02-08


 家につく。妹は既に帰宅していて、私服に着替えていた。

 慌てて俺も着替えるが、実際に祖父が迎えにきたのはその一時間後だった。

 

 車に揺られて祖父の家につく。祖父は女にめっぽう甘いが、男には厳しい。立派であってほしいとかなんとか。そういうものかもしれない。

 

 祖父母の家につく。犬の'はな'が吼える。おーよしよし。

 噛まれる。俺が嫌いか。


 玄関から入ってすぐに、独特の匂いがする。ザ・祖父母の家、という匂い。だいたいの人にはこれで伝わる。

 和風の居間。家具は大体が古いが、テレビとテレビ台だけがいやに新しい。


 じいちゃんは上座で何かの小物を弄っていた。腕時計。壊れたものを修理しているのだろう。物持ちのいい人なのだ。

 

 もう料理は並びはじめていた。台所の方から包丁の音が聞こえる。ザ・おばあちゃん、という気配。

 腰を下ろして周囲を見回す。何年も前から変わらない。

 

 俺はテレビの近くへと向かった。テレビ台の中に映画のDVDが収納されている(千円くらいで安売りされてる奴が多い)。

 結構な量があるので、なかなか全部は見切れない。


「これ借りて良い?」


 じいちゃんに訊くと渋られるので、食器を準備していたばあちゃんに訊く。


「いいんじゃない?」


 ばあちゃんも適当な人だ。


 時計に集中していたじいちゃんが顔を上げる。


「ああ、好きなの持ってけ」


 ときどき、じいちゃんはすべてのDVDを一気に渡そうとしてくる。さすがにそれは無茶だ。


「インデペンデンス・デイ」と「ターミナル」のふたつを借りていくことにした。なぜか洋画が多い。


 食卓には刺身が並んでいた。

 マグロ。サーモン。タコ。カツオのたたき。


 好物。

 食事を堪能したあと、帰りの車の中で妹は眠っていた。そもそも寝るのが好きな奴なのだ。

 玉子を膝に抱えたまま、やっぱり来てよかったな、とほくそえむ。美味いものは正義。


 家について、祖父の車を見送ってから、ひとまず妹をリビングのソファに寝かせて「ターミナル」をかけた。


 妹は終わるまでずっと寝ていたが、俺はひたすらに感動していた。


 泣いた。

 こんな映画を撮りたい、と真剣に思った。


 リビングの引き出しにしまっておいた家族共用のビデオカメラを取り出す。

 

 俺は映画監督になる。

 とりあえず試しにビデオを起動して妹の寝顔を撮影した。かわいい。


 ……変態っぽい。


 やめようかな、と思ったところで、運悪く妹が目を覚ます。

 

 ――ビデオカメラを構える兄。寝顔を撮影される妹。

 誤解とは言いにくい状況。


 妹は絶対零度の視線を俺に向けてから何も言わず部屋に戻っていった。

 何やってるんだろう、俺。





 その日の夜、俺は変な夢を見た。


 夢の中で、俺とサラマンダーとマエストロはファミレスにたむろしていた。 

 男三人、夏の暑さを屋内の冷房でごまかすため、ドリンクバーだけで何時間も粘る。


 と、逆ナンされた。


 女は三人組で、それぞれ独特の可愛さを持っている。ちなみに配役は、幼馴染、妹、茶髪が担当していた。


 向かい合って一緒の席に座る。マエストロが調子に乗って財布の紐を緩め、「好きなだけ食べていいよ!」と言った。

「じゃあ私フライドポテト!」という俺の声を、マエストロは黙殺する。


 マエストロは妹に目をつけた。夢の中では妹は俺の妹ではなく、ごく普通の赤の他人になっていた。

 彼女はマエストロの「俺が作ったエロ小説、芥川賞とっちゃってさぁ」という自慢話を「えー、そうなんですかー」と笑いながら聞いている。

 仕方ないので茶髪の方に目を向けると、彼女はサラマンダーに肩をもませていた。

 席の仕切りが邪魔になって肩を揉むのは困難なはずだが、サラマンダーは簡単そうに彼女の指示に従っている。


 最後に残った幼馴染と目が合う。すぐそらされた。なぜ?

 彼女は悲しそうに目を伏せてから、俺にこう語った。


「私、身長、一七○センチ以下の人とはお付き合いできないんです」


 俺の身長は一六七センチだ。


 そうこうしているうちに、俺より遥かに身長の高い男が他の席から現れて彼女をさらう。


「ああ、待って! あと一年待って!」


 悲壮な声で叫ぶが、届かない。気付けば他の二組も、どこかにいなくなっていた。


 薄暗い店内にひとり取り残された俺は、フライドポテトを齧りながら周囲に目を向ける。使用済みの皿が山積みになった自分たちの席。

 俺が口にしたのはフライドポテトだけだった。どことなく物悲しい気持ちのままフライドポテトを食べ続ける。

 いくら食べてもぜんぜん減らない。いやになって、そろそろ店を出ようかと思ったとき、財布を忘れていたことに気付いた。


 これじゃあ、いつまで経っても店を出ることができない。困った。俺はポテトを食べ続けるしかない。


 ときどきサラマンダーが、炭酸系のジュースをことごとく混ぜ合わせたミックスジュースを俺に渡しに来た。

 それがとんでもなくまずいのだが、なぜだか俺は飲み干さなければならなかった。


 それ以外は、どこかで見たような顔が店内で馬鹿騒ぎしているだけで、誰も俺には話しかけない。


 またこれだ。

 取り残されていく。

 置いてけぼりの気持ち。


 ふと気付くと、隣の席には部長が座っていた。


「どうしたんですか?」


 そんなふうに、彼女は俺を見つめる。


 席の脇の通路には、後輩が立っていた。


「デートっスか」


 そんなふうに、彼女は俺を見下ろす。


 なんだかなぁ、という気分になった。


 俺はふたりに返事をせずにフライドポテトを食べ続ける。だんだん胃がもたれてきて、具合が悪くなる。

 でも、トイレの近くでは大勢の人間が踊りを踊っていて、あと何時間か待たないといなくなってくれないのだ。


「元気だしなよ」


 不意に、他の雑音がすべて消えて、屋上さんの声が響き渡った。


 いつのまにか、店内には彼女と俺のふたりきりになっていた。

 屋上さんは、現実ではみたことのないような綺麗な笑みをたたえて、俺の目の前の席に腰掛けていた。

 彼女はしずかに、首をかしげて笑った。


「ね」

 

 ――なぜか、


 その瞬間、店内が正常な明るさを取り戻した。

 屋上さんは笑顔を打ち消してから立ち上がった。さりげなく伝票を手に取る。止めようとしたけれど、俺は財布を持っていなかった。


 レジにいた店員が何かを言った。

「お会計」までは聞き取れるが、そのあとの金額の部分はまるで聞き取れなかった。想像を絶する金額だったのかもしれない。


 店を出てから、屋上さんは流れ星でも探すみたいに夜空を見上げた。


 星が綺麗な夜だった。


「ねえ、キスしようか」


 不意に彼女は言う。


 俺はひどく戸惑った。セックスしようか、なら迷わなかった。でも、キス、だとダメなのだ。童貞だから。


 セックスなんて、好きでもない女とでもできる。童貞だから分からないけど。でも、キスはダメなのだ。それはとても重要なこと。

 子供っぽいな、と自分でも思う。


「私のこと好きじゃないの?」


 ――分からない。


「そっか」


 屋上さんは呆れたような表情をした。


 俺は何かを言おうとしたが、けっきょく何も言うことができずに押し黙る。


 最後に、誰かの表情が頭の隅を過ぎった。

 それまでに遭遇した誰かであることは疑いようもないのに、それが誰なのか、まるで分からない。


 誰かの表情。 

 ……そこで、夢は途切れる。





 目を覚ますと深夜三時だった。俺は風呂に入らずにベッドに倒れこんだことを思い出して起き上がる。お肌が荒れてしまうわ。

 シャワーを浴びて目を覚ます。歯を磨いて顔を洗う。

 もうこのまま起きていようか、とも思ったが、明日(というより今日)に響きそうなのでやめておいた。

 

 変な夢を見たことだけは覚えていたが、内容はちらりとも思い出せなかった。

 

 眠れなかったので、リビングに下りて「インデペンデンス・デイ」を鑑賞した。

 見終わる頃には朝だった。


 俺は何をやってるんだろう。


 もう考え事にふけるのはやめよう。

 期末も近い。明日からは普段どおりに過ごそう。

 

 手始めに、マエストロに嫌がらせのメールを送ることにした。


「ツインテールとツーサイドアップってどっちがかわいいと思う?」


 返信はすぐにきた。


 添付ファイルを開くと同時に、思わずのけぞる。

 ウルトラ怪獣ツインテールの画像が添付されていた。


 ふざけんなしね。びびったわ。


 三十分ほど仮眠をとってから、ベッドから起き上がった。


 六時を過ぎたころ、マエストロからもう一通メールが来た。


 黒髪ツーサイドアップの美少女が、笑顔でスカートを翻して、お尻をこちらに向けていた。ちょっとリアルな等身と塗り。

 白黒しまぱん。


 アリだ。

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