02-06
翌朝、台所で洗い物をしていた妹から声をかけられる。
「今日、じいちゃんち行こうと思うんだけど」
じいちゃんち。結構遠い。車で三十五分。母方の祖父の家と思えば結構近い。いずれにせよ田舎だ。俺たちが住んでいるところもだが。
「お呼ばれですか」
家族が全員揃うことよりも、祖父母と食事をとることの方が多い。
両親がなかなか帰ってこないので、気を遣ってくれているのだろうというのは分かる。
妹も妹で、祖父母の家に行くのは嫌いではない(末の孫で、しかも女なのでやたら甘やかされる)。
「玉子が切れそうだったから頼んだら、晩御飯を食べにこないかと」
「迎えにくるの?」
妹が頷く。
「一応、お兄ちゃんも行くかもって言っておいたけど」
「俺も行く」
俺が行かないとなると、妹は俺の分だけ食事を作ってから祖父母の家に向かうだろう。
そんな手間をかけさせるくらいなら、一緒に行ったほうがマシだ。
というのは建前。孫たちと一緒に食事をするとき、祖父母の食卓は豪勢になる。
「じゃあ、早めに帰ってきて。夕方頃迎えに来るって行ってたから」
短く頷いて、カバンを抱える。ちょうど皿洗いが終わったようだった。
「暑い」
外はうだるような熱気だった。
「連日の猛暑で! 我々の体力は既に限界に達している!」
「暑いんだからあんまり騒がないでよ」
クールに言われる。涼しい顔をしているようでも、妹だって頬には汗が滴っていた。
学校に向かう途中で、サラマンダーと遭遇した。
サラマンダーは不愉快そうに眉間を寄せて俺を睨んだ。何かを話そうとしている。
やけに真剣な表情だ。俺には理解できないことを言おうとしているのかもしれない。
「しまぱんってあるだろ?」
高尚な話だ。
「水色かピンクか、ずっと考えてたんだよ。最良なのはどちらかって」
どっちも良いに決まってるだろ。
とは口に出さず、サラマンダーの言葉の続きを待つ。
「緑っぽいのもあるな。まぁともかく、しまぱんで一番すばらしい色の組み合わせは何かと、考えていたんだよ。一晩中」
寝ろよ。勉強しろよ。どちらを言おうか悩む。馬鹿なことに時間を使う奴だ。俺も人のことは言えないが。
そんなことをしてるから淫夢を見るのだ。
「で、思ったのよ、俺」
「……何を?」
「黒と白。どうよ?」
どうよと言われても、参考画像がないことには判断のしようがない。
そもそも、それはしまぱんと言えるのか?
サラマンダーと高尚な話題で盛り上がっていると、すぐに学校についた。画像に関してはあとでマエストロに要求してみよう。
教室では、茶髪が下敷きで自分の顔を仰いでいた。
「化粧落ちる?」
「落ちるね。汗で」
おんなのひとはたいへんです。
睫毛に汗の丸い雫が乗っていた。すげえ。ひょっとして本物か?
篭った熱気を逃がそうとしたのか、茶髪はぐしゃぐしゃと自分の髪をかき回した。
見栄えも気にしなくなっている。大人のおねえさんはどこへ行ったのか。
「暑い!」
暑かった。
「チロルチョコ食べる?」
ポケットから差し出す。溶けてるけど。
「食べない。なぜこの暑い中でチョコなど食うか」
そういえば、彼女は以前、夏は嫌いだと言っていた気がする。
「なんで?」
「暑いじゃん」
そんな会話をいつだったか、交わした。じゃあ冬は? と訊ねてみたら、寒いじゃん、という答えが返ってくる。そういう奴。
茶髪は気だるげに髪をかきあげる。その仕草が誰かに似ていた。
「茶髪、おまえ妹っていたりする?」
まさかな、と思いながら確認。あの後輩の姉がこいつというわけはないだろう。
「いないけど」
いないらしい。案の定といえばそうだが、肩透かしとも言えた。
暑さにうなる茶髪を放置して自分の席に向かう。今日はマエストロがいなかった。
オタメガネ三人組が教室の隅で大富豪に興じているのが目に入る。
せっかくなので参加した。ここいらでは大富豪と呼ぶのが定型。革命返しはアリ、八切りもアリ、それ以外はなし。
カードを配り終えてからジャンケンで一番最初に出す人間を決める。特に予備的な意味はない。
「童貞の力を見せてやる!」
デュエルスタンバイ!
結果は惨敗だった。
「……一番でかいのがジャックって」
神様が俺を苛めたとしか思えない。
それから、あと二枚で上がりってときにトリプルを連続で出し続ける奴はどういう教育を受けてるんだ。
「負けたよ、ほら。賞品のチロルチョコやるよ」
一番に上がった佐藤に渡す。
「ヒキコモリの従妹にあげろ。な? 俺の名前ちゃんと伝えとけよ。会ってみたいって言っててくれる? すげえイケメンだよって」
「これ、溶けてるよチェリー」
「チェリーって言うな」
佐藤は変な顔をしていた。それ以上何かを言ったら冗談ですまなくなりそうだったのでやめておく。
そりゃあ自分の従妹をダシにされたら気分は悪いだろう。
それも黒髪色白物静かくまぱん美少女なら。
俺なら黒髪でなくてもかまわない。
なんならハーフで色素の薄い栗色の髪をしていてもいい。よく考えるとプラス要素だった。
とにかくちょっとくらい属性が変わっても可愛がられるタイプの従妹。
そんな従妹が欲しかった。
「悪かったよ、冗談だ、佐藤。八つ当たりしただけだ。本気で受け取るなって。ごめんな」
心底安堵したように、佐藤の顔から顔の引きつりが取れていった。
これからは言っていい冗談と悪い冗談くらいは考えよう。相手を選ぼう。
でも年下の従妹で童貞卒業したのは許さないよ。
なんとなく佐藤の態度に共感してしまった。今度から妹に関する相談はこいつにすることにしよう。
マエストロもサラマンダーも男兄弟しかいないのでそのあたりは頼りにならなかった。
オタメガネ三人組は、なぜか俺に対して一定の距離を置く。
言葉遣いとかが、クラスメイトに対するそれじゃない。ひょっとして嫌われてるのだろうか。
考えたらつらくなってきた。少人数でトランプやってるところに割り込んできて好き放題。溶けたチョコを押し付ける。他人の従妹をネタにする。
俺最悪じゃね?
いろんな場面で、口に出してから気付くことが多すぎる。
考えなしなのか、必死に会話を盛り上げて人の輪に入ろうとしているからなのか。
なんというか、あれだよ。
人がやってる大富豪に混じるのって、ほら。
仲がいいと思ってた数人の友達が、土日に一緒に遊んでて、そのとき俺だけ声もかけられなかった、みたいな。
親戚の集まりで、子供部屋に集められた子供たちが、全員、自分以外顔見知り、みたいな。
普段五人で集まってた友人同士で、バンド組もうって話になって、俺だけ話に入れてもらえなかった、みたいな。
そういう、ね。
なんというか、ね。
置いてけぼりの気持ち。
静かに立ち上がって教室の出口に向かった。
「どこいくの?」
人のいい佐藤はさっきのことをもう忘れたようだった。そう見えるだけで、内心不愉快に思ってはいるのかもしれない。
こんなふうに後ろ向きに考えてしまうことも失礼にあたるかな。
でもやっぱり考えてしまう。
どうも、人の輪に、馴染めないんです。僕。
「お花摘み」
短く答えると、三人組はそろって変な顔をしていた。
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