正しい人
牛盛空蔵
本文
あるところに、正論を好む、木更津という男がいた。
彼は正しさを信じ、邪悪を憎み、科学を擁護し、迷信を叩く人となりであった。
あるとき、彼と同じく普段は迷信を唾棄する友人が、病気で入院した。
その友人は病床で、ひどく消耗した様子を見せつつこう言った。
「やっぱり、僕に天罰が下ったのだろうか。Aにはひどいことをしたし、Bの供養も充分にはできなかった」
そこで木更津はこう返した。
「気が弱っているときにオカルティックな原因を求めるのは、人間の欠点だ。迷信側に寝返ってはいけない。それに世界はもともと、『必ず正義に報いて悪を罰する』といったようには出来ていない。だからせめて俺たち人間は、そうでなくてはならないんだが、ともかく因果応報的な考えは、自然や成り行きに対して持つものではない」
その友人は、それを機に急速に衰弱していき、一週間後に亡くなった。
また数ヶ月後、小説を書いている友人と、久々に顔を合わせた。
「いやあ、なかなか作品が書き進められないよ。気力がどうしても出てこない。正直、惰性で続けているような感じだ」
木更津は返した。
「お前は勘違いしている。ろくに読者のいないお前が書き続けているのは、単に自分のためでしかない、そうだろう。その自分でさえ、書き続けるのを億劫に感じているのなら、お前が書く理由はこの世界のどこにもない。すぐにでもその無意味な作業を切り捨てるべきだ」
「いや、しかし、これをやめると無趣味になってしまう」
「それで何か困るのか」
「婚活しているから、その場での話題が一個減るんだよ」
友人は頭をかきながら言うが、しかし。
「それは、今までお前が他に芸を培ってこなかったのが悪い。自己責任だ。配られた手札で勝負するしかない」
「俺だって、婚活する羽目になるとは思っていなかったんだよ。小さい頃から予見できていれば対策もしたさ」
「それを言って何になる。世界を自分の思い通りにしようとするな。嫌なら勝負から降りろ。……そうだ、恋愛だの結婚だのの市場から降りる選択肢があるじゃないか。なぜその素晴らしく一挙に問題を解決する自由を行使しない?」
友人は「もういい……」と言って、力なくその場を去った。
後に知ったところによると、彼が再び筆を執ることはなかったようだ。
そのさらに数ヶ月後、彼は自殺しようとしている人に会った。
「なぜさっさと死なないのか」
自殺志願者は答える。
「死ぬのが怖い。生きているのは苦痛だけど、死ぬのも怖いんだ」
「死ぬのが怖い?」
木更津は冷えた目で彼を見る。
「怖がる理由がないではないか。科学的に、死後のことを証明した人間はいない。つまり怖いことが起きるというのも、全く根拠のない、ナンセンス極まる思考だ」
「だけど」
「そう、強いて科学的に考えるなら、少なくとも生き返ることは無いのだから、人生の苦痛に追い立てられることはなくなる。悩みの全てを抜本的に無意味化する。まさに救いではないか。なぜ実行しない?」
「それは」
「押し問答しているのも時間の無駄だ。俺は家に帰る。勝手にしろ」
この後、この自殺志願者がどうなったか、言うまでもない。
木更津は、どんなことがあっても、正しさと科学に頭を垂れ、悪と迷信に容赦をしない人間であった。
正しい人 牛盛空蔵 @ngenzou
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