第二章  アニソンコンプレックス

2-1 意識してはいけない

 翌日以降も電波ちゃんは普通に現れた。

 学校だけでなく、家にも遠慮なく居座っているのだ。光磨の部屋にも現れてくつろいでいるのだから、光磨は頭を抱えてしまう。確かに電波ちゃんには感謝しているし、なるべく電波ちゃんの願いにも協力したいと思っている。

 でもそれとこれとは話が別だ。辛いものは辛い。もはやこれは生理現象なのだ。震えは止まらないし、酷い時は吐き気まで湧き上がってくる。なのに毎日電波ちゃんと過ごすことになるなんて。

 電波ちゃんのことはゆっくり解決していけたら良いと思っていた。でもやっぱり毎日一緒は辛い。身体が持たない。勘弁して欲しい。

 だから、何度も何度も訊ねはしたのだ。でも、


「とにかくアニソンになりたいの! それだけ!」


 というアホの塊みたいな答え以外返ってこない。

 せめてもう少しヒントが欲しいのに、詳しく聞くと電波ちゃんは首を傾げるだけだ。イライラするし疲れるしで、やっぱり辛くてたまらない。だからもう、一刻も早く解決しなければいけないと光磨は思った。


「穂村さん、ちょっと良いか?」


 ある日の休み時間に、光磨は意を決して菜帆に声をかける。

 次の授業の教科書を出していた菜帆はすぐに振り向き、頷いてくれた。しかし、「これからよろしく」と言い合った仲だというのに、挨拶以外の会話をするのは珍しい――というか、初めてのことだった。

 菜帆は驚いたように瞳をぱちくりさせている。


「どうしたの? もしかして、電波ちゃんのこと?」


 周りを気にして小声になりながら、菜帆は訊ねてくる。眉がハの字になってしまっていることから、菜帆を心配な気持ちにさせてしまったのだと察した。

 そんなに自分は緊張した顔をしていたのかと、光磨は苦笑する。


「あー、違う。そうじゃなくてだなぁ……」


 誤魔化すように頭を掻きながら、光磨は挙動不審に視線をきょろきょろさせる。

 こんな時に電波ちゃんがいたら手助けをしてくれたのだろうか、なんて一瞬思ってしまった自分が情けない。なんとか視線を合わせると、菜帆は不思議そうに小首を傾げていた。きょとんとしていて可愛らしい……なんて感想を抱いている場合ではない。

 このままでは緊張が増すばかりだ。とにかく言うしかないと思った。


「色々と相談したいことがあるんだよ。だから……」


 もごもごとはっきりとしない声を出しながら、光磨はスマートフォンを取り出した。菜帆はすぐに何が言いたいかを察してくれたようで、「ああ!」と弾んだ声を漏らす。


「そうだね。今思えば、あの時連絡先を交換しておげば良かったね。えへへ……ごめんね、気付かなくて」


 菜帆も自然な動作でスマートフォンを出しながら、照れ笑いを浮かべる。照れてはいるものの周りを気にせず連絡先の交換を始める菜帆は、相変わらず見かけによらず積極的な人だと思った。


「これでよしっと。ありがとう、枇々木くん。電波ちゃんのこと、私もずっと気になってたから。私からも電波ちゃんのこと色々訊くかも知れないけど、よろしくね」


 頼もしさすら感じる菜帆の笑顔に、光磨の心は軽くなっていく。

 菜帆は光磨の光になる存在で、光磨以外で唯一電波ちゃんが見える人物だ。相も変わらず、電波ちゃんの言う「光になる存在」の意味はわかるようでさっぱりわからないが、電波ちゃんの話ができるのは今のところ菜帆だけだ。紫樹にもいずれ言いたいとは思うが、電波ちゃんが見えない限りは説明するのも難しいだろう。というか、説明するのがまず苦痛だ。

 だから今、電波ちゃんのことで頼れる存在は菜帆しかいない。


「……ああ、よろしく頼む。じゃ、この話はまた今度ってことで」


 連絡先を交換する、というミッションを達成した光磨はきっぱりと話を切り上げた。教室で電波ちゃんの話はしづらいというのもあるが、一番は菜帆のためだ。こんな暗くて変な意味で浮いている男と接していたら、菜帆にまで影響が出てしまう。

 ただの被害妄想かも知れないが、どうしてもマイナスな思考になってしまう光磨だった。



 ***



 電波ちゃんのことで相談がしたい。

 とは言ったものの、正直何をどう相談したら良いのかわからなかった。いくら考えても謎すぎる「アニメソングになりたい」の攻略法が、まったくもって思いつかないのだ。せっかく菜帆と連絡先を交換しても、「どういうことなんだろう」と二人で悩むことしかできていない。

 だからもう、無理矢理突き進むしかないという結論に至った。

 名付けて、「光磨と菜帆の二人で電波ちゃんに質問攻めをしよう作戦」だ。

 光磨一人で電波ちゃんに立ち向かっても苛立ちや体調不良が勝ってしまい、結局話がうやむやになってしまう。だから菜帆にも協力してもらい、とにかく二人で訊きまくろうというのが今回の作戦である。

 菜帆の案ではあったが、光磨も今はそれしかないと思い頷いた。しかしこの作戦は学校で行う訳にはいかないし、菜帆を家に招くのもちょっと躊躇ってしまう。だから休日にどこかで集まろう、という話になったのだが。


「悪い。何か、その……」


 待ち合わせ場所の奏風駅(高校の最寄り駅)で菜帆と顔を合わせると、光磨は思わず苦笑をして目を逸らしてしまう。

 途中までは電波ちゃんもノリノリだったのだ。「いーよいーよ、何でも訊いて!」と胸を張っていたし、ついさっきまで隣で歩いていたはずなのに。

 抑えられない震えにどうにか耐えていたのだが、もうすぐ駅に到着するという時には心が軽くなっていた。

 また、ふらりと電波ちゃんは姿を消してしまったのだ。


「さっきまでいたんだが、急にいなくなっちまって」

「そ、そうなんだ。自由なんだね、電波ちゃんって」

「自由とかそういう問題じゃないだろ。あいつがいなきゃ今日の目的が……」


 光磨はついつい悪態を吐き、小さなため息まで吐いてしまう。菜帆に不満を漏らしたってどうしようもないし、顔を合わせて早々空気が悪くなってしまう。

 誤魔化すように咳払いをしてから、光磨はようやく菜帆と目を合わせた。

 よくよく考えたら、制服姿以外の菜帆を見るのは初めてなのだ。なのに意図せず二人きりになってしまい、妙な緊張感を覚える。

 髪型と黒縁眼鏡はいつもと変わらないが、白いブラウスとデニムスカートという爽やかな服装はとても新鮮だった。自分はパーカーとジーンズというラフな格好で来てしまったのが若干恥ずかしく感じてしまう。気付けば、光磨はじっと菜帆を見つめてしまっていた。


「どうしたの? 私の顔に何か付いてる、かな?」

「いや……俺と二人きりになっちまったから、悪いなと思って」

「そっ、そんなこと!」


 光磨が正直な感想を漏らすと、菜帆は慌てた様子で否定してくれた。ぎゅっと自分のブラウスの袖を引っ張り、一歩だけ光磨に近付く。


「せっかくだし、これから二人で……あっ」


 言葉の途中で、菜帆は顔を真っ赤にさせる。

 ぐうぅぅ……という小さな音が菜帆から聞こえてきたのだ。菜帆はすぐさま腹部を両手で押さえ、気まずそうに目を伏せる。

 時刻は午前十一時半。元々、電波ちゃんと三人で何かを食べながら話をしようと思っていたのだ。電波ちゃんが食事をするのかどうかは未だにわかっていないから、それを確かめる目的も密かにあった。でも今は菜帆と二人きりだ。


「穂村さんさえ良ければ、どこかに食べに行くか?」


 恐る恐る、光磨は訊ねる。

 すると、菜帆の表情はわかりやすく晴れやかになった。また一歩光磨に近付き、良いんですかっ! と言わんばかりに輝く琥珀色の瞳を向けてくる。


「ち、近いんだが」

「はっ! ご、ごめんなさい……嬉しくて、つい」


 へへへ、と菜帆は照れ笑いを浮かべる。

 菜帆のまっすぐすぎる返答に、光磨はますます困ってしまった。

 というか、これが天然たらしという奴なんじゃないか、と思ってしまう。天然という響きは電波と似ていてそんなに好きではない。でも、自然と嫌悪感を覚えることはなかった。


「あーっと、ファミレスでも良いか? 悪いな、もっと気の利いた場所が思い付けば良いんだが……」

「そんなそんなっ、大丈夫だよ。別にデートって訳じゃないんだから。……あれ?」


 自分で「デート」という直接的なワードを口にしてから、菜帆は首を傾げる。多分きっと、特に何も考えずに発言をしてしまったのだろう。瞬きが多めになっていく菜帆の姿を見て、光磨は密かに察する。

 電波ちゃんがいない今、光磨と菜帆は二人きりだ。男女が二人で出かける=デートなのだろうか? まったく恋愛経験がない光磨にはよくわからない。でも意識をしなければデートにはならないと光磨は思った。電波ちゃんがいなくとも、二人にはちゃんとした目的がある。何も二人きりになりたいから会っている訳ではないのだ。


「穂村さん、気にするな。考えたら駄目だ。今考えるのは電波ちゃんの願いの解決方法だ。だから早くファミレスへ向かうぞ」


 早口になっている時点で意識をしているのは丸わかりだし、菜帆も必死にコクコク頷いているのを見るに動揺してしまっている様子だ。

 変な意識から逃れるには真面目な話をするしかない。慣れないそわそわ感に戸惑いつつも、光磨は菜帆とともに早足でファミレスへと向かうのであった。

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