04-07


 テスト前日の夜は必死に勉強をした。

 一夜漬け。とはいっても付け焼刃にしかならないと分かっていても、必死になってノートにかじりつく。

 早めに眠って、翌日に備える。万全の準備をした。


 が、それだけ前準備をしていたにもかかわらず、終わってみればテストの手ごたえはほとんどなかった。


「だいたいさ、おかしいだろ」


 俺の呟きに、幼馴染は心底同情するような視線を向けた。


「だって、テストに出ることってだいたい教科書に載ってるじゃん。だったら、分からないことがあったら教科書を見ればいいわけで」


 俺は大真面目に言ったつもりだったのだが、彼女は苦笑するだけで同意はしてくれなかった。

 元素周期表なんてものは必要としている奴が壁にでも貼っておけばいい。本当に必要としているならそのうち覚えてる。

 

 家に帰ってからもしばらく憂鬱な気分は続いたが、終わったことをずっと考えていても仕方ないので、俺は土曜日のことを考えた。

 一応、妹に行き先と目的を告げて出かけることは言ってある。

 財布をいつもより厚くしておく。

 妹だけに決めさせるのも申し訳ないので、俺もいくつか案を考えておいたが、実際に見て気に入ったものがあればそれにすればいいだろう。


 ベッドに倒れこんで一日の反省をした。

 勉強、せねばなるまい。


 蝉の声に耳を傾けてしばらくぼーっとしていると、あるときを境にその音が耳が痛くなるほど大きくなった。


 窓に目を向けると、蝉が網戸に止まっていた。


「おお! すげえ! 近い!」


 思わず携帯で写メる。

 蝉の腹の画像がデータフォルダに保存された。

 夏だなぁ。


 網戸を一度開けて、がんっ! と閉めなおした。蝉は羽を広げてどこかに飛んでいく。


 もう一度がらりと開ける。青い空が広がっていた。


「夏――――ッ!」


 思わず叫ぶ。

 近所の犬が呼応するように吼えた。

 子供たちの笑い声が聞こえる。


 テストは終わった。

 もう夏休みは目前だ。





 土曜は近場のショッピングモールへと行った。

 日用品から服、インテリア、楽器屋、靴屋、雑貨屋、ギフトショップ、アクセサリーショップ、ペットショップ、フードコート。

 大小含めておびただしい数のテナントが並んでいて、大勢の人々がさまざまな店に出たり入ったりしている。

 

 冷房の効いた店内に入っても、人波は独特の熱気を持っていてとても涼めはしなかった。

 

 店が多いのはいいものの、おかげで一日で回りきれるほどの広さではない。

 ある程度目的を決めて動かないといけない。


 とりあえずぼんやりと決める。


 服屋はなしにして、鞄、財布なんかを回るのがいいか、それとも小物か、アクセサリーか。

 考えるのが面倒になったわけではないが、妹に先導をまかせて後をついていくことにした。


 普段はあまり来ないところだからか、妹はいつもよりはしゃいでいた。

 人ごみは得意ではないはずなのに、疲れた様子を見せることもない。


 この反応だけで、まぁいいか、と思ってしまう。


 雑貨屋を回る。クッション、ペン立て、本棚、クッション、ぬいぐるみ、さまざまなものが置いてあった。

 妹はいろいろなものを触ったりしながらいろいろと見て歩いた。

 俺も追いかけながら、いろいろと手にとってみる。


 次にアクセサリーショップを見に行くが、これにはあまり食指が動かないようだった。

 いつも身につけていられるとはいえ、金額も相応だし、学生はおおっぴらには付けて歩けない。

 そもそも兄にプレゼントをされたネックレスやらなにやらを身に付ける女子というのも微妙な塩梅だ。


 そうなるとやっぱり家の中で使うものがいいだろう。あるいは財布のようなもの。

 

「財布は、別になあ」


 と妹は言う。そもそも財布にこだわる感覚が分からないのだろう。

 使いやすくてあまりデザインのひどくないものなら何でもよさそうだ。

 

 しばらくいろんな店を見て回ると、あっというまに昼時になった。

 混み始めてからだと困るので、早めにフードコートへ向かったが、それでも人は大勢いた。


 昼食にラーメンがいいんじゃないかと提案したところ、妹がひどく不機嫌になった。ラーメン、悪くないのに。

 仕方ないのでハンバーガーにする。これも妹は少し難色を見せたが、他よりはマシと判断したらしい。基準が分からない。

 

「こうしてると、デートみたいだね」


 と、言ってみた。俺が。


「馬鹿じゃないの?」


 反応は辛辣だった。ひでえ。


 腹ごしらえを終えて、少し休憩していると、聞き覚えのある声に話しかけられた。

 後輩だった。


「どもっす」


「おす」


「どうも」


 後輩は前にファミレスで会ったときと変わらない様子だった。


「デートすか」


「デートっす」


「違います」


 示し合わせたような会話に、後輩はけらけら笑う。


「そっちはデート?」


「ああいや。家族です」


 彼女はちらりと遠くの席を見た。

 少しの間、話をしていると、食器の載ったトレイを持ったまま後輩に誰かが話しかけた。

 どこかで聞いたような声だと思って振り向いたが、その顔に見覚えはなかった。

 太い縁の赤い眼鏡。まっすぐ下ろした髪。その表情はどこかで見たことがあるような気がした。

 

 彼女は一瞬だけ俺を見ておかしな反応をした。その直後、後輩を置き去りにして早々に去っていく。


「待って、ちい姉!」


 後輩の言葉を耳ざとく追いかける。ちい姉。「ち」がつく知り合いはいない。たぶん気のせいだったのだろう。


「それじゃ、私行くんで。デート楽しんでください」


「デートじゃないです」


 後輩は颯爽と去っていった。スタイリッシュ。


 混み合ってきたフードコードを出る。人の出入りが多い。はぐれないようにあまり離れないように注意する。


「手でもつなぐ?」


「冗談でしょ」


 半分くらい本気だったが、そう言われては仕方ない。


 結局さっきの雑貨屋が一番よさそうだったので、その中を歩いてみることにする。

 

「マグカップ。どうよ?」


 無難なものを押す。

 妹は満更でもなさそうだった。


 長い間、彼女はさまざまなマグカップの形や色や柄を眺めていた。

 やがてこれだというものを見つけたらしく、俺に向けてそれを得意げに抱えた。


 外側が黒く塗られた、シンプルな形のものだった。

 一瞬怪訝に思う。本当にこれでいいのか? 受け取ってよく観察してみると、側面に小さな猫の後ろ姿が白線で描かれていた。

 そしてその足元にはアルファベットが並んでいる。不器用そうなフォントで『can't sleep...』。切なげな猫だ。


「これでいいの?」


 真っ黒というのも変なものだと思う。


「うん。これがいい」


 いたく気に入ったらしい。そこまで言うならと早々に決定した。

 満足顔の妹を横目に笑う。安上がりな奴。もうちょっと贅沢をしても誰も責めないのに。


 俺はレジに寄る前に写真立てのコーナーを探した。少なくない種類がある。どれも同じに見えたが、一応意見を聞いておいた。


「どれがいいと思う?」


 妹はよく分かっていない顔をしていたが、それでもちゃんと選んでくれた。シンプルであまり気取っていない木製のもの。

 カメラは帰りに使い捨てのものでも買うか、と思ったが、デジカメがあるのでそれをプリントすればいいと気付いた。データのまま保存できるし。

 写真屋で現像を頼むことなんていつの間にかなくなった。


 せっかく来たのでもう少しだけ回って歩こうかとも思ったのだが、割れ物を持ち歩くのは少し怖いし、人ごみに疲弊しつつもあった。


 早い時間だが家に帰ることにした。


 妹は帰る途中も期限をよくして鼻歌を歌ったりしていた(鼻歌は歌うで合っているのだろうか)。

 最近は「馬鹿が割り増しになったよね」とか言われることもなかったし絶対零度の視線を浴びせられることもなくなった。

 良い傾向なのか悪い傾向なのかは分からない。


 まぁ、考え事をしたって仕方ないし、と割り切る。


 家に帰ってからひとりで買い出しに出た。

 自分で自分を祝う食事を作るのも妙な話なので、明日の食事の準備は俺がすることになっている。

 せっかくなので大量に作ることにした。豪勢に。好きなものを。


 買い物を終えて家に帰ると幼馴染とユリコさんがいた。

 どうやら妹の誕生日前日ということで、プレゼントを置きにきたらしい。

 

 彼女たちはプレゼントを妹に渡してわずかに言葉を交わしたあと早々に帰っていった。


 その後俺たちは夕飯をとってリビングで暇を持て余した。

 テストが終わったばかりで、何もすべきことが見当たらない。

 とにかく映画でも観るかと思ったけれど、もう見飽きたものばかりで見たいものがない。


 結局その日は何もせずに眠った。


 後で聞いた話だが、幼馴染からは熊のぬいぐるみ的ストラップ、ユリコさんからは熊型目覚まし時計だったらしい。

 なぜ熊なのかは疑問だが、本人が気に入っているようなのでよしとする。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る