第23話 聞きたくなかった
倒れ伏したシンの視界の端に出入口が映った。
小柄な男が無感動な面持ちで現れた。右手はそれ自体が細長く尖り、指はない。群青色の剣が腕と同化しているかのようだ。
にごった蒼い瞳がぼんやり輝いている。その色は、今しがた至近距離で見た狐面と同じだった。
「ラ……ンツ……」
シンは絞り出すように言った。喉奥を何かがどろりと上がってくる。たまらずせき込むと真っ赤な血が口から飛散し、床を濡らした。
ランツの表情に動揺はなかった。哀れみも、罪悪感もすべてをどこかで失ったかのようにただ顛末を眺めていた。
何も言わず、狐面に近づく彼に、シンは途切れ途切れに訊いた。
「お前は……リデッドか……カル……エッタはどう……した?」
認めたくはなかった。
ここまで行動を共にしてきた男がリデッドとは。
ランツの右腕が年相応の少年の腕へと戻っていく。真っ赤に染まった手先はシンの血液に違いない。
「彼女にも手を……かけたか……」
怒りを込めた言葉にも、目の前の色付きのリデッドは眉一つ動かさない。
シンは唇を噛みしめた。
すると――
「それは違います」
聞きなれた女性の声が同じ出入口から聞こえた。
シンが驚愕の想いで首だけ動かし視線を向けた。
ランツと同じ色の瞳を持つカルエッタが、厳しい表情で見下ろしていた。
「そうか……」
シンは言葉を失った。
ランツと行動を共にしているのだ。当然、こういう可能性もあり得た。考えないようにしていただけだ。どうしても信じたくはない。
深いため息をつくと、唇から真っ赤な血が流れた。
残された時間は長くない。活性化した肉体が徐々に冷えていく。
情報だけ手に入れて、あとは任せよう。
そんなあきらめの境地にあった。
「いつからだ?」
「最初からです」
カルエッタはきっぱりと言い切った。ランツの方を一瞥し、狐面に視線を送る。その顔には明らかな憧憬があった。潤んだ瞳は、目の前の存在を心の底から受け入れるように優しい。
シンに向けられるものとはまったく違う。
「仮の姿か……」
シンは皮肉げに笑みを浮かべた。
擬態できるリデッドは珍しくない。『宮殿』には様々な種類のリデッドがいる。
姿を消せるもの、他者をのっとるもの、人間に興味を持たずにリデッドだけを喰らうもの。
例をあげればきりがない。
その中には擬態するリデッドもいる。『上級』の『宮殿』に踏み込んだ経験を持つ『探索者』であれば、誰でも出会ったことがあるだろう。
やってきた『探索者』の姿を写し取ることもあれば、他のリデッドに化けることもある。
けれど、擬態能力は脅威ではない。
色で見分けがつくからだ。くすんだ色に黒いローブ。せいぜい装備に灰色が加わるくらいだ。
シンはランツとカルエッタをじっと見つめる。
二人はどこから見ても人間だ。
青白くも黒ずんでもいない血色の良い肌の色。髪は艶のある紺色。首も指先も衣服も、何もかもが自然だ。
唯一違うのは瞳。
顔をまじまじと見なかったシンは、どんな色だったか記憶していない。それでも、薄ぼんやりと光を放つ蒼ではなかった。
カルエッタがまぶたを伏せた。
「案内には感謝しています」
「……皮肉まで言えるリデッドとは」
「私たちは、街の中央にそびえる塔に惹かれて、ここに来ました。なぜかはわかりません……呼ばれているような気がするのです。ですが、途中で何か新しい気配に誘われ、森に入りました」
シンは薄れゆく意識の中で、カルエッタの言葉を耳にする。
言葉を信じるとするならば、カルエッタとランツは違う街からやってきた。原因はわからないものの、森に入り――リーン=ナーグマンと出会った。
そして、彼に連れられ北ギルドにやってきた。
「一度、塔に入ってみたかった」
「無理だ」
「そう……あなたが止めて、ここに連れてきた。それも運命。結果、より強い上位種に出会った。身を任せましょう。そうしなければならない。彼なら、いずれすべての人間を超える」
カルエッタはそう言って、狐面を一瞥してからシンに手を向けた。
ランツが無表情で近づき右腕を伸ばす。瞬く間に細かった腕が研ぎ澄まされ、群青色の刃に変わった。
「戦い方、とても参考になりました」
「そこまでいくと笑えないな」
ランツが進み出る。
シンがわずかに身じろぎする。
カルエッタがランツを止めた。
「やめなさい。近づくのを待っているかもしれません」
カルエッタの手の平に輝く刃が浮かんだ。D
シンは歯がみする。
近づいてきたら、最後の力を振り絞って強烈な一撃――『武曲』を見舞ってやろうと考えていた。
まったく油断しない彼女に賛辞を送ってやりたい気分だった。
「同じ日に『色付き』三体と出会うとは。運がない」
「幸運とも言えます。では――さようなら」
カルエッタが魔法を放つ。派手さもないただの低級魔法だ。しかしそれはほぼ動けないシンには致命傷となる。
さらに戦闘態勢のランツと単独でシンを上回る仮面型がいて勝機はなかった。
だから、彼以上の仲間の助けが必要だったのだ――
そして、男は前触れなくやってきた。
「――シンは殺させない」
強い言葉とともに、シンと飛来する《光の刃》の間に薄い膜が現れた。幾層にも重なったそれは、カルエッタの魔法も、同時に跳びかかろうとしたランツの刃もまとめて止めた。
足音が鳴る。
黒い衣装に身を包んだ男が姿を現した。
シンが小さく息を吐いた。心の底から脱力したような表情だった。
「リーン……さん……」
「待たせてごめんよ。二人を任せて悪かった。《治癒(キュア)》」
あっけにとられるカルエッタたちを見ることなく、強化服を着たリーンがシンに手を当てた。
一瞬の内にまばゆい光が明滅し、シンが安堵した顔を浮かべる。
「助かりました。なぜ、ここに?」
「メイナの入れ知恵のおかげさ」
「ギルドマスターの?」
「他にも理由はあるけどね。まあ――」
リーンはそう言って、シンの腕を引いた。
立ち上がったシンの体の傷が消えていた。
「この結果にはなってほしくなかった、と思う。僕は『覚醒者』の可能性に期待する人間だからね」
リーンが手を差し伸ばした。
その視線の先には、彼を警戒するカルエッタ。
「まだ間に合う。君は、そこの狐面に悪い影響を受けただけだ。ランツはシンを傷つけたからダメだけど、カルエッタ――君はまだ戻れる」
「……何を言ってるのかわかりません」
「わかるはずさ。君ほどの『覚醒者』なら、自分の中に起きた現象が理解できるはず」
「……私は……もう受け入れました」
「狐面を信じて、身を任せるのかい?」
「そうしなければならないのです」
「思い込みだとは思わないのかい? 『覚醒者』はより強いリデッドに惹かれるだけだよ」
「選んだのです」
「そうか……もう、魅了されたんだね」
リーンは悲しげに眉を寄せた。
そして、次の瞬間にうすく微笑を浮かべた。
「それなら覚悟しろ。自制も反省もできない『覚醒者』は人間に害しか与えない。北のギルド長として、探索者を守る者として――職務を遂行する」
リーンの周囲に、発光する魔力の塊が浮かんだ。
三体のリデッドが恐れるように飛び退いた。
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