02-07
トイレは階段の近くにあるので、登校してくる生徒たちの姿がすぐに見つかる。顔を洗ってからすぐに廊下に出た。
先輩と幼馴染が、一緒に階段を登ってきたところに遭遇する。
呆然とした。
お前ら家の方向違うじゃん。
今までこんなことなかったじゃん。
校門で待ち合わせてたのか、メールで示し合わせてたのか。
でもそんなことどうでもよかった。
俺は幼馴染の彼氏じゃないし、先輩の友達でもない。
楽しそうだな、と思った。少し頬を紅潮させて、笑っていた。
なんだよこれ。
危うく泣き出しそうになりかけたタイミング。
幼馴染と目が合った。
次の瞬間、その肩越しに部長の姿を見つけた。
理由なんてなんでもよかった。
「部長!」
部長に声をかけて彼女と一緒に上の階へと向かった。
「どうしたんですか?」
部長は普段どおりの口調で俺に返事をしてくれた。穏やかな笑み。怪訝に思う様子もない。
どうやら俺は泣いていないようだった。
「いえ、ただ見かけたので」
そうですか、と部長は頷いた。部長についていく。ゆっくりとした歩調の彼女に合わせていると、後ろからさっきまで幼馴染と一緒にいた先輩が俺を追い越していった。
何度も追い越しやがって、と思う。
でも彼は悪い人じゃなかった。
悪い人だったらよかったのに。
女を食い物にするような悪人だったらよかったのに。
それだったら、幼馴染を取り戻す大義名分ができたのに。
「ままならないな」
ぼそりと呟く。
部長にまで変な顔をされてしまった。
ままならない。
でも、しょうがないことだ。
家に帰ったらギターでも弾こう、と不意に思った。
そう考えてから、今晩の予定を思い出す。
妹の顔を思い浮かべると、強張った表情が少しだけ緩んだ気がした。
「今日は、部活に来ますか?」
教室に引き返しかけたとき、部長から尋ねられた。
「いや、今日は放課後、ちょっと予定があるので」
うちの部活は水曜日以外は自由参加だ。
「そうですか」
特に感慨もなさそうに、部長は頷いた。
短く部長に挨拶して、階段を引き返す。教室に戻ると同時に、幼馴染と目があった。
なぜだか、声をかけることができない。
自分が嫌いになりそうだった。
◇
――たまに小学生だった頃のことを思い出す。
大半の記憶はおぼろげで、ろくに思い出すこともできないのに、ときどき、そのときの出来事を鮮明に思い出すことがある。
小三くらいの頃だったろうか。恋の話が流行った。
おまえ好きな人誰? おまえこそ誰だよ。そんな会話が何度も繰り返されて、みんなに聞いて回って女子に報告する奴もいた。
報告する奴は、なんのつもりだったんだろう。遊びのつもりか、女子に媚を売っていたのか。
小間使いにされている時点で、相手になんてされてないのに。それでも少し羨ましかった。
小三の俺は生意気な子供だった。恋だの愛だの馬鹿じゃねーの、とまでは行かないが、そういう話からは距離を置いていた。
なんとなく、自分には過ぎたことのように思えたから。
でも追い掛け回された。
小間使いに、好きな人言えよ、誰なんだよ、って。
くすぐられながら「言わないよ!」って答えたら、「言わないってことはいるんだな?」と問い返される。
とても困る。
呼吸が苦しくなるほど笑いながら、教室から廊下から校舎中を逃げ回る。休み時間がなくなるまで。
授業が始まったら席について、授業が終わったらまた追いかけっこ。
逃げ回ってるとだんだん疲れてくる。
どっかに隠れるか、と思う。
図書室のカウンターの中。
他の学年の教室。
トイレ、は汚いから嫌だった。
最終的には、自分たちの教室の給食台の下に隠れた。
どう考えてもすぐに見つかる。
子供だから、ばれないと思った。
で、見つかる。小間使いに。
でも、教室にいた女子には見つからなかった。俺にとっては幸運なことに。
女子は隠れる俺に気付かずに給食台の脇を通過する。
その日、スカートだった。
ぱんつみえた。
黒かった。
俺のフェチ的原体験。俺が窃視的な画像に興奮を覚えるのはこのときの体験に起因していると見た。
なぜこんなことを思い返しているのだろう。
小間使いの、「あ、おまえスカートの中覗いただろ!」という声が教室に響く。
「ち、ちがうよ!」と俺は悲鳴に近い声をあげる。
なんだか、そんなこともあったなぁ、とふと思った。
ほほえましい過去。笑い話。
あのときから幼馴染は、学校にスカートを履いてこなくなったのだ。
『……童貞、なの?』
……なにがあろうと、あいつのぱんつを初めてみた男は多分俺だ。父親除く。
ふへへ。
くだらない。
でも、ちょっと笑えそうだ。
とりあえず、元気出せ俺。
何も世界が終わるわけじゃない。
ぱんつが見れなくなるわけでもなし。
「そう思うよね?」
「何の話?」
屋上さんはきょとんとしながらミックスサンドをかじっていた。なんでツナサンドを食べないのだろう。
「童貞こじらせると、ちょっとのことで鬱になっちゃって」
「……急に、なに。どう……ああもう。そんなこと言われても困る」
「屋上さんを困らせたくて」
「いっぺん死ねば」
屋上さんはとても辛辣です。
「まぁとにかく」
彼女は今日も今日とてフェンスの向こうを眺めている。
「元気出しなよ。落ち込んでてもろくなことないし」
そんなに落ち込んでいるように見えるのだろうか。屋上さんに慰められるとは思ってもみなかった。
「だから、そんなふうに励まされると惚れてしまう」
「惚れっぽいね」
「惚れっぽいんだ」
屋上さんはもさもさとサンドウィッチをかじる。俺は弁当を箸でつつく。
並んでいるのに遠い気がする。距離がある。なぜだろう。
沈黙が降りた。あ、会話終わっちゃう、と思う。なんか言わなきゃ。
とりあえず、
「惚れてまうやろー」
人のネタを借りた。
屋上さんはクスリともしなかった。
……俺にどうしろっていうんだ。
放課後、教室から出るときに担任に呼び出された。
ちびっこは俺を手招きして教壇へと召還する。
リトルサモナー。ファンタジーゲームなら人気の出そうな立ち位置。ロリキャラだし。
「おまえ、これ昨日忘れていっただろ」
薄い本を手渡される。
「……おお」
忘れてた。
父まで売ったのだから、手に入れておかなければなるまい。
「私も忘れてたんだけどさ」
だろうと思った。ちびっこ担任に「さようならー」と小学生的な挨拶をして教室を出る。
誰かと会わないかな、と思いながら歩いていたら、誰とも会わずに校門を出てしまった。
顔見知りが少ないって損だ。
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