01-04


 教室につくと、目の前にサラマンダーが現れた。


 当然、人で、あだ名だった。


 名前の由来を語ると長くなる。

 ある休日、友人たちで家に集まっていたときのこと。

 彼は昼食に「激辛キムチ鍋! ~辛さ億倍~」という名前のカップラーメンを買ってきて食べた(鍋なのにラーメン)。

 グロテスクですらある見た目に警戒した俺たちはサラマンダーに忠告した。


「やめとけ、それは魔の食い物だ。人の食うものじゃない」


 でも奴は食った。向こう見ずだった。青春っぽい。当然、あまりの辛さに顔を真っ赤にして噴き出した。


 案外、由来を語っても短かった。それ以来彼はサラマンダーと呼ばれている。


 サラマンダーは長いし、ドラゴンでよくね? という俺の意見は却下された。面白くないかららしい。

 みんなサラマンダーと呼ぶ。いつのまにかクラス中に移った。正直呼びづらい。長いし。

 

 余談になるが「激辛キムチ鍋! ~辛さ億倍~」は生産中止になった。ありふれた話だ。


 サラマンダーは俺を見て不愉快そうに眉を寄せた。

 別に嫌われているわけではない。こういう顔をしているときは、サラマンダーが何かを話し始めるときだ。


「聞いてくれよ」


 始まった。と同時に騒がしいはずの教室が鎮まりかえる。彼は期待を一身に受けて口を開いた。


「俺は今日、なんかすげーえろい夢をみたんだ」


「……あ、そう」


 どこかで何かがリンクしているようだった。静寂が途切れて、教室にざわつきが戻る。いつも通りか、と誰かが呟いた。


「テニス部のプレハブに忍び込んで持ち物をあさってると、あっさり女子に見つかって罵倒されまくるような夢だった」


「……」


 なぜだか背筋が寒くなった。そんな夢を見た気がするが、覚えてないので仕方ない。


「さいてー」

「いやー」

「きもちわるーい」


 女子から声があがった。でもこういうときに積極的に声をあげるのは、あまり容姿がよろしくない人たちだ。

 ごくまれに美少女もいた。歯に衣着せぬ物言いでちょっとした人気があるが、とにかく近寄りがたい。


「すげーえろい夢だったんだが、内容を思い出せない。この気持ち、分かるか?」


「悪いが分からない」


 名誉のためにそういうしかなかった。


 サラマンダーは肩を落として「そうか」と呟き、教室から出て行った。廊下を覗くと、幽鬼のようにふらふらと歩く後姿が見える。 

 くだらないことで落ち込む奴だ。が、実際俺も似たようなものだった。


 自分の席まで行くと今度はマエストロが我が物顔で座っていた。

 

 体格のいい大男だが、運動部には所属していない。


 先輩の女子率が一番高いということでワープロ部に入った(キーボードをかちゃかちゃ鳴らす速度を競う部活動。大会がある)のだが、

 かっこいい先輩が部長をやっているため女子の熱のこもった視線はそちらへ向き、部内ではいじられキャラらしい。


 憐れな奴。ちなみに指が太い割りにキーボードさばきは的確で精確だ。


 マエストロのあだ名の由来にもいろいろある。


 簡単に言えばエロ関連の芸術家なのだった(ノートにえろ絵描いてる。女の子の目がでかい。うまい。えろい)。

 最近は男子全体の指揮者という意味も含んでいる。マエストロの信奉者がいる(ただのエロ絵乞食でもある)。

 

 とはいえ、クラスの男子全員が、女性の土踏まずにフェティッシュな愛着を持っているのは、彼の布教の賜物だった。


 マエストロは俺の席に座って何かを読んでいた。


 何かというより薄い本だ。

 R-18だった。

 俺たちには過ぎたるものだった(年齢的に)。

 そんなこと言ったらフリーの催眠音声(セルフあり)も俺たちには過ぎたるものだが、そんなことは今は関係ない。


「何やってんのマエストロ、人の机で」


「お、ああ。おまえの机に入ってたこれ、ちょっと借りてるぜ」


「あたかも俺のものみたいな言い方してんじゃねえよぶっ飛ばすぞ」


 思わず口調が荒くなった。マエストロの冗談は俺の心臓と評判に悪い影響を与える。

 エロ本も買ったことのない少年にはあまりに残酷な噂が立ちかねない。


 エロに興味があるのは当然だが、実際に手を出したことはなかった。

 さらにいえば、道端にエロ本が落ちてたとしても拾えない。

 チキンだから。


 コンビニでチキンを買えば共食いだ。

 ……馬鹿なことを考えた。


 ちなみにエロに関することはすべてネットで済ませる。便利な世の中。科学技術の進歩は常に人を孤独にする。情緒がない。


「マエストロ、その薄い本しまって。隣席の女子の目が鋭いから」


「女子の目を気にしてるようではまだ若いな」


 おまえも十代だろ、というツッコミはかろうじて飲み込む。


 隣の席の真面目系女子がこちらを睨んでいる気がする。

 たまに宿題を見せてもらうので、悪い印象を与えることは可能な限り避けたい。

 それでなくても、


「私、アンタみたいな不真面目な人って嫌いだから」


 とか


「アンタ、『宿題見せて』以外に私に言うことないわけ?」


 とか、挙句の果てに、


「ヘンタイ! 死ね!」


 とか言われてるのに。


 妄想の中だったら歓迎したいところだったが、普通に現実だった。


 しかも、今も睨まれている。

 なぜかマエストロではなく俺が。

 明らかに巻き込まれていた。


「マエストロ! 頼むから、俺の名誉のために!」


 必死に懇願する。俺はチキンだった。

 マエストロがぎらりと細い目を動かす。ガタイがいい割に、菩薩のような穏やかな顔をしている彼が、俺を威圧している。

 彼は謎の地雷を持っていて、そこを踏むとたまに暴走する。

 ちょうど今だ。

 

「名誉のため? 違うだろ、はっきりいえよ。女子から冷たい目で見られるのが嫌だって! 俺はええかっこしいですって言えよ!

 ほら、大声で言ってみせろよ! そして自分がどれだけエゴとナルシズムに満ちた存在かをさらけだすがいい!」


 一瞬圧倒された。周囲が沈黙した。


「……いや、おまえの行動と言動の方がエゴに満ちてるから」


 一瞬だけだった。でもナルシズムはちょっと図星かも知れない。ぶっちゃけよく見られたい。思春期だし。

 マエストロの信奉者が心配そうにこちらを眺めている。なぜ男にそんな目を向ける? 一種のホラーだ。


 俺が周囲に目を走らせていると、マエストロは表情をより険しくさせた。


「黙れこのムッツリスケベがッ!」


 教室中に轟く大声で彼は叫んだ。

 注目されている。なぜかマエストロが激昂していた。

 クラス中の視線の中に「おまえが言うな」という心の声が含まれていたのは言うまでもないことだった。

 よくよく考えると彼はオープンな方なのだけれど、でもスケベには変わりない。


「おまえのエロに対する執着心を数値化してクラス中の女子に見せてやりたい気分だ! 死ね!」


 なぜか死ねと仰られる。どうやら今日は虫の居所が悪いらしい。


「いいか、この際だからはっきり言ってやる」


 マエストロは言った。唐突だ。何かそんなにまずいことをしただろうかという気持ちになる。

 俺の苦悩をよそにマエストロは言葉を続けた。


「このクラスで、童貞は」


 何か重大な発表がなされようとしていた。

 なぜ今のタイミングで童貞の話に? という疑問はたぶん解消されない。


「サラマンダーと、俺と」


 なにやらカミングアウトしている。


「――それから、おまえだけだ」


 ……巻き込まれてしまった。


 一瞬遅れで、


「……え、まじで?」


 俺は墓穴を掘った。


 空気が凍る。

 教室から音が消えた。

 サラマンダーの下手な口笛がどこかから聞こえる。

 今の発言は童貞だということを暴露したようなものだった。


 何かの視線に気付いて振り返ると、幼馴染が教室のうしろの扉から入ってきたところだった。

 彼女はあっけにとられたようにこちらを見ている。

 しばらく沈黙があった。その間中ずっと、幼馴染と俺は目を合わせたままだった。こんな状況でなければ喜ばしいことだ。

 彼女は静かに視線を落とし、照れくさそうに微笑したあと、言った。


「……童貞、なの?」


 ちょっと戸惑ったような声だった。


 ――その瞬間、俺のあだ名はチェリーに決定した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る