02-04
放課後、部室に向かう途中で部長と遭遇した。
部長とどうでもいい話をしながら部室へ向かう。
「部長は、進学ですか? 就職ですか?」
「進学です」
「大学ですか」
「大学です」
「なんていうか、進路の話をしてると、怖くなってくるんですよね。焦燥感?」
「分かります」
「たとえば、中三の夏休みくらいから、模試とか夏季講習とか受ける奴増えるじゃないですか」
「増えますね」
「で、ずっと成績で負けたことなかった奴相手に、休み明けのテストでめちゃくちゃ引き離されたりして」
「そうなんですか?」
「そうなんです。夏休み中遊び倒してたから。あのときくらいの焦燥感ですね、進路の話をするときの心境っていうのは」
「よく分かりません」
部長は真面目で堅実な中学時代を過ごしたのだろう。
「あとは、そうだな。将来のこと何も考えてなさそうな奴が、「建築関係の仕事につきたい」って立派な希望を持ってるって知ったときとか」
サラマンダーがそう語ったとき、盛り上がるマエストロを横目に、俺はひとり硬直していた。
「あ、こいつもこんなこと考えてたんだ、っていう。俺なんも考えてないし、何もないや、っていう。分かります?」
「……分かる気がします」
「なんというか、置いてけぼりにされてく気分。こういうの、心細さっていうんですかね?」
どうでもいい話はそこで途切れた。沈黙が徐々に空気を凍らせていった。
部長は、部室につくまでずっと黙ったままだった。
◇
部活を終えて家に帰ると、台所で妹が立ち尽くしていた。
「どうした?」
良い兄っぽく訊ねる。
「……ご飯炊き忘れてた」
数秒声が出なかった。天変地異の前触れか。
「ごめんなさい」
しゅんと落ち込んだ妹に、罪悪感がこみ上げてくる。
実際、家事を全面的に押し付けていたわけだし、今までミスがなかった方が不思議だったのだ。
少しの失敗くらい誰でもする。主婦でもする。中学生で家事をこなせるだけでもすごいのに、完璧まで目指さなくてもいいのに。
だのに、ちょっとのミスで妹はひどく落ち込む。
妹は落ち着かなさそうに自分のうなじを撫でながら目を伏せていた。
「今日は外食にするか」
誰でも思いつきそうな解決案を口にする。
妹の顔は晴れなかった。
「俺が奢るから」
「ほんと?」
冗談のつもりで言ったが、思ったとおりの答えは帰ってこなかった。
「むしろ、妹に払わせるつもりだったの?」
……という感じの答えを期待していたのだが。
たったひとつのミスが、妹には致命的なダメージを与えるらしい。
そんなに完璧を目指さなくてもいいのに。
気負いすぎるのがうちの妹のダメな部分だ。
それはいいところとも言えるのだけれど。
兄としてはもうちょっと甘えて欲しいし、あんまり思いつめすぎないで欲しいし、たまには逆ギレしてもいいのに、と思う。
「ファミレスでいいか?」
一番近場だし、という言葉はかろうじて飲み込む。安いし近いしそこそこ美味い。
妹は小さく頷いた。
玄関を出て、二人肩を並べて歩く。まだ少し早い時間だが、あのまま家にいても落ち着かないだろう。
なんだかアンニュイな雰囲気。
歩きながら妹は、気のせいかと聞き逃しそうになるほど小さな声で謝った。
何を謝ることがあるんだと言ってやりたかったが、そんなことを言っても妹は喜ばないし、いつもの調子を取り戻さないだろう。
いいよ、と軽く答えた。なんとなく、自分の態度に苛立つ。何をえらそうにやってるんだ。おまえが家事をやれ。
なんだって、わざわざ家事を引き受けてくれている妹がダメージを食らうことがあるのか。
俺の態度が悪いのかも知れないな、とふと思った。
文句のひとつでも言ってやれば、「じゃあアンタがやればいいでしょ!」と逆ギレしてくれるかも知れない。
それはそれで、お互いストレスがたまりそうだ。
良い兄であろうとするのも考え物かも知れない。基本的にはダメ兄なわけだし。
「家事、手伝ってほしいときは言ってくれていいから」
一応、そう伝えておく。そっけなくならないように細心の注意を払って。
別におまえの仕事に不満があるわけじゃないぞ、と言外に想いを込めて。
「……うん」
落胆した様子のまま、妹は小さく頷いた。これ以上は何を言っても逆効果だろう。
ちょっとくらいのミスがあっても、今の時点で充分すぎるくらいがんばっているのに。
自分のいいところって、見えないのかもしれない。
一通りの家事をこなせるようになってから、妹は家事のすべてを自分ひとりでやりたがった。
最後には家事を仕込んだ側の俺が折れて、妹に全部を任せるようになったけれど、やっぱり分担は必要だったと思う。
お互い、とるべき距離を測りかねているのかもしれない。
両親は仕事で忙しくて、帰ってくるのはいつも夜遅くだから。
俺たちがそこそこ成長したからか、最近ではろくに帰ってこないこともある。
でもやっぱり、俺たちはまだ子供なのだ。
どうしたものか。
考えながら歩いていると、すぐにファミレスにつく。徒歩十分。奇跡的な立地。
「何名様で」
「二名です」
「禁煙席喫煙席ございますがどち」
「禁煙席で」
日本人は相手の言葉を最後まで聞かずにかぶせるように返事をすることが多い。
というか、見るからに学生なのに喫煙席を選択肢に入れるな。
禁煙席を見渡してから少し後悔する。平日の夕方は、学生たちで賑わっている。
騒がしい。
空いている席につく。ちょうど後ろに騒がしい集団がいた。どいつもこいつも茶髪。なんで染めるんだろう、と思う。
お洒落感覚? ちょっと理解できない。明らかに似合ってないのに。派手な化粧も着飾った服もバッグだけシックなところとか。
要するに見栄っ張りなのかも知れないな、と考えてから、自分が異様にイライラしていることに気付く。
妹が心配そうにこちらを見ていた。
それには反応せずに問いかける。
「何にする?」
メニュー表を眺めながら、意識は別のところを飛んでいた。
騒がしい場所に来ると、自分の存在が希薄になっていくような気がしてすごくいやなのだ。
店員が水を持ってくる。テーブルの脇に置かれたそれに手を伸ばして口をつけた。水は好きだ。
飲み込んだ瞬間、後ろの席でどっと笑い声が沸く。
楽しそうで結構なことだ。
メニューを決めて呼び出しボタンを押す。天井脇のパネルに赤いデジタル文字が点灯するのが位置的によく見えた。
注文を終えて溜息をつくと同時に、店内の雑音にまぎれて俺の耳に届く声があった。
「先輩?」
脇を見ると中学時代の後輩がいた。妹が慌てて挨拶をする。俺の後輩であると同時に妹の先輩でもある。
「中学生がこんな時間まで何をしているのか」
後輩は困ったように笑った。
「今から帰るとこス」
「五時のサイレンが鳴ったら帰るようにしろよ。誘拐されるぞ」
「いや先輩、このあたりサイレン聞こえないって」
「じゃあ携帯くらい見ればいい」
「鳴らない携帯なんて持ち歩かないし」
「鳴らないの?」
「やー、あの。先輩、あれだ。私ぼっち」
「ああ、だもんな、おまえ」
後輩の顔を見るのは卒業以来だった。特に付き合いがあったわけではないけど、見かけたら話す程度の仲。
幼馴染を介して知り合ったのだが、仲が良くなってからはむしろ幼馴染より長い時間一緒にいたかもしれない。
別に暗いわけでも話していて退屈というわけでもない。親しい人間が少ないのは、耳につけたイヤホンをなかなか外さないから話しかけづらいのだろう。
それさえなければ友達なんて嫌というほどできるだろうに。
孤立しているというわけではないようで、それならまぁ、好き好きかとも思えるのだけど。
「妹ちゃんとお食事ですか」
「デートっス」
「デートっスか」
「違います」
妹があっさり否定する。あまりにも月並みなやりとりだ。
「ドリンクバーのクーポンあるけど。先輩使う?」
「いや、持ってるから」
ですよね。後輩はからから笑った。ポケットからイヤホンを取り出してつける準備をする。
「んじゃ、私行くんで。また。じゃあね、妹ちゃん」
後姿で妹の返事を受け取りながら、彼女はスタイリッシュに去っていった。
「相変わらず、かっこいい先輩ですよね」
と、妹が言う。
「スタイリッシュなんだ」
「スタイリッシュ」
一瞬、妹は硬直した。これ以上ないというほど似合う言葉。あまりに似合いすぎるので、なんだか笑ってしまう。
「あいつ、趣味はベース」
「スタイリッシュだ」
笑いながら妹が何度も頷く。ベースを弾く後輩の姿を想像するとあまりに似合う。
「インディーズのロックバンドとか超好き」
「スタイリッシュ」
そもそもヘッドホンが似合う。肩までの短くてストレートな髪。整った顔立ち。それなのに少し小柄な体格。
可愛く見える容姿なのに、鋭い雰囲気を持っていて、クールともかっこいいとも微妙に違う、スタイリッシュな感じを作っている。
「洋楽とかめっちゃ聴く。邦楽も嫌いじゃない。というか、ちっちゃい頃じいちゃんに演歌やらされてたんだって」
「意外……」
「だから歌が上手い」
「へえ……」
後輩の話をするとき、俺はやけに饒舌になった。たぶん、彼女のことが好きだからだろう。恋愛とは別に、人間として。
俺が長々と続ける後輩の話に、妹は普通に感心していた。
どこか大人のような雰囲気を持つ後輩。
ザ・スタイリッシュ。やることなすことなんだかスタイリッシュ。やたら大人びている。そんな後輩。一緒にいると退屈しない。
独特の空気を持っていて、同じ場所にいると俗世とは縁遠い場所にいる気分になる。
あと、ときどき「森のくまさん」を鼻歌で歌う。スタイリッシュな表情で。からかっても照れない。手ごわい。
甘いものが好きで、いつもポケットに忍ばせている。
姉と妹がひとりずついる。面倒見がいい。頼られ体質。
「姉って何歳の?」
「たしか、俺と同い年だったはず」
「同じ学校かもね」
「ないない。そんな偶然ない。あったらおまえと結婚する」
「その冗談、意味分からないから」
ひとしきり話題を消化しきった頃、愛想の悪いウェイトレスが注文した品を届けにきた。悪くない味だった。
帰路の途中で、いつのまにかイライラがなくなっていたことに気付いた。
後輩恐るべし。
彼女の持つ謎の癒しパワーはいずれ軍用化されかねない。
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