第5話 獣

 夕暮れの街に、安っぽいアレンジのクリスマスソングが、繰り返し流れている。

 「並行世界に行く方法をネットで見たんだよね。あれ、ホントなのかね?」

 友人たちの興味など全く気にも留めず、三浦理央はペラペラとまくしたてている。

 「まーたそんな事言って……」と、いつも呆れられているが、それでもこうして友人に囲まれているのは、理央の愛され体質がもたらしているのであろう。

 大学からの帰り道、数人の友人たちに囲まれ、いつものように賑やかに駅を目指す。


「あ、待って!」と、理央の足が止まる。

 児童公園の入り口である。

 公園の中で、霧子と千春が向かい合っているのが見えた。一方的に千春が何かまくしたてているような、キャンキャンというヒステリックな声が聞こえてくる。

「あれ、千春と……誰?」友人たちも足を止める。

「神代霧子ちゃんだよ」と、理央が答える。

 おかしな組み合わせだな、と、興味がむくむくと湧き上がった。

 バシン!っという鋭い音が響く。千春が霧子を平手打ちしたのだ。

「あ、ヤバ……」友人の一人が大声を出し、慌てて口を塞ぐ。

「止めてくる!」と、飛び出そうとする理央を、友人たちが止める。

「やめときなって!関わんない方がいいよ」

「なんでよ」

「千春、怖いんだから……ねえ?」と、友人たちが目配せする。

「下手したらオヤ出てくるから……」

「めんどくさいんだよねえ……」

 友人たちに構わず、理央は公園にずんずん入って行った。

「先に帰ってて!」「理央……!」

「いいから!」

 千春は甲高い声で霧子を攻め続けている。あまりの剣幕に恐れをなし、友人たちはそそくさとその場を離れた。千春のヒステリーと我儘には、今までもひどい目に遭っているのだ。

 他人の揉め事にすぐ首を突っ込みたがるのは、理央の悪い癖だ。親や友人にいつもたしなめられている。

 でも、霧子ちゃんとお茶して楽しかったしなあ、と、あの日のカフェでの出来事を思い出す。何の話をしたかは覚えていないが、柔らかな霧子の笑みが頭に浮かんだ。


 高慢ちきで周りから敬遠されがちな千春に対しても、理央はすいっと懐に入っていく事ができた。何度か二人で食事をした事もある。当然遠慮したが、全て千春に奢ってもらった。なので理央は、これは私が止めるしかないじゃん、という妙な使命感を覚えている。

「ちょっと!何してんのよ!」と、動じることなく、二人の間に割って入った。見れば霧子は頬を腫らし、身を固くして震えている。

「いじめだめ、絶対!」と、ポスターの標語のようなセリフを吐き、理央は千春に詰め寄った。

「何よ、理央には関係ないでしょう!」と、千春はキャンキャン吠える。

「関係あるんだなあ。あたし、霧子ちゃんと友だちだもん」

 霧子が、のろのろと顔を上げ、理央を見た。

「お二人さん、あたしに、わけを話してごらんよ」

 大岡裁きでもするかのような理央のセリフに、千春はイライラを隠し切れない。

「こいつが、直也くんを大怪我させたのよ!」

「直也くん?誰?」「私の彼氏!」

 恋愛がらみかと、思わず引き気味になる理央である。実は苦手分野なのだ。

 しかしゴシップにおおよそ似つかわしくない霧子が関係しているというのは、やはり好奇心をそそる。霧子は、強張った表情のまま、全く動かない。

「霧子ちゃん!」理央が大声で呼びかける。

 は……と霧子が声にならない息を吐く。

「霧子ちゃん!しっかりしなよ!何があったの!」

 霧子の唇が震えている。懸命に言葉を出そうとしているのか。

「こいつの言う事なんか聞くなって!」

「ちょっと黙って」理央が、ぴしゃりと千春に言い放った。

「私……」俯いて消え入りそうな声で、霧子が呟いた。

「え、何?」理央が霧子の口元に耳を寄せる。

「私、直也くんと付き合って……」

「ウソつくな!」

 また千春の強烈な平手打ちが飛んだ。霧子はその場にうずくまる。

「暴力反対!警察呼びますよ!」と、叫ぶ理央に、千春は食って掛かかる。

「何よ!なんにも知らないくせに!」

「だから、何があったんだって聞いてんじゃん!」

「こいつが、直也くんを車道に突き飛ばしたんだよ!それで直也くん車にはねられて大怪我して!今入院してるんだから!」

 ああ……!と、思い当たった。なんだか、そんな話を聞いた気がする。この辺りではちょっと名の知れたかっこいい男が、車にはねられたとか何とか。しかし、そのかっこいい男が霧子と付き合っているという話は、どうもピンと来ない。いや、それよりも。

「その、霧子ちゃんが突き飛ばしたっていうのは、ホントなの?」

 そんなわけないではないか。どう考えても千春のイチャモンだ。

「私、直也くん本人から聞いたんだから!」

 千春がフフンと鼻を鳴らす。

「だったら警察に捕まってるはずじゃん?おかしくない?」

「知らないわよ!」

 支離滅裂だなあ、と、理央は呆れる。こんなわけのわからない事で、お嬢様が人に暴力を振るうとは。

「千春、あんたさあ、いい加減にしないと」「何よ!」

「パパから、お小遣い取り上げられるよ」

 あまりにも自由奔放な千春に、父親が最近いい顔をしていないというのを、本人から最近聞いたばかりだ。千春の顔色が変わる。

「パパは関係ないでしょう!」

「だって、どう考えてもおかしいもん。直也って人の証言だけで、霧子ちゃんを犯人呼ばわりは間違ってる」

「直也くんが嘘を付いてるっていうの?」

「証拠はあるんですかね?証拠!その直也って人、怪我で錯乱してんじゃないの?」

 千春は真っ赤な顔で、理央を睨みつける。

「結局アレでしょ?そいつに二股かけられてたっていうのが、気に食わない……」

「うるさい!」

 千春が顔を歪めて叫ぶ。きれいな巻き髪が生き物のように踊る。

「嫉妬深い女は、みっともないよ」

「はあ?どうして私が、こんな奴に嫉妬すんのよ!」

 興奮した千春が、手に持っている革のバッグで、うずくまっている霧子を叩く。

「はいレッドカード!警察呼びます!警察!」と、理央はスマホを取り出す。

「もちろんパパも呼んでもらいます!」

 スマホで電話をかけるそぶりを見せる理央に、千春は慌てて公園を出て行った。


 千春が見えなくなるまで、黙って見送った後、理央はうずくまっている霧子に手を差し出す。

「霧子ちゃん、大丈夫?」

 ゆっくりと顔を上げる霧子の頬が、少し切れて血が滲んでいる。さっきバッグで叩かれた時だろうか。千春を煽り過ぎたかな、と、理央は珍しく反省する。霧子は、理央の手を取り、よろよろと立ち上がった。

「ありがとう……」

 伏し目がちに礼を言い黙り込む霧子を見て、理央はやるせない気持ちになる。まったく、恋っていうやつは!こんなおとなしい子まで狂わせるなんて、どんな男なんだ、その直也ってのは。

 ふと霧子が地面に目を留め、何か拾い上げる。それは発売されたばかりの最新型のスマホであった。理央がため息をつく。

「千春のだ。バカだなあ」

 おおかたバッグを振り回した時に落ちたのであろう。液晶画面に傷が付いている。

「そのへんに置いときなよ。千春が悪いんだから」

「でも、こんな高そうなもの……」

 まあ、高いんだろうな、と、理央もさすがに躊躇した。

 千春の事だから、現金もいっぱいチャージしてあるだろうしな。ご飯を奢ってもらった恩もあるし。そういえば、流行りのなかなか予約の取れないレストランだったっけ。

 仕方がない、恩は返せるうちに返しとかないと。そういうところが、理央は変に律儀なのだ。

 「私、届けてくる!」勢いよく言って、霧子からスマホを受け取った。


 公園の入り口を出て、大通りを駅方向に向かって走る。まだそれほど時間が経ってないから、すぐに追いつけるだろう。

 私のこういうとこなんだよなあ、と、理央は少し誇らしく思う。人の面倒を見るのが好きだ。おせっかいだと疎まれる事もあるけれど。


 ふと、千春の声が聞こえた気がした。

 しばらく使われていない工場の前である。緑色の錆びついた鉄の門が半分開いている。立ち止まって耳をこらす。確かに、千春の小さな叫び声が聞こえる。

 なぜこんなところに……不思議に思って、門の隙間に身体を滑り込ませた。まだ明るい午後の時間、廃工場とはいえ、大通りに面している。怖くはなかった。

 建物の扉はしっかり閉まっていて入れそうにない。裏に回り込み、そこで、理央は信じられないものを見た。


 霧子が、千春に馬乗りになっている。拳を振り上げ、何回も何回も殴りつけている。

 千春の顔から血しぶきが飛び、霧子の顔や服を赤く染めている。

 霧子とは、先ほど別れたばかりだ。確かに彼女から千春のスマホを受け取った。彼女は公園にいたはずだ。

 いや、霧子ではないのかもしれない。俯いて殴っているので、表情がよく見えないが、霧子のはずがない。服装は同じような気がするし、とてもよく似ているが。

 千春は気を失っているのか、声も出さず、ぐったりと目を閉じている。鼻と口から相当な量の血が流れ出している。明らかにまずい状況だ。止めなくちゃ、と、一歩踏み出した。

 千春を殴っていた女が、突然顔を上げる。殴っている手を止め、じっとこちらを見ている。燃えるような、強い意志を持った目で。

 霧子だ。間違いなく霧子だ。どうして。

 理央の足は、固まったように動かない。足元からゾクゾクと冷たいものが立ち上ってくる。霧子の目から逃れられない。魅入られたように、目を離す事ができない。

 霧子が、跨っていた千春の身体から、ゆっくりと立ち上がる。

 口元だけ微笑んでいるように見えるが、目は爛々と光り、獲物を捕らえる猛獣を思わせた。一歩、二歩、ゆらりゆらりと理央に向かってくる。理央の足は動かない。動かそうという意思もない。夢でも見ているように、ただ霧子を見ていた。

 霧子は理央の眼前まで迫る。しかし、その目は理央を見ていない。理央のすぐ後ろを見ている。

 理央は、思わず後ろを振り返る。そこには、怯えた目をした、もう一人の霧子が立っていた。理央と同じように恐怖に目を見開いて、眼前の霧子を見つめている。

「ああ、霧子ちゃん、そこにいたのか」と、理央は思った。

 それは、まぎれもない、理央が知っている霧子だったから。少し猫背で、怯えた小動物を思わせる霧子。それが理央の知っている霧子だから。

 そうだ、霧子ちゃんはあんな目をしていない。人を殴ったりもしない。争うのが嫌いなおとなしい子だ。

 じゃあ、あれは、あの霧子はいったい誰だ。


 正体不明の霧子のような女は、怯え切っている霧子の目の前で、煙のようにスッと消えた。

 えっ、と、理央が本物の霧子と目を合わせた瞬間、霧子の身体が地面に崩れ落ちた。

 いったい何が起こっているのか。

 血濡れで横たわっている千春と、倒れて動かない霧子。

 理央は混乱し、ただただその場に立ち尽くしている。

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