3-2 アニメソングと向き合うために

「…………これ、か」


 黄色い花なんてたくさんありすぎて、正直見つけられるかが不安だった。でも、これが意外とすぐにわかってしまったのだ。見た目だけというより、見た目と名前が一致してわかったと言った方が良いだろう。

 電波ちゃんについている髪飾りの花は、黄色いスミレの花――「キスミレ」だった。一月九日の誕生花で、花言葉は「つつましい幸福」。正直スミレ=紫っていうイメージがあったし、普通だったらピンとくる花ではなかっただろう。

 でも、記憶の奥底に「キスミレ」という単語は存在していた。


「『キスミレのひかり』……だったか」


 ぼそり、と。光磨は一つの曲名を呟く。聴いたことはなかった。でも、知ってはいる。この部屋のどこか――多分押し入れの奥辺りにCDがあるだろう。だいたい、ずっと光磨の音楽プレイヤーの中に入っているのだ。


「……は、はは……」


 きっと、今の光磨は笑いたくても上手く笑えていないような、おかしな表情になっていることだろう。答えなんて簡単だった。少し向き合おうと思えばすぐにわかってしまうことだったのだ。奥野原浩美が関係していることはわかりきっていたことだし、「アニメソングになりたい」と言っているのだから、奥野原浩美の楽曲が関わってくることは少し考えればわかる話だった。

 向き合おう、向き合おう。

 心の中ではちゃんとそう思っているはずだったのに。自分の中の何かが蓋をする。

 今だってそうではないか。電波ちゃんに関する大きなきっかけが掴めたのだ。今すぐに「キスミレの光」を聴くべきなのに、身体が固まって動いてくれない。音楽プレイヤーを取り出そうとする手が震えて、顔も自然と強張ってしまう。もしかして電波恐怖症よりもアニソンに対するコンプレックスの方が酷いのではないか。

 そう思ってしまう程、光磨は身動きを取ることができずにいた。


「……そうだ、アニメ。まずはそっちだ」


 自分自身を必死で落ち着かせるように、光磨は呟く。ものには順序というものがある。今までずっとアニソンを避けてきたのだ。いきなりアニソンを、しかも母親の曲を聴くのはハードルが高い。まずは主題歌になったアニメを調べるのが先だ、と光磨は思い至る。


「キスミレの光……で、合ってるんだよな?」


 それを確認するのも、自分の音楽プレイヤーを調べるのが手っ取り早いのだろう。流石に曲名を見るだけで震えるなんてことはないはずだ。恐る恐るプレイヤーを手に取り、何故か焦るように操作をする。ちらりと「キスミレの光:奥野原浩美」の文字を横目で確認すると、すぐに視線を逸らした。


「何で、俺。こんなに一人で緊張してるんだ……?」


 傍から見たら異常とも言える光景なのだろう、と光磨は苦笑する。もう何度目の苦笑だろう。ため息を吐かないだけマシだと自分に言い聞かせた。


「と、とにかく。キスミレの光が主題歌のアニメは……」


 落ち着かないように独り言を零し続けながら、光磨は検索しようとスマートフォンを操作する。しかし、震える手で「キスミレの」まで打ったところで、


「ぅわっ」


 突然スマートフォンが震えだし、光磨は動揺のあまり放り投げてしまう。幸いにもベッドの上に落ちたスマートフォンの液晶には、「穂村菜帆」の名前が映し出されていた。


(穂村さん……?)


 まさかこんなタイミングで菜帆から電話がかかってくるとは。光磨は声も出さずに驚き、慌ててスマートフォンを拾い上げた。


「も、もしもし」

『あっ、もしもし枇々木くん。ごめんね、こんな朝早くから。大丈夫だったかな?』

「ああ、目は覚めてるから大丈夫だが」


 色んな意味で目が覚めたんだけどな、と光磨は心の中だけで毒づく。しかしそんな事情を知る由もない菜帆は、明るい声で告げてくる。


『今日ね、カラオケに行こうと思ってるの。いつもの練習で』

「おう、そうか」


 咄嗟に他人事のような返事をしてしまい、光磨は内心「しまった」と思った。せっかく菜帆から電話をくれたというのにお前はなんだその冷たい態度は、と自分自身を叱咤する。


『う、うん……それでね』


 ほらみろ穂村さんのテンションも一気に下がってしまった、と光磨は急激に落ち込んだ。どうにか気の利いたことを言えないかと考え始める。

 しかし、やがて菜帆の口から飛び出た言葉はあまりにも予想外のものだった。


『枇々木くんさえ良ければ、一緒にどうかなって』

「……ん、何が」

『カラオケ、私と一緒に……って、駄目だよねごめんねいきなりっ』

「え、あ、いや、駄目ではないからちょっと待て!」


 勢いのあまり通話を切られてしまいそうだったため、光磨は慌てて呼び止める。電波ちゃんの悲鳴で目覚めた時とはまた違った意味で、鼓動が速くなるのがわかった。


「俺は特に予定はないが。俺なんかと一緒で良いのか?」

『ち、違うよ。枇々木くんと一緒が良いんだよ!』


 顔は見えないが、声色から菜帆も焦りまくっているのは充分伝わってくる。とはいえドストレートすぎる菜帆の言葉に動揺しない訳がなく、光磨はひっそりと菜帆=天然説を強めていた。


『……枇々木くん、協力してくれるって言ったでしょ? それに、アニソンに触れるきっかけになると思って』


 しかし、やがて放たれた菜帆の言葉に光磨ははっとした。菜帆は自分のため――そして何より光磨のために今、電話をくれている。なのに自分は何だ、また逃げてばかりなのかと思った。正直、自分が恥ずかしくて仕方がない。


「悪いな、穂村さん」

『あっ。や、やっぱり……用事、あった?』

「そうじゃなくて。穂村さんばかりに頑張らせちまって……。一緒にカラオケに行くっていう穂村さんの言葉に甘えさせてもらっても良いか?」


 必死に言葉を探しつつ、光磨は本音を漏らす。小っ恥ずかしい気持ちもあるが、それよりも前に進みたいという気持ちの方が強かった。


『うん、もちろんだよ!』


 弾むような菜帆の返事が耳に心地良い。

 今は誰かに頼ることも向き合うことの第一歩だ。そう思いながら、光磨は待ち合わせ場所などを菜帆と相談し、通話を切った。

 菜帆という味方がいることはとても安心する。しかし、もやもやする気持ちが完全になくなった訳ではなかった。


(今日は……長い一日になりそうだな)


 電波ちゃんとキスミレの光は大きく関係しているのかも知れない。確証はまだないが、どちらにせよ大きな進歩だ。「意味がわからない」ではもう済まされない段階に進もうとしている。さっきだって、アニソンに対する謎の恐怖が襲ってきた。正直、向き合うのが怖くないと言ったら嘘になってしまうだろう。

 でも、もう進み出してしまった。逃げたくない、というのも隠しようがない自分の本音だ。光磨はテキパキと顔を洗い、いつも通りのラフなTシャツとジーンズに着替え、秋鷹が用意してくれた朝食をしっかりと食べる。今朝は豆腐とわかめの味噌汁に鮭の塩焼きだった。緊張の中、ほっと心が温かくなった気がする。



「光磨」


 友達と遊んでくる。そう言って家を出ようとすると、いつもは素っ気ない秋鷹に珍しく呼び止められた。今日の夕飯係りは光磨だったはずだ。買い物を忘れるなよ、とでも言いたいのだろうかと思った――のだが。


「顔色が悪いように見えるが。……大丈夫か」


 的確すぎる秋鷹の言葉に驚き、光磨は思わず足を止めてしまう。

 振り返り、秋鷹の墨色の瞳を見つめた。光磨よりも刺々しい印象があるはずなのに、今は何故か優しく見える。


「何があったら言ってくれ。…………気のせいかも知れないが、お前は何かを抱え込んでいる気がする。それだけだ」


 秋鷹は片手を上げ、そのまま踵を返す。

 光磨も手を振り返し、家を出ていく――なんてことはできなかった。気付けば、光磨は秋鷹の背中に声をかける。


「話せるようになったら言うから」

「…………そうか」


 振り向きもせずに返事をする秋鷹を見て、光磨もようやく動き出した。電波ちゃんのことは、いつか大事な家族――秋鷹に言わなければいけない。わかっていたつもりでいたが、まさか知らぬ間に心配をかけさせていたなんて。

 光磨は苦しい気持ちになりながらも、電波ちゃんの問題が解決したら必ず伝えるのだと心に決めるのであった。

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