第42話 笑わない狂気2

 ビダヤの領地を出てすぐのところ、見渡すばかりどこまでも続いてそうな草原に訪れたレイ。

レイは辺りを見渡し、何かを探している。


「――――いた」


 レイは獲物を狙い定めた肉食獣のような目付きに変わると、額から角が出現し始めた。

大気のマナが一気にレイに集中する影響で、角の周りにはビリビリと稲妻が走るような音が鳴る。


「――――!」


 レイは右足を後ろに引いて低い体勢になると、力強く地面を踏み込む。

ものすごい速さで目標地点まで迫った。

そして目の前に現れたのはワーウルフの群れ。

普通のウルフより一回り大きく、倒す難易度も高い危険な猛獣だ。

 しかし、レイは躊躇することなくその群れに突っ込んだ。

無詠唱で魔法を巧みに使い、20匹近くいたワーウルフの群れはあっという間に全滅してしまった。


「――――ふう」


 レイの服や顔にワーウルフから飛んだ血が付着している。

顔についたワーウルフの血を手で拭うと、レイは天を見上げた。

 頭の中で、懐かしい記憶が蘇る。

それは初めてキシと出会ったあの日、キシはレイの目の前でワーウルフを鮮やかに倒た。

自分と同じ、鬼の力を使って。

 あの瞬間を、レイは一度も忘れることはなかった。

自分が初めて人を好きになるということを教えてくれた瞬間がそれだったからだ。


「もっとやりたいなあ……」


 レイは視線を元に戻すと、またさらに奥へと向かう。

依頼以外のことをやっても、それを報告すれば追加報酬がもらえるのだ。

ただ、追加で出来る回数は一回だけと定められている。

そのため、それ以上やりたければ一旦ギルドに戻って報酬をもらい、また新たな依頼を受けなければならない。

 もっとやりたいレイはそのことに嘆きながらも、とりあえず他にモンスターはいないかと探り始めた。


「――――あ。あそこにいる」


 レイはまたターゲットを見つけると、そこへと向かっていく。

先程とは違うモンスターの群れがいた。

白くて可愛いウサギ、ではなく額に渦を巻いた角を持つ眼の赤いウサギ、ワーラビットである。

 ワーウルフと比べて非常に危険なウサギで、速い足だけでなく、魔法を使って相手を攻撃するという知能が高いモンスターだ。

経験が浅い冒険者がワーラビットを相手にすると、必ずと言っていいほど死人が出る。

 そのくらい危険なワーラビットであるが、実はそれとは裏腹に可愛い一面を持っている。


「今日もここにいたんだね」


「キュッ!」


「キュキュッ!」


 レイはワーラビットに近づくと、彼女の声に反応したワーラビットたちはレイにもふもふと寄って来る。

レイはその場に座ってワーラビットを撫でてあげると、ワーラビットたちは気持ち良さそうな顔に変わる。

 ワーラビットの意外な特徴、それは自分より強い者だと本能的に感じ取ると、戦おうとはせず寄ってきて懐いてくるのだ。

 ワーラビットの毛皮は上質。

きめ細かく、とっても柔らかい触り心地が良いが、毛皮を取るのにはかなりのリスクを負わないといけないため、店で買おうとすると貴族レベルの財産を持っていないと買えないくらい高価な値段で売られている。

 しかし、レイの場合はワーラビットたちがすでに負けを認めているため、彼女の姿を見た瞬間に寄ってくるし、触りたい放題。


「今日は何もなかった?」


「キュウ!」


「そう……」


 そう言ってレイはもふもふとワーラビットを撫でた。

心がどん底に落ちてしまっているレイにとって、外に出てワーラビットと触れている今この時間が一番心を安らげるのだった。

なかなか表情を変えないレイが、この時だけ少しだけ微笑むのだ。


「おい、そこに誰かいないか?」


 しかし、そんな至福な時間を壊す、空気を読めない人たちがたまに来たりすることがある。


「あれはもしかして『笑わない狂気ラタドハク・ジュヌン』じゃないか?」


「そうだ! よし丁度いい……」


 2人の男の冒険者はレイの元へ歩み寄った。

レイは後ろを振り返った。

ワーラビットたちも警戒しているようで、目付きが変わった。


「みんな大丈夫。わたしが何とかするから」


「キュッ……」


 ワーラビットたちは少し不安げな声で鳴いた。

レイはワーラビットたちを撫でて安心させると、立ち上がって男たちを睨んだ。

そしてゆっくりと2人へと近づいた。


「わたしに何か用?」


「へへっ、噂通りの美人さんじゃねえか」


「俺が先に頂くとしよう!」


 最近、やたらとレイに勝負を挑む無謀な冒険者たちが現れるようになった。

彼らの目的はもちろんギルドで頂点に君臨するレイを倒すことだが、今いる2人の男のように、女性だからと自分のものにしたいという欲求でレイに挑んでくる者もいる。

 1人の男がレイに剣を向け、がむしゃらに突っ込んでくる。

動きからして、経験の浅い初心者だとわかった。


「馬鹿みたい……」


 レイは呆れ、大きくため息をついた。

その場に立ち尽くしたまま、レイは右手を後ろに引き始めた。


「おらああああああ!!!」


「はい終わり」


「がっ……!」


 がむしゃらに剣を振り回す男の隙きをついて、レイの拳が男の腹に命中した。

あまりの衝撃に、男は口から大量の血を流し、そのまま倒れてしまった。


「ひ……!」


 それを正面で見ていたもうひとりの男は恐怖に腰が抜け、尻もちをついた。

レイはその男を睨みながら近づいていく。

もちろん男は動くことは出来ない。


「二度とわたしの前に現れるな。こうなっても良いんだったらいつでも挑んできていいよ?」


「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!!!」


 男は仲間を見捨てて、ビダヤへと逃げていった。

レイはすぐに後ろを振り向いた。

ワーラビットたちがずっと血を流して倒れた男を見ている。


「もう良いよ、召し上がれ」


「キュッ!」


「キュウ!」


 レイの合図で、ワーラビットたちは一斉に男を貪り始めた。

肉が千切れる音、血が飛び散る音が混ざり合って生々しい光景だ。

しかし、レイは表情を何一つ変えずにワーラビットたちを見守り続けた。

そして1分も経たないうちに、男はワーラビットたちによって綺麗に平らげられ、骨だけになってしまった。


「どうだった? 美味しかった」


「キュキュウ」


「そうなの。ちょっと物足りなかったかな? 随分汚れちゃったみたいだね。川に行って綺麗にしようね」


「「「キュウ!」」」


 ワーラビットたちは元気よく返事をすると、レイに連れられながら近くを流れる小川へと向かっていった。

レイに汚れた箇所を洗ってもらい、また綺麗な毛皮が風によってなびいた。


「これで全員、だね。じゃあわたしは帰るね。また明日来るからね」


「キュウ……」


「大丈夫。明日来るんだから、ね?」


 レイと別れるのが余程嫌らしく、悲しそうな鳴き声を上げた。

本当はもっとワーラビットたちと戯れていたいが、もう日は暮れ始めている。

依頼達成の報告などまだやることがあるため、なるべく早く帰らなければならなかった。

名残惜しいが、レイはワーラビットたちをもふもふと撫でてあげると、別れを告げてビダヤの街へと戻っていった。

 レイは向こうに見えるビダヤの街を望みながら、ゆっくりと帰っていく。

これが彼女の今の一日の過ごし方である。

キシが隣にいなくなってしまった今、レイは楽しみながら生活することは一切なくなり、ただ同じことを繰り返すだけの日常に変わってしまった。


「――――明日はどうしようかな。また依頼を受けるしかないよね」


 この言葉が、レイが依頼を達成してギルドに帰るときの口癖になっていた。

もう飽きてしまったような口調で。


(キシ……)


 心の中で、レイは自分が今も好きでたまらない男の名前を呼んだ。

しかしその男はこの世界にはいない。

そんなことを思うたび、目から涙が溢れそうになる。

寂しい、寂しい、早く会いたい……そう願うほど涙はどんどん溢れかえり、頬を伝って流れていく。

 レイは手で涙を拭いながら歩き、ビダヤの街へ入る。

そして通りを過ぎてギルドの中に入り、アニータのところへ。


「あ、レイさんお疲れさまです」


「終わったのでそれの報告をしに来ました」


「では、そこにカードをかざして下さい」


 レイは読み取り機に自分の冒険者カードをかざす。


「――――はい、依頼完了ですね。こちらが今回の報酬金です」


「ありがとうございます。ではまた明日……」


「あ、あのレイさん!」


 レイはアニータから報酬金をもらい、そのまま帰ろうとした時だった。

アニータは帰ろうとするレイを呼び止めた。


「わたしずっと心配なんです。だから……そんなに思いつめないで下さい。確かにあの人はもう……ここにはいなくなってしまった……。でも、いつまでもその状態でいるとあなたは本当に壊れてしまいますよ!? ギルド長だってすごく心配なさっているんですよ!?」


 アニータは必死になってレイに語りかけた。

キシがいなくなってから4年、あっという間に変わってしまったレイが心配でたまらなかった。


「それができたらどれだけ苦労しないことか……」


「――――!」


 レイはアニータの方を振り返った。

彼女の眼にはハイライトがなかった。


「わたしはずっと待ち続けました。でも未だに帰ってこない……。それがとても辛いんです。あの人がいなかったらわたしはここにはいませんでしたし、なにより……」


 レイは自分の胸に手を当てる。

一間置くと、彼女はアニータを見た。


「わたしはあの人のことを好きになってしまったんですから……」


「――――!」


「だから、余計辛くなるんです……」


「レイさん……」


 アニータも思わずレイに同情してしまった。

自分には旦那がいて、子どもがいる。

異性を好きになるということは幸せになれるということ。

たしかにそうだが、その代わり、失うとひどく心に影響する。

レイはまさにそれだった。

 恋に落ちて、さらにキシはレイに告白をした後、彼はすぐに逝ってしまった。

彼女にとってそれがどれだけ辛いことか……。


(わたしより、レイさんの方が立派な大人ね……)


「ではまた……」


 レイは虚ろな目をしながらアニータに挨拶し、宿舎に帰っていく姿を見て、アニータはレイに対してそう感じたのであった。

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