4-2 光磨の夢

「電波ちゃんっていうのは、今はどこにいるの?」

「いやわかんねぇよ。消えてる間は別の場所にいるのか、はたまた俺達の知らない異空間にいるのか……って、変なこと考えさせんなよ。……ん?」


 久しぶりに電波恐怖症の震えを感じていると、光磨はとある違和感に気付いて後ろを振り向いた。

 そういえば結構長い間、紫樹と話し込んでしまっている。とっくに部員は集まってきているだろう。というか、なんとなく気配は感じていたから声のボリューム自体は控えていたつもりだった。


「へー。なるほどねぇ」


 何気なく会話に入り込んできた人物――夏奈子は、腕組みをしてふんふんと頷く。

 確かに電波ちゃんの話をするには注意が足りない環境だった。心のどこかではちゃんとわかっていたはずなのに、ついつい夢中で話してしまった結果がこれだ。気のせいか、夏奈子は楽しげに口角をつり上げているように見える。光磨は逆に顔を引きつらせた。


「も、萌先輩……お疲れ様です。すいません、もう始まってましたよね」

「うん、とっくにね。でも基本うちの部はフリースタイルだから。今日は二人の創作話に付き合うってことで、よろしくー」


 夏奈子はそう言いながら、まるで光磨をロックオンするかのように隣の椅子に腰かける。いったいどこからどこまで聞いていて、どこまで理解しているのか。「創作話」という夏奈子の言葉を信じて良いのか。まったくもってわからなくて、光磨は思わず紫樹と弱々しい視線をぶつけ合う。


「もう、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。部室に入ったのはあたしが三番目で、ちゃんと話を聞いちゃったのはあたしだけだから。執筆に集中しちゃえば周りの話し声なんて耳に入らないって。中にはイヤホンで曲聴きながらやってる子もいるんだから、大丈夫大丈夫!」

「…………そう、ですか」


 あっけらかんと笑う夏奈子を見て、光磨はやっとの思いで返事をする。

 確かに文芸部は普段静かだ。基本的にはカタカタというキーボードを叩く音だけが響き、たまに意見を言い合うような会話があるくらい。光磨と紫樹の会話も、もしかしたら夏奈子の言う創作話の一つとして響き渡っていただけかも知れない。


「でも、萌先輩は創作話とは思ってないってことですよね?」


 黙り込んでしまった光磨の代わりに紫樹が訊ねると、夏奈子は唇に人差し指を当ててウインクをしてみせた。その反応だけで光磨はすべてを察する。創作話ではないと思った上で、夏奈子は自分達と話をしようと言うのだ。

 光磨は小さくため息を吐こうとして、やめた。菜帆や紫樹に続いて、夏奈子にも電波ちゃんのことを話すことになるなんて。元々、光磨にとって夏奈子はテンションが高くて、明るくて眩しくて、苦手な部類だと思っていた。

 夏奈子の黒紅色の瞳が、じっと光磨を見つめている。つり目なのに刺々しくなくて、むしろ優しいと感じる夏奈子の視線。思えば紫樹と衝突してしまった時も、夏奈子は優しく見守ってくれていた。


「萌先輩って、変わってますよね」

「ん、急に何かな? ま、否定はしないけどさ」

「近寄りがたいくらいに明るいのに、頭の中では色んなことを考えてる人……って感じです」


 光磨はため息の代わりに、馬鹿正直な言葉を零してしまう。

 すると夏奈子は「なんだそれー」と呟きながらも、やっぱり否定はせずに微笑み返してくれた。その反応だけで、すっと心が軽くなるのを感じる。

 光磨にとって夏奈子は、文芸部の部長で、紫樹が密かに想いを寄せている人というイメージしかなかった。でも、そこから一歩踏み出す時がきたのだ。別に踏み出す必要はないのかも知れない。でも、何も言わずに光磨の言葉を待ってくれている夏奈子を見ていたら、自然と口は開いていた。


「萌先輩が笑わないって言うんなら、話しますけど」

「うん、笑わないよ。お察しの通り、あたしは空気が読める人だから」

「それ、自分で言いますか……」


 言いながら、光磨は苦笑した顔を作ってみせる。でも本当は呆れてなんかいないのだ。女性だらけの文芸部は居心地が悪いと思っていたが、それは自分が最初から諦めて心を閉ざしていただけだった。光磨が本音を漏らしてから、皆して光磨に優しくしてくれる。

 でも、夏奈子の態度だけは特に変わらなかったのだ。いつも通り明るくて、笑顔で、部員一人一人に話しかけに行ったり、光磨には小説とは関係のない話(詩とか漫画とかアニメとか)をしてくれたりもした。

 部長としてとは関係なく、当然のように光磨を気にかけてくれていた夏奈子だからこそ、光磨は話したいと思うのかも知れない。


「柚宮、いつまでもぼーっとしないで手伝ってくれ。また一から話すのは結構気が滅入るんだよ。……ウインクの衝撃が強かったのはわかったから」

「えっ? な、何を言ってるのかな光磨はまったくもう……。ほらほら、電波ちゃんと出会ったところから話さなきゃだよ光磨!」

「動揺しすぎなんだよなぁ」


 急に話を振られて焦りまくる紫樹の姿をひっそりと利用して、光磨は心を落ち着かせる。そして、奥野原浩美の話を含めるともう三度目になる説明を始めるのだった。



 ***



 何となく予想はできていたが、夏奈子はいとも簡単に電波ちゃんの存在を信じた。早くも「会いたい!」と興奮気味な夏奈子だったが、夏奈子なら電波ちゃんの姿が普通に見えてしまいそうだから不思議なものだ。


「それで、光磨くんが悩んでいるのは結局のところ、将来の夢のことなんでしょ?」


 声のボリュームに気を付けながら散々騒いでから、夏奈子は急に真面目な顔で訊ねてきた。夢のことで悩んでいるなんて、簡単に言葉にされてしまうと若干恥ずかしい。でも事実なのは間違いなくて、光磨は小さく頷いた。

 すると夏奈子は、


「それってさ、電波ちゃんは光磨くんをアニソン歌手にしたいってことなんじゃないの?」


 と、まるで何でもないことのようにさらりと言い放つ。


「……え……?」


 何か変なこと言ってる? とでも言いたいように、夏奈子は首を捻っている。そんな夏奈子の姿を、光磨はただただ唖然としながら見つめることしかできなかった。


 ――光磨自身がアニソン歌手を目指したいという訳ではない。


 菜帆とカラオケに行った時、光磨ははっきりとそう思った。歌うのが嫌いというより、どうしても緊張が勝ってしまう感覚。アニソンに対する興味も、電波ちゃんのことを解決させたいという前向きな気持ちもちゃんとある。

 でも、人間には向き不向きがあるのだ。自分にアニソン歌手は無理だと思ってしまう気持ちが確かにあって、例え好きになれても夢になるかどうかはまた別の問題だと感じてしまう。


「悪い、萌先輩。それとこれとは話が別で……」

「そっか」


 自分の表情はそんなにネガティブに見えるだろうか、と思うくらいに夏奈子は力ない笑みを見せる。紫樹も不安げな表情だ。

 ここで無理矢理頷けば、すべて解決するのだろうか。まるで荒療治のように、上手くいくようになるのだろうか。


(って、そんな訳ないか)


 痛む胸がすべてを物語っていて、光磨はやはり苦笑することしかできない。すると、夏奈子が突然光磨の両肩をガッチリと掴んできた。


「光磨くん!」

「は、はい……何ですか」

「今は前よりもポジティブな気持ちになってるんでしょ?」


 黒紅色の瞳でじっと見つめられ、光磨は反射的に頷き返す。夏奈子との距離が近くて、きっと紫樹に嫉妬の視線を向けられていることだろう。

 でも、光磨は夏奈子の瞳に吸い込まれてしまった。


「だったら細かいことは気にしない! 前を向けば大丈夫!」


 笑顔で言い放ったと思ったら、夏奈子はおもむろに両手を放す。何をするのかと思いきや光磨の顔を覗き込み「ね?」と言い、今度は光磨の背中を叩いてきた。

 いや、背中を押したと言った方が良いだろうか。電波ちゃんよりも力は弱くて、倒れ込むことはなかった。もちろん謎の光に包まれることもない。


「……ありがとう、ございます」


 それだけ言うのが精一杯だった。

 電波ちゃんはどうしたら消えるのか、具体的な解決策はまだ見つかっていない。でも、焦る必要なんてないと思った。電波ちゃんと出会って、色んなことが変わって、今も夏奈子に励まされている。

 悩むよりも、もっと思うことがあるだろう、と。

 夏奈子を見て、紫樹を見て、そろそろ会話が気になり出して優しい視線を向けている部員達を見て、光磨はぎこちなく笑った。

 そこからはもう、いつも通りの部活風景へと戻っていく。

 唯一気がかりなのは、紫樹の表情がいつまでも沈んでいるということだった。

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