第4話 非凡なる雑草

日は昇った。


闇は、もうない。




しかし、男は未だ恐怖する。


先刻から戸を叩き、中で閉じこもる息子を引きずりだそうとする母の怒号に。


ではない。


布団に身を包み、ダンゴムシの如く体を丸め。


又、それは期が熟すのを待つ蛹の様。


だが、期が熟すこともなければ、羽化することもなく。


感じ取れる全てを遮断し。


現在のこの男こそ、とびお改め、とばないおである。


静かに体を震わせる蛹の夜は、日が昇ってなお明けていなかった。




(なんだよ、あれ…)


今も、夢だったのではないかと、そう祈って。


これだけは、であることを、ひたすら願っていた。






眠り姫改め、とびお改め、蛹改め、もとい男------宇ノ 廻。


彼を語るならば、表すならば、『非凡』であろう。




まだ、廻が乳飲み子であったときのこと。


母に抱かれ、乳を吸う赤子。


たまに、虚空に向かい、何かを掃うような動作をして、やがて泣き出す。


特段不思議なことではないだろう。




ある程度成長し、たどたどしくも喋れるようになった廻。


空を指す。


「ちょうちょいもむし」


と呟く子。


母は浮かんでいた雲をそう見立てたのか、子供なりに想像力をはたらかせたのだと、すくすくと育っている我が子のわんぱくぶりに喜んでいた。


実際は違う。


幼子の目には、確かに羽を生やした幼虫という、成体なのか幼体なのか判別できない何かが飛翔している姿が映っていた。




そこから、自身の異常性に気づいたのは、保育園に通っていたときのことだ。


読み聞かせの時間、絵本に登場する顔がついたひまわり。


子供達が熱心に、楽しそうに聞いている中、廻だけはそれと違った。


「これ見たことあるよ!お花畑を歩いてる!」


「お花が歩いたり、お話できるわけないじゃん!」


「絶対見たもん!」


だったらと、子供達は園内の花壇へ行くが、当然、歩くひまわりなんてものは見つかるわけもなく。


廻はそこにいると主張を続けるが、他人からすればそれは、ただ虚言を振り撒くだけの存在。


空想を押し付けているに過ぎない。


「こら、廻君、嘘はよくないでしょ!」






廻は理解した。自分と同じ世界にいる人間などいないのだと。


ないものをあると言い張る、従者のいない裸の王様。


異常な行動をし続ける廻。周囲は当然距離をとった。




-----自分以外が、おかしいんだ。


彼は自ら人との関わりを避け、諦め、孤立した。


小中と場所は変わっても、彼のあり方は変わらない。


空虚に驚き、笑い、泣き、転んで、逃げて。


彼を理解するものは現れなかった。


虐めようという動きこそなかったが、人間関係も一切構築できなかった。


気味が悪い、と。






中三の秋。


廻が家に帰ると、げっそりとした表情で、日も沈まぬ時刻に酒に溺れていた。


母は廻に謝罪する。


孤独であり続ける今の廻を作り出してしまったのは自分だと。


何かを抱えさせて生んでしまった私は、罪な母だと。




母までもが、自分を否定するのか。


そうなって始めて、自分が”間違った側”にいるのだと思った。


自分の数少ない関わりである大切な人を、こんなに追い込んでいるのは誰だ。


己に問い続ける廻は、ひとつの結論に辿り着く。




簡単なことだ。自分が皆にあわせていればいいのだ。


そうすれば、少なくとも一人、救われる人がいる。




廻は、周囲に合わせるようになった。


見えていないのなら見ない。


聞こえていないのなら聞こえない。


線引きは難しかったが、それでも、異常性を抑えて、人と向き合うことを選んだ。


結局、廻の過去を知る者によって、それは失敗に終わってしまったが。


自分を知るものがいない高校でなら、今度こそ心機一転してやり直せるのではないか。


一から積み上げることができることが叶うならと、廻は高校デビューにこだわっている。


なるべく自分の感じるものを表にださぬよう心がけようと意気込んでいた矢先、あんな事件があって、不安を感じていたが、その程度で折れるほど、廻の決意は、後悔は軽くない。




現在の彼は、それすら投げ出しそうなほどに動揺し、衰弱している。


あれは、廻にとってそれほどまでに大きな出来事だったと言える。






----------


昨晩の出来事が、俺の頭をおかしくしている。


幾度のフラッシュバック、その都度吐き気と震えを押さえ込んで。


夢だったらと、何度思ったことか。


両肩にあるシャツのしわがそれを否定してくる。


妄想もついにここまできたか。


頭ぶつけたしな、思いっきり。




あれは間違いなく人間だった。


人の言葉で話し、俺の体に触れた。


今まで、こんなことは起きなかった。


どんな形をしようが、やつらは俺に触れられないし、話しかけることはなかった。


だからこそ、やつらを無視することができてきた。


そう思う。


だからこそ、人となんら変わらない昨日の老人が見えてしまったことが恐ろしかった。


話しかけてきたら、触れてきたら、俺は無視できる気がしない。


現実か、そちら側か、瞬時に判別できる気がしない。


現に老人がそういう存在だと、あの時はなかなか気付けなかった。


見えるものが増えた、それだけのことかもしれない。


しかし、俺からしてみればこんなものは呪いでしかなく、強まってしまったのだ。


外が怖い。周りが怖い。


それに話しかける自分、その光景に指を差す他人。


繰り返してしまうことを恐れて、俺は塞ぎ込む。




二日経過したが、少し冷静になれた。


ただ一人、こんなところでずっといるていうのは、正しいことではない気がする。


俺が孤立することぐらい、引きこもることは母を傷つけるのではないだろうか。


泣いた母の顔を思い出し、このままじゃ駄目だと思った。


まだ怖い。一人になるかもしれない。


それでも立ち上がらなければならない。


ここで立ち止まったら、前に逆戻りするどころか、もっと悲惨なことになる。


震えは、収まった。


そろそろ羽化しようぜ、俺。






たくさん失敗してきたけど、ひとつだけ自慢できることがある。


あれに比べればって、倒れやすいけど起きやすいってことだ。


この精神だけは、絶対に腐らない。






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