1-4 居場所

「え、光磨どうしたの……っ」


 紫樹が血相を変えてその場にしゃがみ込む。

 そりゃあそうだろう。相変わらず、背中を押す電波ちゃんの力が強すぎるのだ。

 さっきだって菜帆を壁ドンするような形になってしまったくらいなのだから、何ごともなかったようにするのは無理な話だった。


 堪えられず、光磨は倒れ込んでいる。

 というか、意図せずスライディング土下座のようになってしまった。恥ずかしい恰好ではあるが、あの時と同じように優しい光に包まれる。心配そうな紫樹とは裏腹に、心が晴れやかになっていくのを感じた。


「ごめん、柚宮」

「え……っと、それはもう、大丈夫だから」

「大丈夫じゃないから言ってるんだ」


 ゆっくりと起き上がり、光磨は逃げずに紫樹を見据える。

 困ったような顔をする紫樹に向かって、光磨はしっかりと言い放った。


「……自分でも、わからないんだよ。本当に小説が好きなのか、それとも何かから逃げるために書いてるだけなのか。でも、嫌いではない。それだけは信じて欲しい!」


 嘘偽りない本音が、光磨の口から零れ落ちる。

 でも、視線は不安定に揺れてしまった。ちゃんと紫樹の顔を見ることができず、やがて俯く。結局、本音が言えたところでどうにもならないのだ。

 ここは文芸部であり、小説が好きだったり、詩が好きだったり、とにかく文章や物語が好きな人達が集まっている。

 なのに、本当に小説が好きなのかわからない、なんて。

 ふざけている。自分はもう、ここにいてはいけない。当たり前のようにそう思ってしまう。だからこそ、光磨は驚いてしまった。


「光磨、ごめん」

「いや、だからそれはもう……」

「それから、ありがとう」


 紫樹の謝罪の声だけが聞こえ、光磨は首を横に振った――と思ったら、今度はお礼の言葉を言われてしまった。意味がわからなくて、光磨は紫樹の顔をまじまじと見つめてしまう。


「何で……」


 紫樹は優しく微笑んでいた。

 紫樹だけじゃない。夏奈子も何故か嬉しそうに笑っている。というか、部室にいる誰もが似たような表情をしていた。不満げな顔をしている者など、誰もいない。


「とにかくさ、光磨。ゆっくり話そうよ」


 言って、紫樹はパイプ椅子を引いてみせた。

 それでも思考が停止して動けない光磨を、夏奈子が「ほーらほら光磨くんこっちだよー」と無理矢理引っ張り出す。その時の夏奈子の笑顔は狂気に満ちているようにしか見えなくて、

(やっぱりこの人苦手だ……!)

と、光磨は再認識するのであった。



 半ば強引に着席させられ、縮こまる光磨。

 今から説教が始まるのではないかと錯覚する程、部員全員の視線が光磨に集まっている。威圧感が半端じゃなくて、光磨は俯くことしかできなかった。


「あの、部長」

「あれれー、おかしいなぁ。萌先輩でしょ?」

「……も、萌先輩」


 頬に人差し指を当て、小首を傾げるというあざといポーズをする夏奈子。どうやら夏奈子のあだ名は萌ちゃん(苗字の萌木野から)のようで、後輩からは萌先輩と呼ぶように強要――もとい、お願いしている。

 別に部長は部長で良いと思うのだが、夏奈子的には「そんなの普通じゃん」とのこと。やっぱり面倒臭い人だ。なんとなく怖いから、本人には言えないが。


「これは俺と柚宮の問題なんで、他の人は普通に作業してもらっても……」

「え? こんなに面白いのに観察しちゃ駄目なの?」


 丸々とした瞳から察するに、茶化してする訳ではなく真面目に訊いているようだ。流石に小さくため息を吐いてから、夏奈子に告げる。


「ちょっと文句があるので言いますよ」

「ん、なぁに?」

「夏奈子先輩」


 ビシッと、部長でも萌先輩でもなく、夏奈子の名前を言い放つ。


「ひやああぁぁぁっ」


 夏奈子の頬はみるみるうちに赤くなっていった。なんてわかりやすい反応だろう。両頬に手を当てて弱々しく叫ぶ夏奈子は、どう見ても恥ずかしがっている。

 夏奈子はどうやら名前で呼ばれるのが苦手らしい。だからこそ萌先輩と呼べと言っているのだろうが、それにしたってオーバーリアクションがすぎる。言ったこっちが恥ずかしくなってくるくらいだ。


「ちょ、ちょっと光磨! どさくさに紛れて萌先輩をからかうのはやめてよ」

「……お前なぁ」


 紫樹も紫樹でわかりやすく動揺を露わにしていて、光磨は思わず呆れてしまう。

 夏奈子と紫樹は中学も同じだったらしく、紫樹は前々から夏奈子のことを「頼れる先輩」だと言っている。しかし、ただの頼れる先輩に対する態度とは思えないのだ。

 挙動不審になったり、目で追っていたり。

 まぁ、つまりは好きなのだろう。


「ありがとう柚ちゃん。あたしの代わりに怒ってくれて」

「え、あ、いや……そんな。僕は別に……」

「照れちゃって可愛いなぁもう。女の子だったら抱きしめてるところだよ」

「な、ななっ、何言ってるんですか!」


 照れを爆発させる柚ちゃん(幼い頃からのあだ名らしい)に、周りの女子部員達はざわめき出す。主にニヤニヤ方面でのざわめきだ。光磨と紫樹以外が全員女子のため、夏奈子と紫樹のラブコメ的な空気が流れるといつも良い意味でざわざわするのだ。

 この空気が、実は光磨も嫌いではない。

 今は少しだけ菜帆と話せるようになった。それでもやっぱり教室の居心地は悪くて、反動で部室がまるで癒しのように感じている。……というのは流石に大袈裟だろうか。でも、光磨は今、いったいどんな表情をしているだろう。いつも通りの微笑ましくも温かい光景を見ても尚、心が押しつぶされそうになっているだろうか。

 そんな訳がない、と。光磨は即答できてしまう。本当は紫樹とももっと仲良くなりたいし、何だかんだ夏奈子も気遣ってくれる人だ。他の部員とはあまり会話はしていないけれど、決して睨まれることなんてなくて、皆優しいのだ。優しすぎて、心が痛くなる。

 一度放ってしまった発言は取り消すことなどできない。というか、取り消すつもりもないのだ。あの発言は光磨の本心だった。自分がいったい何をしたいのかがわからなくて、小説も何かから逃げるような感覚で書いてしまっている。

 こんな中途半端な人間がここにいて良い訳がない。


「ご、ごめん光磨。ちゃんと話そう」


 ――なのに。


「光磨。本音を言ってくれてありがとう。僕は……もっと光磨のことが知りたいよ」


 紫樹は、まるで悪魔の囁きのようなことを言ってくる。

 やめてくれよ、と思った。自分はそんなに優しくされる資格なんてない。部の空気を悪くさせるだけでなく、小説が好きかどうかわからないなんて言う男だ。

 だから、駄目なのだ。紫樹の言葉に応えることなんてできない。そう思っているはずなのに、光磨の口は勝手に動き出す。


「それは……俺だって」


 自分は心底馬鹿だと思った。いったい何を言いかけたのだろう――という疑問は、最早すっとぼけにしかならない。きっとこれが、隠しようもない自分の本心なのだから。


「自分探しのためにここにいてくれて良いんだよ? それこそ文章の役目だし」


 さらりと放たれた夏奈子の言葉に、心が軽くなるのを感じる。


「あ……」


 夏奈子を見て、紫樹を見て、他の部員達を見渡して、光磨はようやく気が付いた。


(電波ちゃん、いないな……)


 菜帆の時と同じように、電波ちゃんはいつの間にか姿を消していた。

 本当に訳のわからない奴だと思う。一見中学生くらいの少女だが、まじまじと見ると現実離れをした容姿をしているし、突然現れたり姿を消したりするし。光磨のことを知っていて、菜帆のことを光と呼んで、今のところ光磨と菜帆にしか電波ちゃんの姿は見えなくて。

 そして何より気になるのは、「アニメソングになりたい」という彼女の願いだ。確かに光磨の母親はアニソン歌手だった。でも光磨とアニソンとの関係性はそこだけで、やっぱりまったくもって意味がわからない。

 でも、一つだけわかることがある。


(また、俺は電波ちゃんに救われたのか)


 きっと、光磨は情けない笑みを漏らしているのだろう。

 代わりに皆が微笑んでいた。優しすぎて、温かすぎて、本当に意味のわからない空間だ。でも、わからないからといって決して逃げてはいけない場所でもある。


「萌先輩」

「ん、何かな?」

「……俺、文芸部にいるのが嫌いじゃないです。自分のために……ここにいさせてもらっても良いですか」


 誰かに自分の気持ちを伝えることはとても大変なことだ。電波ちゃんの力を借りた時でさえも少しの勇気は必要だった。でも、今は電波ちゃんがいない。ふらりと姿を消してしまっている。だから、想像以上に光磨は緊張してしまった。アホみたいに声は震えるし、夏奈子と視線を合わすこともできていない。


「それはもちろんだよ。ねっ、皆?」


 光磨とは大違いの、明るい夏奈子の声。

 恐る恐る顔を上げると、まずは予想以上に近い夏奈子の顔があった。ドヤ顔にも見える得意げな笑みを浮かべる夏奈子は、近くで見ても美人なのには変わりない。スタイルも相まって完璧な女性に見えるくらいだ。紫樹が惚れるのも無理もない話だろう。


「こ、光磨! ありがとう……嬉しいよ」


 夏奈子との距離が近いことに対して動揺を露わにしているのはやはり紫樹だ。光磨に対してお礼を言いつつも、顔が強張ってしまっている。中性的で可愛らしい容姿だから全然怖くはないのだが、嫉妬しているのが丸わかりである。

 そんな紫樹に女子達が「柚ちゃん、顔、顔!」と突っ込みを入れ、笑いに包まれる。当の夏奈子はよくわかっていない様子だったのがまた面白く、部の雰囲気が和やかになっていく。


(まぁ、電波と天然は紙一重だしな……)


 と、光磨はひっそりと冷たい視線を送ってしまったのは内緒の話だ。



 そこからはもう、驚く程自然にいつもの光景へと戻っていった。

 月に一度発行している奏風文芸誌の今月のテーマを皆で決め、それぞれ小説や詩の執筆に取りかかる。違うところといえば、いつもは黙々と小説を書いている光磨が気分を変えて詩に挑戦しているということくらいだろう。夏奈子は小説よりも詩を書くのが好きだから、夏奈子に教わるような形だ。紫樹が妙にそわそわしていたのはやはり嫉妬心からだろう。ぶっちゃけ、わかりやすい反応すぎて面倒臭い。でも、そう思えるのは心を開けた証拠なのかも知れない。

 自然と笑みを零しながら、光磨は思う。

 今朝感じていた憂鬱な気持ちは、もうすっかり晴れているのだと。思い返してみれば本音を告げるだけで解決する問題だった。でも、光磨にとっては簡単な問題ではなくて、きっと一人ではどうすることもできなかったのだろうと思う。


(本当に、何なんだろうな……)


 突然、光磨の前に現れた電波ちゃん。

 最初は文芸部の問題よりも困った存在だと思っていた。何もかもが電波すぎて、リアルではなくて、電波恐怖症でリアリストの光磨にとっては辛くて辛くて仕方がなくて。なるべく早く自分の前から姿を消してくれと本気で願っていたくらいなのに。


 二回も、助けられてしまった。


 決して無意識ではなく、意図して光磨の背中を押してくれたのだ。もしや、電波ちゃんは光磨を救うために現れたのか? なんて、少しは考えてしまった。でも電波ちゃんには「アニメソングになりたい」というはっきりとした目的があるのだから違うのだろう。

 まだわからないことだらけだし、相変わらず電波ちゃんのことを考えているだけで頭が痛くなってしまう。

 だけど、心の奥底ではもうわかっていた。

 ずっと避けて生きてきたけれど、どうやらもう駄目らしい。


 ――アニメソングと向き合ってみよう。


 十五年の人生の中で、光磨は初めてそう思うのであった。

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