03-06


 朝、起きて朝食をとる。

 健康的な食事。一日の活力。ハムエッグは好物。

 

 暇だったのでアコギを掻き鳴らした。 

 三十分程度、適当に鳴らして飽きたころ、妹がどこかから「うるさい!」と叫んだ。


 仕方ないのでリビングに下りて階段下の物置から64を持ち出した。

 風来のシレン2。カセットを差し込む。今となっては粗いグラフィック。


 毎回、カタナ+54、オオカブトの盾+62くらいまで装備を強化したところでシレンが運悪く倒れる。

 次はじめるときに装備を取り戻そうと同じダンジョンに挑む。

 強い武器と防具に慣れてしまって適当になったプレイングのせいで、また死ぬ。

 装備が取り戻せなくなる。

 

 むなしさだけが残った。


 妹は暑そうにソファに寝転がっていた。

 せっかくなので誘ってみる。


「一緒にスマブラしない?」


「しないから」


 古すぎるもんね、64は。





 正午を過ぎてから幼馴染にメールを送る。


 返信はすぐにきた。


「ちゃんとメールで言ったよ!」


「明日」と言ったのは間違えたわけではなく、最初からメールで断りを入れるつもりだったのだと主張したいのだろう。

 妙なところで意地を張る奴だ。


 俺は幼馴染から先輩の自宅の電話番号を聞きだした。部活の連絡網。携帯に見知らぬ番号から電話がきたら無視しちゃうしね。


 先輩の家に電話をかけると人のよさそうな母親と思しき人が電話口に出た。

 先輩の名前を言って呼び出してもらう。どうやら家でテスト勉強をしていたらしい。


 彼は少なからず驚いていたようだった。せっかくなので、事情を省みず呼び出ししてみる。


「今から会えません?」


 デート。

 

 嘘だ。





 先輩の了解を聞き届けて、待ち合わせ時間に間に合うように準備を始める。といっても、財布と携帯だけ持っていけばいいだろう。

 待ち時間を潰すために文庫本を持っていこうかとも思ったけれど、ブックカバーをつけたままにしているものがなかったのでやめておく。

 本屋でつけてもらえるブックカバーは便利なのだけれど、手触りがいやだ。

 かといって布製のものは読みにくい。ジレンマ。


 ガレージから自転車を出す。中学のときのステッカーを貼ったままだ。

 先輩の家の位置も考えて、ちょうど中間くらいにある店に待ち合わせた。ハンバーガーショップ。

 蝉の鳴き声を掻き分けるようにペダルを漕いだ。


 俺が店についたとき、先輩はまだ来ていなかった。昼時だからかひどく混雑している。

 注文、支払い、商品の受け取り。空いている座席を探して座る。そう時間をおかず、先輩はやってきた。


 彼が座るのを見届けれから、口を開いた。


「いくつか訊きたいことがあるんですけど、かまいませんよね?」


「その前にひとついいかな?」


 先輩はさわやかに笑った。


「なんでしょう?」


 不敵に問い返す。


「襟元になんかついてるよ」


「え、うそ」


 白いものが付着していた。

 ケフィア的な何かか?

 心当たりは無い。


 よくよく見てみたら歯磨き粉だった。


「やだ私ったら」


 恥ずかしくて赤面する。


 先輩はひとつ咳払いをした。


「それで、訊きたいことって?」


「単刀直入に言うと幼馴染のことです」


 単刀直入に話をはじめた。


「ぶっちゃけ」


 はっきりと言うべきかどうか悩む。

 少しおいてから、悩んでも仕方ないことに気付いた。


「自作自演ですよね?」


 先輩が驚いたように目をしばたたかせる。どんな仕草をしてもさまになる人だ。


「どうしてわかったの?」


「カマかけただけです」


 怪しんではいたけれど、推測の域を出ないものだった。


「なにが目的だったんですか?」


 先輩は言葉に詰まった。だいたいの想像はつく。


「……それ、言わなきゃダメかな?」


「別に言わなくてもいいです」


 想像がつくから。


「で、ちょっと訊きたいんですけど」


「なんだろう」


 爽やかな反応。いい人なのに、流されやすいのだろうか。


「あのメデューサ、暴走気味じゃありません?」


「メデューサ?」


 脳内呼称を口に出してしまった。


「えっと、あれだ。目が異様に大きい人」


 先輩が「ああ」と頷く。


「サコか」


「サコ? さん、ですか」


「昨日、図書室で君を呼び出した人。あ、あの後大丈夫だった?」


「ええ。まぁ、何事もなく」


 何事もなく罵倒された。


「それならよかった。一応、心配だったんだ」


 先輩は安心したように溜息を漏らした。そう時間をおかず、今度は憂鬱そうに溜息を漏らす。

 溜息は口ほどにものを言う。だいたいニュアンスでどんな気分かが伝わってくるものだ。


「――前言を翻すようでアレなんですけど、やっぱり、ちゃんと訊いておきたいです」


 俺は少し考えてから口を開いた。


「先輩、アイツのことが好きだったんですか?」


 アイツ、は、幼馴染のことだ。


 彼は、逡巡するようにあちこちに視線をめぐらせて、最後にはテーブルの上に向けた。

 トレイの上に載ったままのハンバーガー。封の空いていないストロー。一向に減らないフライドポテト。


「……うん」


 長い沈黙のあと、先輩はかすかに頷いた。


「卑怯だよな、とは思ったよ。自分でも」


 自嘲するような笑みを頬に貼り付けて、先輩は言う。


「言い訳はしないけど」


「ええ。納得はしませんけど、理解はしますよ」


「ありがとう」


 とはいえ、彼が悪いのかどうかは、これからする質問次第で分かることであって、今は判断のしようがない。


「昨日、メデューサ、じゃないや。サコさんに言われたこともありますし、実際にあったことを説明していただけるとありがたいんですけど」


 先輩は言葉に詰まった。

 またこれだ、と思う。人には隠し事が多すぎる。


「……まぁ、巻き込んだわけだし、ね」


「言いたくなければいいです。俺、実際にはほとんど無関係ですから」


「そうでもないよ」


 先輩は気まずそうに微笑んだ。


「まず、僕は彼女が好きだったんだ。それは、もう言ったよね?」


「ええ」


 頷いて続きを待つ。先輩は言葉を選ぶような間をおいてから、話を続けた。


「そのことをサコに相談した。彼女は僕の友達の中でも、恋愛ごとに関して一番頼りになる人物だと思ったから」


 ――アンタみたいに見てるだけで恋してるみたいな気分になってる奴が一番イタいんだよ。もう二度と二人に近寄んな。


 言動の節々に見え隠れする、恋に対する自信と自負。

 オブラートに包まずに言ってしまえば、彼女は思い込みが激しく、自信家であり、お節介焼きで、ちょっとイタい人なのだ。


「サコは次の日には具体的な計画を立てて来たよ」


「それが偽装カップル?」


 俺の俗っぽい言い方に、先輩はいささか辟易したようだった。それでも仕方なさそうに頷く。


「そういうこと。口車に乗せられた、という言い方をすると誤解を生むかな。実際には僕も同意したから。でも、その場の雰囲気に乗せられたところはあった」


 これは言い訳かな、と彼は肩をすくめる。その仕草が妙に似合っていて腹立たしい。少しはしおらしくしやがれ。


「つまり、サコさんは、偽装カップルとして一緒に行動させることで、二人の距離が縮まることを期待したんですか?」


 先輩は俺の言葉にきょとんとした。少し間をおいてから、ああ、と頷く。


「そうだよ」


「その話に乗ったわけですか」


「……うん」


 先輩は幼馴染が好きで、それをメデューサに相談した。

 メデューサは、自分が彼に言い寄っていることにして、ふたりを偽装カップルとして近づけることに成功する。

 互いの距離は少しずつ縮んでいったが、今日に至って幼馴染からそれを取りやめる旨のメールが送られてくる。


 先輩の話をまとめると、つまりはこういうことになる。


「俺、関係ないですよ、やっぱり」


 俺という存在は、メデューサの計画にはまるで出てこない。

 

「はっきり言ってしまえば」


 と先輩は前置きした。苛立たしげに言葉を続ける。


「君が羨ましかったんだよ。彼女のそばにいたから」


「……はあ」


「一番最初にサコに相談したときも、そのことを言ってあった」


「だから、あの人は俺を目の仇にしてたんですか?」


「その他にも、あの子が僕やサコの前で君の話をすることがあったから」


「……サコさんとしては、俺が邪魔者だったと」


 つまり、二人の距離を縮めるためだけではなく、幼馴染を俺から遠ざけるためにも、そういう形の計画になったのか。

 遠ざけることに成功したと思っていたのに、幼馴染や先輩の周囲をうろうろする俺を見かけた。

 それが昨日のことで、その後の発言はすべて「ふたりの恋愛を成功に導くためによかれと思ってやったこと」なのだろう。


 ありがた迷惑って言葉もある。

 下手な企みなんて、失敗するものだ。


「なんだかもう、疲れますね」


「僕もすごく疲れた。ここ最近はずっと胃が痛くて仕方なかった。彼女はちっとも振り向いてくれないしね」


 そりゃそうだ。

 なにせ幼馴染は、超がつくほどの鈍感なのだから。

 小学の頃も、中学の頃もそうだった。自分に対する好意にまるで気付かない。

 ナチュラル悪女。


「アイツ、偽装をやめるって、先輩にメールしましたよね?」


 彼は額の汗を手の甲で拭ってから頷いた。


「来たよ。本人の意思に従おうと思う。実際、期限付きで、っていう約束だったんだよ、本当のところ」


「……無理のある話ですね」


「僕もそう思う」


 俺はひとつ溜息をついてから考える。誰も実害をこうむった人物はいない。

 何かを企むことに呆れはしても、責めることはできない。


「男らしくない」


 口をついて出た言葉に、焦る。だいぶ失礼なことを言ってしまった。


「まさにその通りだ」


 先輩は気を悪くするでもなく笑った。


「僕はもともと、臆病というか、そういう気質があるから」


「臆病というか」


 俺はずっと思っていたことを言った。


「ヘタレなんですよね。直接告白もできないような」


 自分のことを棚にあげて先輩を責めた。

 別に、なんだかんだで幼馴染と仲良くなりやがったことに対するあてつけとかではない。断じて。本当に。


「まぁ、そうだね」


 先輩はまた笑った。


「本気で好きなら、直接言うのが一番いいと思いますよ。アイツには」


「敵に塩を送るの?」


「アイツのことを抜きにすれば、俺は先輩のことが嫌いじゃありませんから」

 

 かといって、本当に告白されて、付き合うようなことになれば、俺としては困る。

 すごく、困る。

 勝手だな、と内心自嘲してから溜息をつく。なにをやってるんだろう。全然論理的じゃない。


 いいかげん話を終わらせるべきだと考えて、先輩に向かって最後の確認をした。


「まぁ、先輩の恋についての話はいいです。とにかく俺が言いたいのは、サコさんのことです」


「サコが、なに?」


 きょとんとしてる。

 できれば気付いてほしい。この人も鈍感なタチだ。

 とはいえ、彼にとっては友達のことだ。

 俺は慎重に言葉を選んだ。


「サコさん、なんというか、暴走しがちですよね。偽装をやめたって知ったら、誰かに強く当たったりしません?」


 失礼を承知で言う。必要なことだ。いい気分はしないけれど。

 俺に罵詈雑言を並べ立てるくらいならいいけど、他の人間に当たられては冗談ではすまない。

 その懸念に、先輩は平気そうに答えた。


「大丈夫だと思う。なんだかんだいっても、冷静な判断が出来る人なんだ」


「そうですか?」


 昨日の出来事を思うととてもそうは思えない。


「俺にはもっと、こう……あ、これは別に、昨日罵詈雑言をぶつけられて腹を立てているというわけではないですよ?

 あくまで一意見としてですけど、あの人はこう、暴走しがちなんじゃないかなって。

 別にひどいこと言われた当てつけとかじゃないですけどね。好き勝手言いやがってとか思ってないですし。

 でもちょっと、策士策に溺れる的な、自己陶酔っぽいところがありますよね、たぶん」


 先輩は大笑した。


「大丈夫だよ、そのあたりはきちんとする」


 そういって彼は溜息をつく。端整な顔立ち。さわやか。サッカー部でレギュラー。人望もある。魅力だらけの人。

 彼はひょっとして漫画か何かから飛び出してきたのではないだろうか。

 それでも、彼だって何もかも充実しているわけではない。

 嫌な考え方かもしれないが、それを思うと少しだけ安心する。

 努力していこう、と思える。


「がんばってみるよ」


 なにに対する「がんばる」なのか、少しだけ考えてしまった。

 メデューサを説得することをか、あるいは――。

 それは、俺に言ったって仕方のない言葉だ。ひとりごとのつもりだったのかもしれない。

 俺にも俺の考えがあるから、がんばってください、とは言えない。先輩もそれは分かっているのだろう。


「まぁ、サコさんのことをきちんとしてくれるなら、それでいいです。ぶっちゃけ、今日話したかったのも、そのことだけなんですよ」


 昨日のアレみたいに幼馴染に当たられたらたまったもんじゃないからね。言っちゃなんだけど。

 先輩は少し困ったような顔をした。


「ところで、先輩」


 俺はすっかり熱を失ったハンバーガーを手に取りながら訊ねる。


「アイツ、俺についてなんて言ってたんですか?」


「秘密」


 先輩はもったいぶるように笑ってストローの袋を破った。


 二人でハンバーガーを食べきったあと、どうでもいい話をしながら店を出る。

 互いに変な空気が生まれていた。照れくさい感じ。


「テスト勉強中に呼び出してすみませんでした」


「いや、いいよ」


「悪い点とっても、俺のせいにしないでくださいね」


「……それは、するかもしれないな」


 先輩は大真面目な顔で言った。


 店の出口のところで別れて、俺は止めてあった自転車に向かって歩く。


 むちゃくちゃする人も、世の中にはいるもんだ。


 自転車を漕いで帰り道を急ぐ。家に帰ったらなにをしようか。俺はわざと目前に迫った期末テストを思考から追いやった。

 防風林が木陰をつくった、家々の隙間の狭い道を通る。石で出来た水路がブロック塀の隣を通っていた。

 ひんやりとした空気の中で蝉の鳴き声だけが延々と響いている。それでも自転車のスピードは緩めない。

 もうすぐ、夏休み。


 誰とどこへ行こうか、と考える。いろんなことをしたい。花火。プール。海。夏祭り。

 そういうことを想像するだけで、胸が沸き立って落ち着かない気分になった。


 そういうことをできるだろうか、と考える。

 したいなあ、と思った。みんなで、楽しく過ごせるといい。


 ペダルを踏みながら、そんなことを思った。

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