04-02


 次の日曜も、幼馴染は当然のようにうちにやってきた。


 リビングのソファに寝転がってだらける幼馴染。

 テーブルに突っ伏して暑さに負けている妹。

 俺は椅子に身体をもたれて全身の力を抜いていた。


 暑い。


「たとえばさ、朝の六時って『早い時間』だろ?」

 

「そうだね」


 だるそうに幼馴染が頷く。意味もなくつけたテレビでは旅番組をやっていた。

 チャンネルを変える。暑さに負けない健康料理特集。妹が顔を机にくっつけたままちらりと目を向ける。

 リモコンをおいて手の力を抜いた。


「でも、深夜三時って『遅い時間』だろ?」


「そうだね」


 幼馴染がさっきとまったく同じ声音で応じた。

 

「遅い時間が早い時間より先に来るって、おかしくない?」


「そうだね」という幼馴染の呟きを最後に、言葉が途絶える。


 開けっ放しにした窓から、風が一切吹き込まない。風がないのだ。ちょっとでいいから吹け。

 扇風機をつけてあるが、気休めにもならない。近付くと髪が動いてわずらわしいし、遠いと涼しくない。

 

 髪、切りにいきたい。


 けど、動くのだるい。

 テスト勉強どころじゃない。


 夏。


 網戸の向こうから蝉の鳴き声が聞こえる。風物詩。

 

「……暑い」


 何もやる気が起きない。

 このままではいけない。

 何とかしてやる気を取り戻さなければならない。


 しばらく無言のままの時間を過ごしていると、やがてインターホンがなった。

 這うようにして玄関に向かう。客はマエストロだった。


 彼を玄関からリビングに招き入れたときには、二人の少女は居住まいを正していた。どういう理屈だそれは。


「こんにちは」


 にっこりと妹が笑う。

 どういう理屈だそれは。


 マエストロは幼馴染の姿を見つけてひどく戸惑った様子だった。


「なんで?」


「いろいろあって」


 本当にいろいろあった。

 幼馴染はマエストロに向かって笑いかける。だからどういう理屈だ。さっきまでのおまえたちはどこへ行った。女って怖い。


 マエストロは少し怪訝そうな表情をしたものの、すぐに興味を失ったのか、堂々とリビングの椅子に座った。

 女が二人いることに気後れする様子はない。すげえ。逆の立場ならこうは行かない。


「で、だ」


 マエストロはカバンからノートPCを取り出した。


「電気もらうけど」


「いいけど、充電あるんじゃないの?」


「ずっとコンセント繋ぎっぱなしにしてたら数秒で充電切れるようになって」


「……どうにかしようよ、それは」


 具体的な解決法は詳しくないので思いつかない。

 バッテリー買い替え? どこで売ってるんだろう。


「で、これ描いたんだけど」


 画像ファイルが展開される。


 パステルっぽい淡い彩色のされたイラスト。

 リアルっぽい雰囲気で描かれたイラスト。

 アニメっぽい塗りのイラスト。

 なんかすごい凝った風景。

 モザイクなしのモロエロ絵。


 なんてものを描いてるんだ。


「ごめん、これは間違いだわ」


 マエストロがファイルを閉じる。と同時に、俺の様子を窺うようにこちらを見た。


「……おまえ、どうした?」


 彼は驚いたように目を見開いた。


「え、なに?」


 何か変な態度を取っただろうか。

 別におかしなことはなかったように思う。

 それなのにマエストロは、女だと思っていた漫画キャラが男だったと気付いたときみたいに呆然としていた。


「反応が薄すぎるだろ」


「そう、か?」


 マエストロはしばらく考え込んでいた。

 たしかに、マエストロの絵には、いつも強い反応を見せたような気がする。上手いし、ツボをついている。

 クオリティが落ちているとか好みじゃないというわけではない。

 そう考えると、確かに反応が薄いような気もした。


 彼はしばらく押し黙ったあと、不意に幼馴染に目を向ける。


「……なるほど」


「なにが?」


 マエストロは俺の質問には答えずにうっすらと笑う。


「なぁ、チェリー。おまえひとつ忘れてないか?」


「チェリーって言うな」


 妹の前で。

 肝心の妹本人はきょとんとしている。それならまぁいいや。

 と、安心したところに、


「幼馴染との関係が元通りになったって、おまえが童貞だってことは変わらないんだぜ?」


 ――爆弾が投下された。


「どうて……え、なに?」


 妹が戸惑ったように眉をひそめる。幼馴染はもう慣れた様子で、平然と麦茶を飲んでいた。恐ろしい。

 なんてこと言いやがる。


 が、的を射ていた。


「そうだった……」


 俺は依然として童貞だった。状況は一向に打破されていない。

 まいった。完全に忘れていた。


「どうしよう……」


 苦悩する俺を見て、マエストロは楽しそうに笑った。自分だって童貞のくせに。


「童貞か童貞じゃないかって、そんなに重要かな」


 幼馴染が心底不思議そうに言った。重要だよ。むちゃくちゃ重要だよ。

 あと女の子があんまり童貞とかいうんじゃありません。


 夏が近い。

 どうにかしなくては、と考える。


 ……でも、ぶっちゃけ、そんなに焦る必要あるか?

 冷静に考える。


 別に、彼女ができていい感じに仲が進めばそのうちやることはやっちゃうわけで。

 何も焦ることはないんじゃないか?

 童貞捨てたいから女の子と付き合うっていうのも、何か違う気がするし。


 マエストロは眉をひそめて悲しげな表情をつくった。


「昨日までのおまえは切羽詰ってて面白かった」


 彼は寂しそうに呟く。


「今のおまえの、その妙な余裕はなんだよ。キャラが違いすぎるだろ。先週までの童貞丸出しなおまえはどこにいったんだ」


「マエストロ……」


 その発言、普通に失礼だよ。





 一度しっかりと行動しはじめてしまうと、だらだら過ごすのはもう難しい。

 仕方ないので、冷房が効いていることを期待してファミレスに向かう。時間帯のせいか、結構空いていた。


 朝食と昼食をかねた食事。味は悪くない。

 

 数十分居座ってから、店内が混み合い出した頃に店を出る。


 外に出ると太陽がうっとうしいほどに自己主張を続けていた。 

 入道雲。蝉の鳴き声。炎天下。汗。


「暑い」


 口に出すと暑さが増したような気がした。

 今の段階でこうなのだから、夏の盛りとなった頃には熱中症で倒れかねない。


「俺、帰るわ」


 マエストロは汗を肩で拭いながら言う。


「うち来ないの?」


「だっておまえ、エアコンつけねえじゃん」


 幼馴染がちらりとこちらの様子を窺ったのが分かった。


「まぁ、必要ないかなって」


「んなわけあるか。この暑いなかで」


 マエストロが帰ったのを見届けたあと、三人で並びながら家に戻る。


 暇なので、三人でゲームをする。スノボー系のレーシングゲーム。昔よくこれで遊んだ。


 妹は恐ろしくこのゲームが上手いが、俺は恐ろしくこのゲームが苦手だった。

 幼馴染は普通だが、順位はかなり変動する。


「エアコン、つけてもいいよ」


 幼馴染はコントローラーを握ったまま言った。

 何言ってるんだこいつは。

 エアコンつけてると具合が悪くなるくせに。

 ちょっとくらいなら平気かな、と思って青褪められた経験は忘れようにも忘れられない。


「別に気を遣ってるわけじゃないよ」


 俺だってエアコンの風は好きじゃなかった。何度か試して懲りた。妹も寒がり。

 エアコンをつけて得をする人間がそもそもいない。民主的な結論。


「そう?」


 彼女が俺の言葉を信じた様子はなかった。なんだって俺たちは遠慮しあってるんだろう。

 扇風機の電源を入れて首を振らせた。気休め程度にはなるかもしれない。


 夕方までゲームをして過ごしてから、テストのことを思い出す。

 勉強してない。


 これはまずい。

 が、まだ二週間くらいある。

 大丈夫。うん。


 五時を過ぎた頃、幼馴染の母であるユリコさんがやってきた。

 ちなみに本名はユリコではない。どうしてこんなあだ名がついたのかは分からないが、俺の母がそう呼んでいた。


「久し振り。先月以来?」


 母とユリコさんは学生時代からの付き合いで、忙しい俺たちの両親に代わってよく面倒を見にきてくれた。

 最近でも、食事を一緒にとったりする。

 家族全員で揃って食事をとることより祖父母と食事をとることのほうが多いが、ユリコさんと一緒に食事をとることはさらに多かった。

 

 幼馴染と会ったのも、母親同士が友人同士だったという縁があったからこそだ。


「にしても、女ふたりに囲まれて休日を過ごすなんて、ちょっと爛れすぎてるんじゃないの?」


 片方は妹だ。それにもう片方は自分の娘だろうに。爛れるとか言うな。


「夏の魔性が俺を野獣にさせるんです」


 なぜかこの人を前にすると冗談を言わずにはいられない。


「ユリコさんも爛れてみます?」


 四本目のコントローラーを差し込んだ。

 四人でプレイする。首位は妹。二位は幼馴染。三位は俺。四位がユリコさん。


「……ねえ、コントローラーがきかないんだけど」


「いやいやいや」


 正常に動作しております。


 俺のコントローラーの方をユリコさんに手渡して、もう一度レースをはじめる。

 首位妹。二位俺。三位幼馴染。四位ユリコさん。


「……調子悪いなぁ」


「いやいやいや」


 そんな素振り全然見せていなかった。


 その後、何度もステージを変えてプレイしたけれど、一位と四位は全部同じだった。


「……もういっかい。もういっかいだけだから」


「もう六時になりますよ」


 ユリコさんは負けず嫌いだ。


 その後、ユリコさんに誘われて幼馴染の家で夕食をご馳走になる。


 焼肉。

 遠慮はいらない、と自分で思った。


 ばくばくと食べる。

 

「調子に乗りすぎ」


 ユリコさんの不興を買った。


「夏の太陽が俺をおかしくさせるんです」


「もう日、沈んだから」


 ちょっとだけ遠慮しながら食べた。

 どうせならお風呂も入っていけば、と勧められる。

 

 せっかくなので好意を受け取ることにした。


「一緒に入るか」


「調子に乗りすぎ」


 妹の不興を買った。


「私と一緒に入る?」


 幼馴染が真顔で言った。


「なんばいいよっとねこの子は」


 思わずシリアスに突っ込む。

 このところペースが乱れっぱなしだ。


「どうせだから泊まっていけば?」


「調子に乗りすぎです」


 無礼を承知で俺が言う番だった。

 丁寧に断る。風呂まで入っておいて今更だが、一応テスト前だし勉強もしたい。

 お礼を言って、家に帰ることにした。

 いつものこととはいえ、もてなしが過度でちょっと遠慮してしまう。


「またきてねー」


 笑顔のユリコさんに見送られて玄関を出た。おじゃましました。ごちそうさまでした。

 日曜の和やかな夜が過ぎていった。

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