りそこねている」


「そう、そんな感じ」


 ようやく後輩が言わんとしていることを理解する。三姉妹の間に、どことなく距離がある、というのは俺も感じていた。

 互いに直接言葉を交わすことが少ないし、会話するにしてもなぜか他者を中継する。


 距離を測りそこねている感じ。


「いわゆる家庭の事情って奴で、まぁいろいろあるんですけど。るーは私にはなついてるけど、ちい姉には微妙に距離があるし」


 そのあたりの機微は、会って間もない俺にはわからない。


「ちい姉も、何考えてんのか分かんない……という言い方するとあれですけど、あんまり思ってることを口にしないタイプなんで」


 だから、いい機会なのかもしれないです、と後輩は言った。


「俺んちに集まって遊ぶのが?」


「まぁ、そう言われると微妙なんですけど」


 後輩は人のよさそうな笑みをたたえた。どことなくほっとしたような微笑。


「先輩には期待してますよってことです」


「そんな抽象的な話をされてもな」


「でも先輩、具体的に事情を説明されてもいやでしょ」


「まぁ、本音を言えばね」


 できれば、人間関係に対して責任を負いたくない。

 どうしてもというのであれば仕方ないが、個人の問題は個人でかたをつけるべきなのだ。

 物見遊山で人の事情に足を突っ込んで、ろくでもないことになるのは目に見えてる。

 

 どれだけ親しくなろうと、一定の距離は保つべき。

 こういう考えも、やっぱり卑怯かもしれない。


「先輩、そういうタイプだし。あんまり頼られると、すぐに逃げ腰になる」


「遠まわしに臆病と仰っておられる?」


「あんまり嫌いじゃないですよ、そういうの」


 臆病の部分は否定してもらえなかった。

 後輩はポッキーをかじりながら軽快に歩く。


 なんだかな、という気持ち。

 買いかぶりすぎじゃないだろうか。


 家に帰ると、るーとタクミはまだ眠っていた。

 二人を除く三人は、なぜかテレビゲームで白熱している。


 妹と幼馴染の順位は伯仲していたが、屋上さんはぶっちぎりのトップだった。


「おかえり」


 おかえり、といわれるのも、なんだか変な気分。


 三時頃、眠っていて昼を食べ損ねたるーとタクミのために、妹がホットケーキを焼いた。


「俺にも!」


 二人に混じって要求する。


「子供の分を取り返そうとするな、バカ兄」


 叱られた。






 夕方頃には幼馴染とタクミは家に帰った。タクミはあと二週間ほどはいる予定だと言う。

 夏祭りがあるな、と思った。

 妹の浴衣のことも考えておかなければならない。


 三姉妹は疲れた様子だった。


「遊び疲れた?」


「みたいです」


 るーは眠そうに瞼をこする。

 ずいぶん馴染んだな、と感じる。

 屋上さんは、うちにきている間もたまに眼鏡をかけるようになった。どういう心境の変化かはわからない。

 髪は相変わらずほどいていた。法則が読めない。


 帰り際、後輩が口を開いた。


「明日あたり、どっか行きます?」

 

「どっかって?」


「どっかっす」


 丸投げ。


「あー、じゃあ、まぁ、そのー、えー。モールとか?」


 かなり適当だった。どうでもいいことだが、いつのまにか明日もうちに来ることが決定していた。


「おっけいです」


 おっけいが出た。

 人ごみを思うと憂鬱になる。


 しばらく三人の後姿を見送っていると、不意に屋上さんがこちらを振り向いた。


 既視感。

 どこかで見たことがあるような表情。


 たぶん、錯覚だろう。


 少し早い夕食をとってから、静かな家の中でテレビを見ているのが妙に寂しく思えて、洗いものをする妹を後ろから抱きしめた。

「動きにくい」と言われただけだった。


 余計寂しくなったので、何も言わずにソファに戻る。


 なんだかなぁ。

 最近、自分が分からない。

 だんだん落ち着かなくなっている。


 なんだろう、これ。


 変なかんじ。


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