3-3 自覚はあったらしい
菜帆と学校外で会うことはこれで二度目だ。
もう緊張なんてしない……というのはもちろん強がりで、そんな訳がなかった。待ち合わせの時間が近付くにつれ、そわそわが止まらなくなる。ついつい早めに待ち合わせ場所の奏風駅に到着してしまい、まだ本格的に夏は始まっていないというのに手が汗ばんできた。
「コーマ、どうしたの? 挙動不審だよ?」
「っ……お前って奴は、本当に……」
突然現れた電波ちゃんに一瞬心臓が止まりそうになりながら、光磨はジト目を向ける。ずっと俯いていたからか、電波ちゃんがいたことに気が付かなかったのだ。
「ま、まぁ……助かったっちゃ、助かったか……」
電波ちゃんから視線を逸らしながらも、光磨は自分自身に言い聞かせるように小さく呟く。しかし心のどこかで二人きりではなくなったという残念な気持ちにもなり、何とも言えない感情が渦巻いた。
「お前、何で来たんだよ」
「うーん……アニソンの匂いがしたからだよ!」
「何だよそれ」
紺碧色のキラッキラな瞳で言い放たれてしまい、光磨は反射的に毒づいてしまう。でも、これからアニソン歌手を目指す菜帆のカラオケに付き合う訳だ。あながち電波ちゃんの言葉は間違っていないのかも知れないと思い、光磨はじっと電波ちゃんを見つめてしまう。
「あっ、枇々木くん待たせちゃっ……」
すると、菜帆が駆け足でこちらに向かってきた。ギンガムチェックのワンピースに白のパンプス、ポニーテールの髪は大きめの白いリボンで結んでいて可愛らしい印象だ。相変わらず私服姿は見慣れず、思わず視線を逸らしてしまう。
「あれ、電波ちゃん?」
しかし、電波ちゃんがいたのは予想外だったようで、菜帆も菜帆ですぐに電波ちゃんに注目して小首を傾げた。そりゃあその反応になるよなぁ、と思っていると、
「って、そんなことはともかく!」
電波ちゃんのことを深く追求しないまま、菜帆は光磨を指差してきた。明確には光磨の頭を、と言った方が良いだろうか。
「似合ってるよ、枇々木くん。やっぱりそっちの方が良いと思う! 表情もよく見えるし」
いきなり何を言い出すのかと思ったら、前髪のことだった。学校ではまだ勇気が出ないが、休日くらいは前髪を上げてみようと思ったのだ。今朝、秋鷹も「良いんじゃないか」とストレートに褒めてくれていた。
「そ、そうか。俺としては反応に困るんだが……」
しかし紫樹といい秋鷹といい菜帆といい、少々褒めすぎなのである。そんなに元の前髪が酷かったのかと不安になる程だ。まぁ、実際に酷かったのだろうが。
「…………」
「いや、無言で見ないでくれ。元々が酷かったって言いたいのはわかったから」
「ううん、そうじゃないよ。あのさ、枇々木くん……もっと、困らせても良い?」
――はぁ?
と、思わず心の中だけで動揺を露わにしてしまった。声も出せないくらい、混乱と緊張が一気に押し寄せてくる。だって、仕方ないではないか。元々は真面目で大人しいという印象だったのに、電波ちゃんと出会って菜帆と向き合ってからは印象がころころと変わっていく。意外と積極的なんだな、と向き合った当初は思っていたはずだ。でも今なら迷いなく言える。「意外と」、だなんてとんでもない。穂村菜帆は積極的且つ、光磨が驚く程に前向きな人なのだと。
「本当に枇々木くんが髪型を変えてきてくれると思ってなかったから、嬉しくて。これはちょっとしたお礼……みたいな」
言いながら、菜帆はそっと黒縁眼鏡を外す。予想外の行動に光磨は驚かない訳がなく、思わずガン見してしまった。
正直なことを言うと、眼鏡を外すと確かに泣きぼくろは目立ってしまう。可愛いという印象から色っぽい……というか、少しばかり大人っぽいイメージに変わるのだ。きっと、ポニーテールにしている髪を解いたらますます雰囲気が変わると思う。
なんてことを思っていると、みるみるうちに菜帆の頬が赤らんでいってしまった。我慢するようにじっと見つめてくる菜帆の瞳は、そんなに恥ずかしいのだろうかと思うくらい潤んでいってしまう。
「む、無理するな。その……確かに眼鏡がなくても……かっ、可愛い、が……俺はどっちでも……いやどっちでも良いという訳ではなく……あぁ」
言いたいことがぐちゃぐちゃになってしまい、光磨は頭を掻きむしる。すると菜帆は肩の力を抜いたように「ふふっ」と微笑み、光磨もようやく緊張の糸が解けた気がした。
「無理してる訳じゃないんだよ。……ただ、あざといことしてるのかなぁっていう自覚はあります。ごめんなさい……」
眼鏡をかけ直し、菜帆は赤い頬のまま小さくお辞儀をする。光磨もつられるようにして「いやいや」と頭を下げ返すが、内心では「自覚はあったのか……っ!」と叫んでいた。しかしこれは光磨にとってはプラスの情報だ。電波程ではないが天然も得意ではない光磨にとって、菜帆の言動は天然からなるものではなかった……というのは朗報だった。
とまぁ、そんな現実逃避はともかく。
「ごめんね、私……本当に楽しいんだ。電波ちゃんのこともだけど、何より私の夢を応援してくれる人が近くにいるって思うと、凄く嬉しくて。だから今日はよろしくね、枇々木くん。それと、電波ちゃんも」
ペコリペコリと、光磨と電波ちゃんに向かって軽くお辞儀をする菜帆。表情には未だに照れが残っていて、光磨も同じような表情になってないか不安になり、慌てて俯く。
というか、少しの間だけ光磨は忘れていたのだ。電波ちゃんもこの場にいるということを。
「……あ、ああ、そうだな。こんなところで立ち話をしてるのもあれだな。行くか」
目的地のカラオケ店がどこなのかも知らぬまま、光磨はそそくさと歩き出す。慌てて「あっ、こっちだよ」と菜帆に案内され、二人(+電波ちゃん)はカラオケ店へと向かう。一瞬だけニヤニヤと楽しそうに笑う電波ちゃんと目が合ってしまったような気がするが、きっと気のせいだと自分に言い聞かせる光磨なのであった。
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