01-09



 夕飯のあと、部屋に戻ると幼馴染の顔が頭を過ぎった。


「やは」


 ごまかし笑いが出た。

 

 せっかくなので幼馴染がサッカー部のなんだかかっこいい先輩と別れて俺と付き合うことになる妄想をしてみた。

 亡き女を想う、と書いて妄想。


 なかなか上手く想像できず、妄想は途中で舞台設定を変えた。俺が延々「一回だけでいいから!」とエロいことを要求している妄想だ。


「じゃあ、一回……だけだよ?」


 仕方なさそうに幼馴染が言う。よし、押して押して押し捲れば人生どうにでもなる。

 幼馴染はじらすような緩慢な動きで衣服のボタンをひとつひとつはずしていった。指定シャツの前ボタンをはずし終える。

 彼女はそれを脱ぎ切るより先にスカートのジッパーを下ろした。

 できればスカートは履いたまま、上半身だけ裸なのが理想だったが、そんな男の妄想が女に通用するわけもなかった。

 下着だけの姿になった幼馴染が俺の前に立つ。明らかに育っていた。子供の頃とは違う。女の身体だった。


「……ねえ、あの、あんまり、見ないでほしい」


 顔を真っ赤にして呟く。俺は痛いほど勃起していた。

 彼女は俺がひどく緊張していることに気付くと、蟲惑的な、からかうような、見下すような微笑をたたえる。

 ベッドに仰向けになった俺に、彼女が覆いかぶさった。主導権が握られたことは明白だ。


「心配、ないから。ぜんぶまかせて……」


 俺は身動きも取れないまま幼馴染のされるがままになる。気付けば上半身はすべて脱がされていた。

 体重が後ろ手にかかっている上に、シャツが手首のところまでしか脱げていないので、手が動かせなくなった。

 彼女は淫靡な手つきで俺の身体に指先を這わせた。彼女に触れられたところがじんじんとした熱を持つ。

 それは首筋、胸元、わき腹、臍を静かに通過して下半身へと至った。

 一連の行為ですっかり反応した俺の下半身に、ズボンの上から彼女の指が触れる。びくびくと中のものが跳ねた。


 圧倒的だった。


 圧倒的、淫靡だった。


 ズボンの留め具がはずされ、制服のチャックが下ろされていく。途方もなく長い時間そうされている気がした。

 その間ずっと、俺は幼馴染の熱い吐息に耳を撫でられ続けているような気分だった。


 見られる、と思うと、とたんに抵抗したい気持ちになった。それなのになぜか、早く脱がしきって欲しいとも思っていた。

 少女に脱がされるという倒錯的な感覚も相まって、頭がぼんやりして息苦しくなるほど快感が高まっていく。

 胸の内側で心臓が強く脈動している。破裂する、と比喩じゃなく思った。


「あはっ……」


 ズボンが太腿のあたりまで下ろされると、トランクスの中で脈打つ性器の形が幼馴染に観察されるような錯覚がした。


「脱がすよ……?」


 答える暇もなく、彼女は手を動かす。脱がされるとき、彼女の指先が皮膚をなぞって、そのたびゾクゾクとした快感を身体に残した。

 貧血になりそうなほど、血液が下半身に集中している。


「……かわいい、ね」


 ――何かが決定的に間違っていた。

 でも勃起していた。勃起しているんだから、まぁ、間違っていようとしかたない。


 幼馴染の視線をなぞって、ようやく違和感の正体に気付いた。


 妄想の中の例のアレは、なぜだか包茎だった。

 しかも早漏であろうことがすぐに分かった。

 

 でもよくよく考えたら現実でも早漏だった。

 ので、変なのは包茎だけだ。


 幼馴染は俺の腰のあたりに顔を近付けて、じろじろと観察した。

 あまつさえくんくん臭いまで嗅いでいた。


「へんなかたち。先輩のとちがう……」


 先輩は剥けてるらしい。

 知りたくない情報だった。


 寝取ってるはずなのに寝取られてる感じがする。


「ね、なんでこんなに皮があまってるの?」


 無垢っぽく訊きながら、彼女が人差し指でつんつん突付く。思わずあうあうよがる。


「変な声だしてる。かわいい」


 言いながらも彼女は手を止めない。


「ね、なんか出てきてるよ?」


 彼女の言葉にどんどんと性感を刺激される。

 ソフトながらも言葉責めだった。


 まさか先輩がソフトエムなのではなかろうな、と邪推する。


「きもちいーんだ?」


 照れた顔で微笑んで、手を筒状に丸めアレをゆっくりと焦らすように擦る。


「やば、い……って!」


 すぐ限界がきそうになる。ゆっくりなのに。

 童貞早漏の面目躍如だ。ぜんぜん誇らしくない。


「すぐ出しちゃうのは、もったいないよね」


 幼馴染は手を止めて荒い息をする俺の表情を見て、恍惚とした表情を浮かべた。今の彼女はメスの顔をしている。


「ね。……入れたい?」


 熱っぽい顔で幼馴染が言う。意識が飛びそうだった。答えは決まっていたが、俺は息を整えるのに必死で何も言えなかった。


「黙ってちゃ分からないよ?」


 どう考えても黙ってても分かっていた。いつの間にこんな魔法を覚えやがったのか。

 砂場の泥で顔を汚していた幼馴染はどこへ言ったのだろう。

 俺が少ない小遣いで買ってあげた安っぽい玩具の指輪はどうしたのだろう。

 いつの間に――こんなに歳をとったのだろう。 


「……あんまりいじめるのもかわいそうだし、ね」


 彼女は下着をはずし、俺の下半身に腰を近付けた。体温が触れ合う。奇妙な感じがした。でも不満はなかった。

 しいていうなら、おっぱいさわってねーや、と思った。腕が動かないので触れない。

 仕方ないのでじっと見つめていると、しょうがないなぁ、と言うみたいに、彼女が俺の頭を抱え込んで胸元に招きよせた。

 いい匂いがした。近くで見ると彼女の肌は精巧な硝子細工みたいになめらかで綺麗だった。何のくすみもない。恐ろしく美しかった。

 でも、体勢がつらそうだな、と思った。


「じゃあ、いくよ?」


 いよいよだ。やっと……遂に……俺も、童貞じゃなくなるんだ。

 さらば青春。美しかった日々。さようならサラマンダー。さようならマエストロ。俺は一足先に大人の階段を登る。

 そして、今までつらい思いをさせてきて悪かったな、相棒。


 なあに、たいしたことじゃないさ、と相棒が彼女のお尻の下で応えた。

 彼女がゆっくりと腰を下ろしていく。足を両脇に開いた姿がよく見えて、その姿だけで俺は一生オカズに困らない気がした。


 そんなことを思っていたら、もうすぐ秘部同士が触れ合いそうだった。何か、余韻のようなものがあった。

 これで、俺の人生はひとつの区切りを迎えるのだ。そう考えると、不意に何かを遣り残しているような気分になった。

 

 喪失の気配。もうすぐ何かを失うような、そんな気配。


 本当に良いのか? と頭の中で誰かが言った。

 幼馴染とこんなふうにして。何もかもうやむやなまま。彼女には恋人がいて、でも俺は童貞だった。

 童貞だから仕方ない、と誰かが言った。まぁ、そんなものかもしれないな。童貞だし。


 なんだかとても、悲しかった。


 ――そのとき、不意に後ろから声がした。


「……おい、時間だ。そろそろ起きろよ、相棒」


 下の方の相棒じゃなかった。


 どう考えてもなおと(目覚まし)の声だった。


 ――やっぱり邪魔しやがったか。


 そこで俺の妄想は途切れた。





「なおとおおおおおおお――――!!!」


 我に返った俺はひとまずなおとに対して攻撃を放った。

 

「右ストレート! 右ストレート!」


 技名だ。内容的には左フックだった。


「あとちょっとで! あとちょっとで!」


 たぶん俺は一生なおとを恨むに違いない。他方、感謝もしていた。あのまま妄想が続いていたら後悔していただろう。

 幼馴染を妄想の中で慰み者にするなんて、男の風上に置けない。童貞の風上には置ける。


 その後、部屋の隅でインテリアとなっていたアコースティックギターを抱えて「悲しくてやりきれない」を弾き語った。

 

 空しさだけが残った。


 アウトロに入った頃、妹が部屋のドアを開けた。


「お風呂入らないの?」


「一緒に?」


「入りたいの?」


「入りたいよ?」


 兄として当然の答えだった。それに対する返事もまた、


「ありえないから」


 妹として当然の答えだった。


 風呂に入った後、布団に潜り込んだ。ちょっと涙が出た。もう幼馴染なんて知らない。

 さっきの妄想を思い出すと勃起した。死にたい。


 寝付けなかったので深夜二時に台所にいって冷蔵庫の中の麦茶を飲んだ。作ったのは妹。

 幼馴染がハイスペックなように、うちの妹もハイスペックだ。


 そんな妹も、いずれは他の男の女になる。


 むなしい。

 目にいれても痛くないのに。

 せめて悪い虫がつかないでくれと祈るばかりだ。


 麦茶を一杯飲むと妙に頭が冴えた。


 コップの中身を飲み干してから溜息をつく。


「……彼女、欲しいなぁ」


 むなしさばかりの夜。

 

 五分後、布団にくるまってゆっくり眠った。

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