第7話

 ホープ孤児院のことがきっかけとなり、徐々にだが今の生活を受け入れていった。

 マリアとは少しだけ親しくなれたし、クリスに反発することも少なくなった。


 だが、そうなってくるにつれて、アイリーンは怖くなった。


 クリスに対して視えた死が。


 わかっていたはずなのに、この愛情を受け入れて、その幸せに一度でも浸ってしまえば――


 それを失ってしまったとき、わたしは耐えられない、と。


 このアップルシード孤児院は大黒柱――精神的支柱としてアンサラーがいて、お父さん役目をクリスが担い、お母さんの役目をマリアが担っている。

 もし、クリスが亡くなることになれば、この生活は壊れてしまう。


 なにより、アイリーン自身が彼に死んでほしくないのだ。

 クリスのことは相変わらず嫌いだし、腹黒でなに考えているのかわからない。


 それでもふと思い出すのは、助けてもらって名前を褒められたことだったり、落ち込んでいたときに毛布をもってきてくれたことだったり、彼の腕のなかの暖かさだったりした。


 クリスを死なせてはならない。


 そう思った。

 だが、アイリーンの視た死は必ず現実のものになった。彼女が視るのは確定した死そのものなのだ。

 はずれることなどなかったし、助けようと思ってもどうにもできなかった。


 それでも、アンサラーは言ったはずだ。

 アイリーンの冥府の支配者は、神の権能を行使することを許されているのだと。自分が望めば死から救うこともできるはずなのだと。

 ならば、できるはずだ。クリスを救うことが。


 そうと決めたら時間は少ない。

 今宵は満月。アイリーンが視た彼の死は十六夜の月の夜。つまり明日の夜、クリスは死ぬことになっているのだから。


 アイリーンは寝床を抜け出し、クリスが子どもたちと寝ている大部屋に向かう。

 ホープ孤児院のことがあってからアイリーンの天恵はどんどん強くなっている。

 今ならば、彼の死についてもっと詳しく視えるかもしれない。そうすればクリスを助けるヒントが見つかるかもしれない。


 大部屋の扉をそっと開け、クリスに近づく。

 彼は穏やかに寝ていた。

 寝顔をはじめて見たが以外にかわいいかもしれない。


「…………はっ!」


 アイリーンは首を振り、よけいな雑念を追いだした。

 呼吸を落ち着けて、彼の頬にふれる。


 瞬間――瞳が朱色に輝きだし、その色は深紅に染まった。


 ――視えた。


 いつもより、はっきりと。

 クリスは血だらけだった。ひどい暴行をうけたのか、顔中が腫れあがり、身体中に打撲のあとがあった。

 死因は腹の刺し傷。


 ここまでは前回視たのと同じだ。

 重要なのはここからだった。


 彼のそばにはアイリーンがいた。同じようにボロボロになっているが、傷一つ負っていない。

 クリスの身体を抱きしめながら自分は慟哭している。

 その周囲には、神教の信者や神兵、そして高笑いする教主。

 場所は廃墟となった異教の教会。すでに屋根はなく、夜空には十六夜――満月をすぎた月が浮かんでいた。


 アイリーンは愕然としてクリスから離れた。

 聡い彼女には今視た内容だけですべてを理解した。


 わたしが原因でクリスは死ぬのだ。

 教主に、満月の夜に死ぬと告げた予言が嘘だとばれたのだろう。

 そして怒り心頭の教主は信者や神兵にアイリーンを探させ、それを助けようとしたクリスが殺された。


 アイリーンは、はっとした。

 もう夜は明けようとしていた。

 そろそろ教主は気づくはずだ。アイリーンの告げた嘘に。


 ここにいてはいけない。

 クリスからできる限りはなれなくては。自分の側にいれば彼は殺されてしまう。


 アイリーンは即座に行動に移した。

 靴を履き、廊下を走って外にでた。

 視えた死は廃墟を映してしたので、スラム街から離れた場所に向かおうと決めた。できればこの街から外に出たかったが、無理だった。


 すでに教主の追っ手が街にはなたれていたのだ。


「く……ッ!」


 アイリーンは唇をかみ、逃げることに専念した。

 こうなれば時間をかせぐ、十六夜の月さえ過ぎればクリスは助かるはずだ。根拠はなかったが確信していた。


 追っ手の少ないほう少ないほうに逃げるが、スラム街に押し戻されるように追いつめられていった。

 そして――


「いたぞッ! こっちだ!」


 深夜近くまで逃げ隠れを続け、とうとう捕まった。

 抵抗は無意味だった。

 殴られ、蹴られ、ずたぼろにされながらも、アイリーンは安心していた。


 クリスの死を視たとき、自分は薄汚れてはいたが、無傷だった。

 予知が、未来がずれはじめている。わたしがどうなろうとも、クリスは助かるだろう。


 引きずられるようにして教主のもとに連れて行かれる。

 そこは異教会の廃墟で、中には信者や神兵に囲まれた教主がいた。その手には宝飾過多な短剣が握られていた。


「よもや、飼い犬に手を噛まれることになるとは。育ててやった恩を忘れよって……ッ」


 両腕を掴まれ、無理矢理立たされているアイリーンはくつりと笑った。


「……恩? あなたには仇しかないわ。仇を仇で返すのは当然でしょう?」


 腫れあがった瞼の隙間から教主を睨みつける。


「キサマ……ッ!」


 激高した教主が短剣を持つ手にちからを込めた。


「わたしのいなくなった後、どうやって神教を続けていくのか見物だわ」


 雄叫びとも悲鳴ともとれる声をあげ、教主はアイリーンの腹部に短剣の刃を埋めた。


 灼熱感が身体を刺し貫き、激痛に倒れ込む。

 これでアイリーンは死ぬことになるだろう。

 だが、胸は誇らしさでいっぱいであった。


 クリスを救えた。

 初めて自分の視た死を覆すことができた。

 視界が闇に落ちようとする、そのとき――


 信じられないものをアイリーンは見た。

 白髪白皙の少年が扉をくぐり、こちらに歩いてくる。

 ――クリスだ。


 彼に気づいた教主が誰何の声をあげる。


「何者だッ?」


 神兵が歩みを阻もうとし、信者が自らの祖を守ろうと壁になる。


「アイリーンの家族だよ。彼女を返してもらいにきた」


 ――ダメ……。来ないで……っ。


 声はでなかった。弱々しく血をはくだけで、アイリーンはすでに動くこともできない。


 教主は鼻を鳴らした。


「殺せ!」


 その命令に神兵が剣を抜き、クリスにせまる。


「殺す? ――僕を?」


 それに対する声はどこか無邪気でありながら――


「やれるものなら、ご自由に」


 冷質を帯びたものだった。彼の瞳が緋色に輝く。

 それだけで、場がざわついた。


「あ、悪魔……ッ!」


「そう呼ばれるのは好きじゃない」


 悪魔のちからを利用して教主にまでのぼりつめた男は恐れおののいた。


「こっ、殺せ殺せ殺せぇッ! わしに近づけるな!」


 命令は実行された。

 刃がひらめき、クリスから鮮血が舞う。


 ――因果応報――


 クリスを斬りつけた神兵はなにが起こったわからず、自らの身体から流れる血を呆然とした顔で眺めて崩れ落ちる。


 炯々と輝く緋色の瞳は、地獄へ招く鬼火のようであり、泰然と歩むクリスは死の使者のようであった。


 神兵は次々に倒れ、恐怖に身動きがとれなくなった。神兵と呼ばれはしても彼らは教主の側にいて甘い汁を吸ってきただけのロクデナシどもだ。教主と自らの命を秤にかければおのずとそうなる。


 恐慌におちいった教主は叫び喚いた。


「その者を止めよ!」


 それに動いたのは信者だ。

 彼らに恐怖心はなく、ただ信仰だけがある。

 クリスを捕まえようと手が伸ばされる。


 ――自縄自縛――


 信者は自らの力で、自らを拘束することになった。


 クリスは笑みを浮かべ悠然とアイリーンのもとに歩みよった。

 彼の天恵は圧倒的だった。すべて反射し、誰も彼を傷つけることなどできはしない。

 それなのに――


 ――来ないで……っ!


 嫌な予感がとまらなかった。

 この時間に、この場所に、この人物たち、これはあのとき視た死の映像にそっくりだった。


 違うのは、死にかけているのがアイリーンで、無傷なのがクリスであることだけだ。

 これが反対になれば――


 クリスはアイリーンの前に膝をつき、傷に手をのばした。

 彼の瞳は依然として朱色に染まっている。


 アイリーンは声にならない悲鳴をあげた。

 横たえられたアイリーンの頬に彼の手がふれる。

 掠れる声で、やめて……と懇願した。

 だがクリスはそれに笑みを返すだけでやめはしない。


「君は僕が死ぬときに、このちからが呪いだと思い知るって言ったけど、やっぱり僕はこれが祝福だって信じるよ」


 瞳が爛々と輝き、アイリーンの致命傷を反射しようとしている。


「このちからのおかげで君を助けることができる」


 ――やめてっ、クリス――


 アイリーンは彼の名を叫んだ。

 そして、


 ――因果応報――


 致命傷は彼へと移り、その身はうつ伏せに倒れた。


「クリス!」


 アイリーンはそれまで声もだせなかったことが嘘のように身を起こし、クリスの身体を抱きあげた。


 その瞬間、彼の心臓は鼓動をやめた。


「……うそだ……」


 助けたと思った。救えたと思った。だからこのちからは確かに祝福だと、そう信じることができたのに。

 アイリーンは彼の死体を抱きしめた。


「……はっ、ははははははは! 死んだのかっ? その小僧は!」


 今までなにもできずに無様に怯えているだけだった教主がクリスの行動を理解したのか、嘲笑うように声をあげる。


 アイリーンは動けなかった。

 抱きしめた腕からクリスの温もりが失われていく。いつのまにか瞳に朱の光が宿り、そのちからが彼が死んだことを伝えてきた。


「……あ、ぁあ……ッ!」


 アイリーンは泣いた。


「ぁああああああああああああああああああああ――ッ!」


 声をあげて、世の中のすべてを呪うように慟哭した。


 やはり死を避けることはできなかったのだ。

 信じてみようと思ったこのちからは呪いでしかなく、忌まわしき堕技だったのだ。


 朱色の瞳からこぼれ落ちる涙は緋色に染まり、まるで心の傷から流れる血のようであった。

 瞳が燃えあがるように紅く、朱金色に輝く。


 声がきこえる。

 頭が痛い。

 世を呪う、阿鼻の声が、叫喚する声が聞こえる。

 自分は狂ってしまったかと思った。

 それでもいいと思った。

 世の中はこんなにも怨嗟の声にあふれているのだ。

 アイリーンは冥府の支配者のちからの――すべてを解放した。


 その瞬間、現世と冥府がつながった。


「なんだッ、これは!」


 教主にまとわりつくようにして現れたのは、彼に殺された亡者たちだった。


 それは彼だけではなく、手足となり悪行を働いてきた神兵を巻き込んだ。


「た、助けてくれぇ……ッ!」


 教主は涙ながらに懇願したが叶わぬことであった。

 彼は、今までの罪業すべてを背負い、亡者に引き摺り堕されるがごとく地獄へと堕ちていった。


 怨嗟と阿鼻叫喚のなか、唯一安らかな声が聞こえた。

 腕の中を視ると、クリスから魂が離れるところであった。安らかな声はその魂から聞こえる。


 ――これは天の恵み、祝福だよ――


 彼は死してなお、そう伝えてきた。まるで彼女がこれ以上悪に堕ちないよう、言い聞かせるように。

 その魂が天にのぼろうとしている。


「――連れていかないで!」


 アイリーンは願った。

 どうかクリスを連れていかないで。

 それは神に祈るような真摯な想い。

 お願い。このちからを再び、祝福だと信じさせて。

 それはまさに死者の王たる御業であった。


 ――死者蘇生。


 アイリーンの腕の中で、クリスが身を起こした。

 それはまるで神様がくれた奇跡のようで。


「言っただろう。これは祝福だって」


 相変わらずのクリスのやさしい笑みに、彼女は泣いた。

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