第7話 依頼
クリスマスも過ぎ、街は華やかな年末モードである。
大学は休みに入り、いつもの騒がしい学生たちの姿はまばらだが、代わりに親子連れや恋人同士が大きな買い物袋を持って楽しそうに歩いている。
ここは、千春に頬を叩かれた児童公園、時刻は午後5時10分前。
直也が事故に遭ってから、神経の休まる日がまるでなく、心身ともに疲れ果てている。
交通事故の一件だけではない、千春が暴行され大怪我を負った事件までも、警察の取り調べを受けた。被害者二人が、いずれも霧子を犯人だと証言しているからだ。
しかし、それにはあまりにも無理があった。霧子が暴行した形跡など、全くなかったのである。
それでも、大学ではかなりの噂になり、あからかさまに避けられたり、陰口を言われる日々が休みになるまで続いた。しかし当の霧子は、何が起こっているのかさっぱりわからず、とまどうばかりである。
そんな霧子を救ってくれたのは、理央であった。
何かと霧子のそばに寄り添い、悪口を言う学友を叱り飛ばし、霧子を励ましてくれた。彼女がいなかったら大学を辞めていたかもしれない。
どうして彼女がそこまで親身になってくれるのか、理由はわからないが、本当にありがたかった。
そんな理央が、拝み屋の話を持ち出してきたのは一昨日の事だ。
「変な人だけど、嫌な人じゃないよ」
変な人なのはちょっと嫌だな、と思った。
おまけに男の人というのは。
「私、男の人は……」と、言いよどむ霧子に、理央は説得するようにたたみかけてくる。
「悪い人じゃないから」
「でも、変な人なんでしょう?」
遠慮がちに言い返すと、理央は少し上を向いて考えている。こんなによくしてもらっている理央の話を無下にするのは、悪い気がする。
「その人ね」理央が口を開いた。
「信用できるんだよね。それは間違いないんだ。それに霧子ちゃんには必要な気がする」「必要?」
「うん、いろんな変な事をさ」と、気遣うように霧子を見る。
「解決しないと、気持ち悪いじゃん。あたしもあの場にいたわけだし、よくないと思うんだ、ああいうのを放っとくっていうのは」
もう一人の霧子の件、あの事は警察には話していない。話したところで、信じてもらえるはずもない。
「それに、学割きくって言ってたし。80%オフになるって。そう言われたから来ましたって、ちゃんと言うんだよ」
「本当?」
なんだか、理央が思い付きで言った気もするが、この際、信じてみるべきかもしれない。霧子には他に頼る人など、もう誰一人いないのだから。
それに、またもう一人の霧子が現れて、他人に危害を加えるかもしれない。それが理央だったとしたら……私は今度こそ死んでしまうだろう、と霧子は思った。
拝み屋は、約束の午後5時ちょうどに現れた。
公園の入り口を見つめていた霧子は、ふいに後ろから声を掛けられ、飛び上がって驚いた。足音も、気配も全く感じなかった。
「神代霧子さん?」
振り向くと、全身黒ずくめの、白い顔の男が立っている。かなり背が高く痩せていて、にこりともせず見下ろしている。
「は、はい」
慌てて振り向いた霧子を、拝み屋は上から下まで無遠慮にじろじろ見る。
「あの……」
「これは失礼しました」
拝み屋は、意外なほど丁寧に頭を下げた。
「私、拝み屋をやっております、乾恭一郎と申します。このたびは、ご依頼ありがとうございます」
顔を上げた乾の目を見る。不思議な色の明るい瞳。不吉ささえ感じる容貌の中で、そこだけが異彩を放っている。温かい、強い瞳。
その目が、まるで真実を見透かすように、霧子をじっと見ている。
恥ずかしい、と霧子は思った。この人に隠し事はできない。私のやましい人生が、必死で取り繕ってきた人生が、母の事も直也の事も理央の事も、この人には、全てお見通しなのだ。
軽蔑されるに違いない。バカ女と罵られても仕方がない。
霧子は、身を縮めるように俯く。
しかし意外にも乾の口から出たのは、ねぎらいの言葉であった。
「大変でしたね」
霧子は顔を上げて乾を見る。
乾はまるで霧子を気遣うような、優し気な表情をしている。
「よく頑張りました」
「……頑張ったんですか、私」
「そうは思いませんか?」
乾に促されて、ベンチに並んで座った。不思議と怖いという気持ちも、不審な気持ちも消えている。まるで乾から温かい光が発生しているように、霧子の凍り付いた心が溶けていくようであった。
「いやあ、とんだ災難でしたね。少し過剰な防衛本能のようなものだと言えるのかな。少なくとも、あなたが悪いわけではありません」
乾の言葉に、霧子は涙が出そうだった。
「おまけにその名前、神の代、器となるもの、霧というのは真実を隠し、別世界への扉ともなる。そういった事があいまって……」
霧子の泣きそうな表情に、乾は口調を変える。
「いや、大丈夫です。その、もう一人を消しちゃえば済むんですから。あなたは心配しないでください。ただ、早い方がいいでしょうね、次に悪さをする前に……さて」
ふいに乾は口をつぐみ、考え込む。
「ついにアレの出番かなあ」
「アレ?」
「いや、なんでもない、こっちの事」
乾は慌てて咳ばらいをする。
「それでですね、お支払いの事なんですが」「あっ、はい」
「わりと高いんです、私は」
そうだ、この人はこういう仕事なんだ、商売だから親身になってくれるんだと思い知り、霧子は少し落胆してしまう。そんなの、当たり前の事なのに。
「いくらでしょうか……」
「やってみなきゃわからないっていうのは、正直あるんだけども、見たところ特別な道具を使う必要があるようなので……」
乾はじっと伺うように霧子を見ている。「学生さんだから、あんまり金ないよね?」
「いえあの、大丈夫です。学割で80%オフになるって聞きましたし」
「は?」乾の顔色が変わる。
「誰がそんな事言ったんです?」
「あの、理央ちゃんが……」
「理央!三浦理央!」
怒ったように乾が立ち上がり、そのへんをぐるぐる歩き回る。その様子に霧子は動揺し、倒れそうになってしまう。拝み屋を怒らせてしまったのだろうか。
「なるほど彼女は狡猾だ、私は確かに仕事が欲しいが。しかし勝手な事を……!」
ぶつぶつ言いながら、乾はぐるぐる歩いている。
「それを承知のうえで、あなたはここに来た、そういう事ですね!」
投げ捨てるように言われ、霧子はビクッと身体を縮める。
「いや失礼、あなたのせいじゃない」
うつむき固まっている霧子の前に、乾は向き合ってまっすぐ立った。
「……彼女は、たいした人だ。良いご縁ですね。大切になさい」
意外な言葉に、驚いて顔を上げる。乾が鳶色の目を細めて、霧子を見ている。
「三浦理央。まっすぐで平等、楽観主義者。人に対して偏見を持たず、全て受け入れ見送れる人です。若干はしゃぎすぎる傾向はありますが」
そこまで言うと、乾は天を仰ぎ、やがて決心したように霧子に顔を向ける。
「二桁万円前半で」「はい?」
「どうです?これは、かなりのサービス価格ですが」
遠慮すべきか、素直に喜ぶべきかわからず、霧子はオロオロとまた俯く。その様子を見て、乾は何か勘違いしたようだ。
「よろしい、10万でどうです。なんとかなりませんか」
「な、なります……」
「まあ、思ったより簡単な場合もありますから。そうしたらもちろん、相応にお安くさせていただきますよ」
「ありがとうございます……」
顔を上げた霧子は、乾の優しく輝く目に見つめられ、不思議な感覚に陥る。
変な人なんかじゃない、この人に任せれば大丈夫だ。
霧子は、柔らかな温かい毛布に包まれているような、絶対的に守られているという生まれて初めての感覚に、ずっとこのまま身を委ねていたいと思う。
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