第四章 踏み出す勇気
4-1 メグと太陽
当たり前のことだが、あれから一週間程が経過しても電波ちゃんが消えることはなかった。少しずつアニソンに対するもやもやもなくなってきているはずなのに、どうしてなのだろうと思う。だからこの一週間は、電波ちゃんがどうしたら満足するのかを考えないようにした。そうじゃなくて、もっと純粋に知りたいことがある。
まずはキスミレの光が主題歌になっているアニメについてだ。作品のタイトルは「メグと太陽」といい、少年漫画が原作のファンタジーラブコメディーらしい。菜帆に話すとブルーレイボックスと原作漫画を貸してくれた。まさか、菜帆がそこまで好きな作品の主題歌だったとは。いったい、電波ちゃん=キスミレの光だと気付いたのはいつ頃だったのだろう。密かに気になる光磨だったが、なんとなく菜帆に聞くことはできなかった。
メグと太陽の簡単なあらすじを言うと、
何の趣味も特技もない主人公、
という感じで、改めてキスミレの光の歌詞を見返すと「なるほどな」と思える部分が多かった。ちなみに、テレビアニメの放映中に原作は最終回を迎えたらしい。メグが病弱気質という設定から、「キスミレの光」のフルサイズを聴いたアニメ組&単行本組に「まさかメグは死んでしまうのか」という誤解を与えてしまったのは有名な話だ――と、菜帆が熱く語ってくれた。
もっと、アニメやアニソンについて知りたい。
改まって菜帆に伝えるとアニソン魂に火が付いてしまったようで、次から次へと教えてくれた。好きなことを語っている時の菜帆は、心の底から楽しそうに瞳を輝かせる。最初の頃は眩しくてたまらなくて、見ていると心まで痛んでしまった菜帆の笑顔。ずっと目を背けてきたアニメソングの話題。でも、今は違う。楽しいと感じる気持ちが確かに光磨の中にはあって、アニソンに対する興味も広がっている。
いったい、何がきっかけだったのだろうか。電波ちゃんに出会ったこと、紫樹と向き合えたこと、楽しそうに夢を語る菜帆の姿。色々思い浮かぶが、やはりキスミレの光を聴くことができたのが大きなポイントなのかも知れない。
今の自分は、何者なのだろうか。
リアリスト? 電波恐怖症? アニソンコンプレックス?
もしかしたら、そんな肩書きはとっくに光磨の中からなくなってしまったのかも知れない。肩書きはただの肩書きだ。色んなものから逃げて、悩んで、迷って――結果的に思い浮かべてしまった言葉だ。それに気付けた今なら、前に進めるような気がする。
(……まぁ、相変わらず電波ちゃんは謎なんだがな)
自分でも驚く程、今の光磨は前向きな気持ちに包まれている。ただ電波ちゃんのことだけが謎なだけで、順調に道を歩めていると思うのだ。
ただ、いつまでも謎のままではいられない。
電波ちゃんに対してもちゃんと前に進まなければと光磨は思った。
***
「お疲れ様です。……何だ、柚宮だけか」
放課後。光磨はいつも通り文芸部に顔を出す。部室内には紫樹の姿しかなく、光磨はそっと安堵した。今は紫樹だけしかいないのなら、光磨にとって都合が良いのだ。
「そういう光磨も、今は一人みたいだね?」
「さっきまでいたんだよ。それがまた何も喋らずニヤニヤしてるだけで、逆に鬱陶しいったらなかったんだけどな。……って、そんな話はともかく」
一瞬だけ呆れ顔になってから、光磨はまだ部室に誰も入ってこないのを確認する。今はうだうだと愚痴っている場合ではなかった。
「ちょっと相談があるんだよ。電波ちゃんのことなんだが、良いか?」
小声になりながら訊ねると、紫樹は露骨に嬉しそうな笑みを浮かべる。この一週間、「少しずつアニソンに触れられるようになったんだ」という話はしていても、ちゃんと電波ちゃんについて相談できていなかった。決して紫樹に対して遠慮がある訳ではなく、メグと太陽を始めとしたアニメ、アニソンに興味を持って、ただひたすらに突き進んでしまった……というだけの話なのだ。薦めてくる菜帆の圧も凄かったのもあるが、もちろん菜帆には内緒の話だ。
「それなんだけどね、光磨! 奥野原浩美さんの曲を色々調べてみたんだけど、キスミレの光っていう……」
「あ……悪い柚宮。それはもう知ってるんだよ。で、聴いた。だから最近、アニソンを聴いたりアニメを観たり、できるようになったんだ」
「え」
紫樹は心底驚いた――のを超えてショックを受けたように目を丸くさせる。アニメ好きな紫樹でもアニソンはそんなに詳しくないと言っていたし、紫樹なりにようやくキスミレの光に辿り着けたのだろう。なのに光磨はとっくに知っていて、すでに前に進もうとしているなんて。ひしひしと光磨も申し訳ない気持ちに包まれる。
「な、なぁんだ。そうだったんだね。やっぱり、穂村さんの方がアニソン詳しいみたいだし、僕じゃ力になれなかったっていうか、うん……」
本気で落ち込んでしまったように、紫樹はだんだん遠い目になる。そりゃあそうだ。協力して欲しいと頭も下げて、紫樹も協力したいと言ってくれた。それに、友達と呼べる間柄でもあるのに、重大なことを今まで黙ってただなんて。
「いや、マジで悪かった。バタバタしてて、言うタイミングがなかったっつーか……。それで、これは今俺自身が悩んでいることなんだが、聞いてくれるか?」
「ふーん。何さ光磨、それで僕の機嫌が戻るとでも?」
「思いっきり顔に出てるんだけどな」
さっきから紫樹の表情はころころと変わり、今は拗ねたように唇を尖らせながらも瞳は爛々と輝いている。とはいえ、紫樹に対する罪悪感は拭い切れなかった光磨は全部正直に話した。電波ちゃん=キスミレの光だと気付き、菜帆とカラオケに行ってキスミレの光を聴いたところまで、すべてだ。
「えっ! 光磨、ついに穂村さんとデートしたのっ?」
菜帆と二人きりでカラオケに行った、なんて知ったら紫樹はどう思うか。ぶっちゃけ想像はできていたため、思った通りの反応に光磨は苦笑する。
「いや、まぁ、その……」
二人きりで出かけたのはそれ以前にもあるんだけどな。なんて馬鹿正直に言う必要はないと思った光磨は、ごにょごにょとわかりやすく誤魔化す。このままでは話が脱線してしまうと焦っていると、紫樹もまた慌てたように手をぱたぱたと振った。
「ごめんごめん、冗談だよ。それで光磨は、電波ちゃんが消えない理由がわからなくて困ってるんだね?」
一気に真面目モードになったように、紫樹はまっすぐな胡桃色の瞳を向けてくる。光磨は少し悩んでから首を捻った。
「困ってる訳ではないかも知れないけどな。確かにアニソンには向き合えたんだが、まだ色々もやもやするっていうか……。ずっといて欲しい訳じゃないけど、今はまだ消えないで欲しいって思ってる。自分の中にあるもやもやもちゃんと消してから、電波ちゃんと別れたいんだよ。……って、何訳わかんねぇこと言ってんだよって話だよな」
言いながら、光磨は思わず乾いた笑いを漏らす。電波ちゃんやアニソンを知る度に、紫樹や菜帆と深く接する度に、光磨の中にある悩みがふわふわと宙へ浮く感覚があった。自分はいったいどこへ向かいたいのか、それすらもわからなくて眉間にしわが寄る。まったくもって情けない話だと思った。
「大丈夫だよ。光磨はちゃんと前に進んでる。ここで小説を書いてたけど、光磨が目指したい道は小説家って訳じゃなかったって。それに気付けたことも大きなことだと思うよ。……まぁ、僕からしたら文章の才能はあるんだし、もったいないって思っちゃうけどね」
真剣な眼差しだったはずの紫樹が、まるでおどけるように笑ってくる。というか、本気で嫉妬しているようにジト目になった。
「おいおい、今それをぶり返すのかよ」
「だって羨ましいのは事実だもん。新人賞、僕はまだ一次選考も通ったことがないからさ。ねぇ光磨。電波ちゃんのことが落ち着いたら、アドバイスとか欲しいなって思うんだけど」
「それはまぁ、もちろん良いけど。その電波ちゃんの問題がまだまだ大きな壁なんだけどな」
光磨は視線を逸らしつつ、大袈裟にため息を吐いてみせる。
本当は、嬉しかった。協力したいと言ってくれたことだって当然嬉しいことだ。でも、自分を頼りにしてくれるというのも悪くない。
むしろ、信頼し合えている感じが友達っぽいと思えて、妙に小っ恥ずかしくなってしまう光磨の姿があった。
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