第31話 老夫婦の過去3

「――――」


 あの日でアシハを見たのが最後だった。

ここ1年間、ずっと彼女がいない生活に飽き始めていた。

アシハだってもしかしたら同じ考えかもしれない。

しかし、アシハだって自分の夢のために、わざわざ遠いビダヤへ行って修行をしている。

最近手紙が送られてくる頻度が低くなったのもそのせいかもしれない。

それでも、アシハに何かあったら……どうしてもそういう考え方をしてしまうのだった。


『ジェイデンお前――――アシハちゃんに惚れてる?』


「――――!?」


 ジェイデンの頭の中に、 昼食時にムクハドラムが言い放った言葉が突然浮かんだ。


(まさかそんな! 幼馴染として、だし!)


『知ってるか? ジェイデン』


 次に聞こえてきたのは父親の声だった。

ジェイデンが10歳を迎えたときに聞かされた話だった。


『俺は母さんの幼馴染だった。だけどな、いなくなると突然寂しくなるんだよ。大人になって働き始めたときに父さんの先輩がこう言ったんだ。女を好きになった瞬間って人それぞれだ。一目惚れだったり、誰かのツテで偶然その人にあって、関わっていくうちにいつの間にかその人を好きになっちまったりとか……。もし幼馴染同士で長く一緒にいた場合だったら、まず1日がつまらなくなる。そしていつの間にか寂しくなって会いたくなるってな』


「――――っ!」


 ジェイデンは2人の言葉を思い出したことで、彼の顔はみるみる赤くなっていく。

アシハが村から旅立ってしばらくの間は仕事が楽しくて、かなり充実した1日を送っていた。

しかし、仕事に慣れていくたびにどんどんつまらない1日を過ごしていくようになり、今はアシハのことばかり思い出している。

完全に父親に言われた通りになっていた。

そして、ムクハドラムがジェイデンに言ったあの言葉は、ジェイデンの心の奥底に眠る感情をすでに読み切っていたのだ。


「ま、まじかよ……」


 ジェイデンは自覚した。

これは完全にアシハのことを想うようになってしまったということを。

今すぐに会いたい、会いたい、会いたい……そんな言葉がジェイデンの頭の中を独占する。

それと同時にアシハの全体像が、顔がものすごいスピードで流れていく。


「――――決めた」


 ジェイデンはようやくしてアシハに会いにいくことを決心したのだった。





◇◇◇





 翌日、いつもより早めに仕事場に到着したジェイデン。

誰もいない静けさがあるここに、いつもは誰よりも早く来る1人の男がジェイデンの方へと向かってくる。


「――――おう、ジェイデンじゃないか! 珍しいな、どうしたんだ?」


「ムクハドラムさん、俺――――」


 ジェイデンがムクハドラムに自分が心に決めたことを言おうとした瞬間、ムクハドラムは彼の肩に手をポンと置いた。


「行ってきな。アシハちゃんがどうなったか、帰ったらちゃんと俺に聞かせてくれよ」


「え……。い、良いんですか?」


 何も言っていないのにも関わらず、あっさりと承諾をもらえてしまったことに、ジェイデンは思わず聞き直した。

しかし、ムクハドラムはニヤッと笑うと、


「仕事も大事だが、それよりも仲間のほうが大事だろ? 仲間がいなければ大工の仕事は成り立たない。それと同じだジェイデン。だから遠慮せずに行ってこい!」


「ムクハドラムさん……。はい、ありがとうございます! 俺、行ってきます!」


 そう行って、ジェイデンは颯爽とアシハがいるビダヤへと向かっていった。

ムクハドラムは彼の姿が見えなくなるまで背中を見せずに、腕を組んで見送り続けた。





◇◇◇





 3日かかり、やっとの思いでビダヤに着いたジェイデンだったが、彼は休むことなく街の人にアシハがいる店の場所を聞きながら約1時間……。


「こ、ここか……」


 ジェイデンの目の前にあるのは、アシハが修行をしながら働いている店。

見た目はこじんまりとしているが、柔らかな雰囲気を醸し出す外装が特徴的で、女性には刺さりそうな可愛らしい店だった。


「――――よし」


 ジェイデンは大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。

気持ちを整えたところで、ジェイデンは店の入口のドアノブに手をかける。

そして、ゆっくりと時計回りに回そう……としたその時だった。


ガチャッ!


「「――――!?」」


 ドアを開けて現れたのはピンクの髪色をした女性、マラディス・エミリーだった。

突然目の前に人が現れたことに驚いたジェイデンは後ろにのけ反って倒れそうになったが、何とか堪えた。


「――――もしかしてお客さんかしら?」


「え、えっと……ここのお店で働いているアシハっていう人いますか?」


「アシハちゃん? それなら今お遣い行ってますけど……。もしかしてお友達かしら?」


「俺アシハの幼馴染でジェイデンと言います。アシハに会えればと思って伺ったんですが……」


「アシハちゃんの幼馴染なの!? あらぁ、多分そろそろ戻ってくると思うんだけど……。それなら、アシハが来るまで中で待ちます?」


「良いんですか?」


「ええ! もう閉店してお客さんもいないし……なによりアシハちゃんの幼馴染だもの。そこで待っててとは言えないわ。ほら、どうぞ中に入って頂戴!」


「すいません、お邪魔します……」


 エミリーに促され、ジェイデンは恐る恐る店の中へ入る。

すると、中にはたくさんの洋服が飾られていた。

どれも斬新なデザインで一級品であることは間違いないと、服に関する知識は素人であるジェイデンでもわかるくらいだった。


「お茶入れたからこっちでゆっくりしてて」


「あ、すいません。ありがとうございます!」


 エミリーに手招きをされ、ジェイデンは工房の方へと向かう。

部外者の自分がこんなところに入って良いのかと思いながら工房の中へ入る。

 ジェイデンは立ち止まって、工房の中を観察した。

少し大きめの丸テーブルには作りかけの服、その横には織り機などが置いてあった。

奥には染色するための大釜、そしてジェイデンの目の前には足踏みミシンが置いてあった。


(ここでアシハは服を作っているのか……)


 アシハがミシンを使って作業をしているところを想像して恥ずかしくなったジェイデンは、さっさと進んで隣にあるリビングへと向かった。


「ささ、どうぞ座って頂戴」


「すいません、失礼します」


 ジェイデンはテーブルに紅茶が入ったカップが置かれているところへ向かい、椅子に座った。

そして、紅茶を一口飲んだ。

少し熱めの紅茶が、ジェイデンの喉を潤す。

 ようやくの思いでここにたどり着いたジェイデンの喉はカラカラに乾ききっていた。

この3日間、水と自宅から持ってきた保存食、途中からは道端に生えていた、実が実っていて食べることの出来る果物を取ってはその場で食べるという、まるで無人島でのサバイバル生活のような過ごし方をしていたため、このようなものを口にしたジェイデンは何故か感動していた。


「わたしもご一緒しても良いかしら?」


「俺に遠慮しないでください。わざわざ紅茶を出してもらったんですから……」


「そう? じゃあ失礼するわねー」


 そう言って、エミリーはジェイデンの向かいにある椅子に座った。

エミリーもカップを手に取って紅茶を一口飲んだあと、ソーサーにカップを置く。


「そういえば、まだ自己紹介していなかったわね。わたしはここの店長、マラディス・エミリーって言うの。よろしくねー」


「て、店長だったんですか!?」


「そうよ?」


 まさかこの人がこの店の店長だとは思ってもいなかったジェイデン。


(そうか、この人がアシハの師匠なのか……)


「俺はジェイデンと言います。先程も言いましたが、アシハとは幼い頃からの友達です。こちらこそよろしくおねがいします!」


「よろしくねー。ジェイデンくんはアシハちゃんとは幼馴染だって言ってたけど、歳は離れていたりするのかしら?」


「いえ、アシハとは同い年です。なので小さい頃からよく遊んでいました」


「そうなのね! じゃあせっかくだし、アシハちゃんの過去話でも聞かせてほしいなぁ……」


「えっ……。いいですけど、アシハ怒らないかな……?」


「大丈夫よ、極力アシハちゃんには話さないようにしとくわ」


「なら、いいですけど……」


 エミリーはかなりおっとりとした口調で話すため、ジェイデン自身は少し心配になりながらも、アシハがまだ村にいた頃の話をし始めた。

 彼女自身、アシハの過去にはかなり興味があった。

いつか本人から聞いてみたいと思っていたが、なかなか聞き出せることが出来ずにいた。

そのため、ジェイデンの口から出るアシハの過去話には眼を輝かせながら耳を傾けていた。


「――――そしたらアシハが……」


「ふふふ……あの子ったら本当に面白い子ね。ふふふ……」


 エミリーはかなり楽しんでいた。

ジェイデンはアシハとともに過ごした日々を次々と語っていく。

彼も楽しみながらエミリーにアシハの過去話を話した。

他人に自分の幼馴染のことを、これだけ多く語ったのは初めてだった。

 会話も弾んできたところで、店に誰かが来店した。


「ただいまです店長!」


「あらおかえりアシハちゃん!」


 アシハはお遣いを終えて帰ってきた。

彼女の声を聞いた瞬間、エミリーは即座に反応し、ガタッと勢い良く立ち上がった。

ジェイデンは少し驚き、体をビクリとさせる。


「ジェイデンくん、ちょっとだけ待っててね。ちょっとアシハちゃんを甘やかした後に連れてくるから」


「は、はい……?」


 エミリーはそう言い残して、颯爽とアシハがいるところへものすごいスピードで駆けていった。

 さて、1人取り残されたジェイデンはというと……


(――――やばい、緊張してきた……)


 1年振りにアシハに会えると思うと、余計にドクドクと心臓の鼓動が早くなっていく。

ただ幼馴染に会うだけなのに、これほど緊張なんてする俺はおかしいのか……と心の中で思うジェイデン。

色々考えながらそわそわしながら待っていると、


「連れて来たわよー!」


 エミリーの声にハッと我に帰るジェイデン。


「なんですか? スペシャルゲストが来てるって――――」


 リビングのドアから美しい女性――――アシハがジェイデンの前に姿を現した。

4年振りに再会した幼馴染同士は、姿を見た瞬間にお互い固まってしまうということから始まった。

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