第三章 彼女の正体
3-1 花の髪飾り
「うぎゃああああぁぁぁっ!」
それは、翌日の朝のことだった。
今日は日曜日であり、昨日と違って用事がある訳でもない。そりゃあもちろん電波ちゃんのこととかアニソンのこととか、考えなくてはいけないことは山程ある。でも、それはそれとして昨日はかなり疲れてしまったのだ。
少しくらい遅く起きても良いだろうと思っていた――のだが。
「おいなんだどうしたっ?」
電波のような絶叫が耳をつんざき、光磨は強制的に起こされる。普段はのほほんとした印象のある電波ちゃんだ。叫び声なんてもちろん聞いたことがなく、寝ぼけも相まって混乱してしまった。
「たっ、助けてぇっ! まろまるが! まろまるがぁ……っ」
「……はぁ?」
電波ちゃんは半泣きになりながら助けを求めている。しかし、光磨は思わず睨み返してしまった。どう見ても緊迫する状況とは思えず、混乱も一気に治まっていく。
「いつものようにじゃれ合ってるようにしか見えないんだが」
「ちーがーうーのおぉぉ」
光磨がため息混じりに言うと、電波ちゃんは必死にもがいてまろまるから逃れようとする。まろまるが興味津々に狙うのは電波ちゃんの髪飾りだった。電波ちゃん自身ではなく髪飾りなのだから潔く譲ってしまえば良いのに、と光磨はつい思ってしまう。
しかし、電波ちゃんは頑なに髪飾りを守っていた。
「とにかく助けてっ、何かまろまる、覚醒しちゃってるから!」
「いや、まろまるはまろまるだろ変な言い方すんな。とにかくその花に興味があるだけみたいだから、外せば良いんじゃないのか?」
「…………っ!」
正論を言ったつもりだったが、電波ちゃんは絶句するように瞳を大きく見開く。相変わらず、髪飾りは両手でガッチリとガードされていた。
「コーマ」
「……わ、わかったよ。ほら、まろまる。こっちに……」
「これ、ただの飾りじゃないんだよ」
まろまるを抱きかかえようと伸ばしかけた手が、ピタリと止まる。
「私の身体の一部だから」
現実離れした紺碧色の瞳が、光磨の心に深く突き刺さる。「そんなに気に入ってるのか」という言葉が一瞬だけ思い浮かんだが、口に出すことはできなかった。
――こいつの真剣な目を見ていると、ざわざわする。
光磨は電波ちゃんの視線から逃げ出すようにして、ひょいとまろまるを持ち上げた。しばらくまろまるを撫でまわしていると、電波ちゃんはようやく落ち着いたように大きく息を吐く。
「し、死ぬかと思ったよ……あはは」
電波ちゃんにしては珍しい、力のない笑みだった。
いつもいつも意味不明なことばかりで、今だってまろまるに癒されつつも頭はぐるぐると回っている。でも、今の電波ちゃんには無理難題を突き付けられている訳ではなく、何かヒントを与えられているような気がした。
「お前に死ぬとかそういう概念、ないんだろ」
気付けば、光磨は呟いていた。――肯定して欲しい。そう願いながら呟いてしまったことは、心のどこかで理解していた。
「えー、あるよぉ。死ぬっていうか、消える? 夢も何も叶えられないまま、消えちゃうところだったんだよー」
だからこそ、電波ちゃんの返事に一瞬だけ息が止まってしまったのだろう。
「お前……」
軽い。あまりにも軽すぎて、まるで何も考えていないかのような口調で、心の底から意味がわからないと思った。
「どこまで理解してるのか、そろそろ教えろよ」
「もう、何言ってるのコーマ。そんなのアニソン……」
「になりたいっていうのはもう何度も聞いた。それ以外にも何か気付いてること、あるんだろ?」
訊ねると、電波ちゃんの眉はハの字になり、縮こまった。
きっと、睨むようにして見つめてしまったのだろう。怯える電波ちゃんを見て、自分が変に焦ってしまっていることを実感する。
でも、だって、仕方ないではないか。
消えるなんて突然言うから。さも当然のように、何でもないことのように、言い放ってくるから。電波ちゃんはマイペースすぎるし、イライラするし、一緒にいるだけで体力を持っていかれる。けれど、頭痛や吐き気はだんだんと治まってきたような気がしなくもない。
結局のところ、電波恐怖症もリアリストも気持ちの問題なのだろう。ちゃんと向き合おうと思うことができれば、変わるのかも知れない。
電波ちゃんに出会ったばかりの光磨は、一刻も早く消えてくれと思っていた。でも、今は違う。「消えちゃうところだった」と言われ、心からショックを受けている。
おかしな話だな、と光磨は密かに苦笑した。
「電波ちゃんにとって、そんなに大事なものだったんだな。その、花の髪飾り」
なるべく言葉を選んで、電波ちゃんに問いかける。表情も少しは柔らかくなったのだろうか。電波ちゃんはコロリと表情を変え、綻ぶ顔で頷く。
「うん、そうなの。むしろ私の本体……みたいな? なんちゃって」
てへっ、と電波ちゃんはおどけるように舌を覗かせる。多分、普段の光磨だったら「何だよそれ」と言い返しているところだったのだろう。でも、光磨はついつい電波ちゃんの髪飾りをガン見してしまった。
黄色くて小さな花だ。花に詳しくない光磨には種類はわからない。だからこそしっかりと目に焼き付けようと思った。
「これがヒントってことで良いんだよな? 電波ちゃんの身体の一部と言って良いくらい、大事な花なんだな」
電波ちゃんは肯定も否定もせずに、ただただ微笑んでいる。中途半端な態度だというのに、光磨は自然とイラつきはしなかった。
「コーマ、あのね」
「なんだよ。ヒントはたくさん聞けたから、もう充分だぞ。多分……そんなに焦る問題でもないと思うんだよな」
だからお前も焦んな。そう心の中だけで付け加えて、光磨はしっしっと電波ちゃんを追い払う仕草をする。そのまま顔でも洗おうと部屋を出ようとする光磨だったが、小指を掴まれて阻止されてしまった。
「いてぇよ馬鹿。そこは袖を掴むとか手をちゃんと握るとかしてくれないと……」
一瞬だけ変な方向に小指が曲がり、光磨は顔をしかめながら半ば強制的に振り返る。なんとなく想像はできていたが、そこには至って真面目な電波ちゃんの顔があった。
「…………あっ! えっと。コーマ、ありがとっ! まろまるから救ってくれて」
しかし、真面目だったのはほんの少しのことだった。電波ちゃんは言葉を探すように口をもごもごさせてから、急に思い立ったように明るい声を出す。
まるで言おうとしていたことを隠したように見えてしまい、光磨は違和感を覚えてしまった。
「もー、そんな顔しないでってば。私、まだ消える訳にはいかないんだもん。だって、私の目的、まだ果たせてないからさ」
「……それは、アニメソングになりたいっていう漠然なこと以外も自分では理解してる……ってことで良いんだよな?」
「えー、どうだろうなー、わかんないなー」
おどけるように笑ってから、電波ちゃんは「あっ、またねー」と素早く手を振った。文字通り逃げるようにして姿を消したのだ。
思わず、光磨は苦笑してしまう。
謎だらけな電波ちゃんだが、電波らしからぬ人間的な部分も垣間見たような気がした。「電波ちゃん」と咄嗟に名付けてしまったのは、果たして正しかったのだろうか、なんて。今更ながらな思考が光磨の頭を巡る。
電波ちゃんも電波ちゃんで、何も考えていない訳がないのだ。彼女だってきっと、悩んだり迷ったり、頭を巡らせているのだろう。
だからこそ、光磨は思う。
「さて、俺もちょっと……向き合ってみるか」
小さな決意を固めるように独り言を漏らし、光磨は先程目に焼き付けた髪飾りを思い出すのであった。
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