第21話 戴冠式

 『宮殿』内はリデッドであふれていた。細い通路も広い部屋も、分け隔てなくリデッドたちがひしめき合っていた。

 混乱しているようにも慌てているようにも見える、秩序のない動き。群れとなって探索者たちを襲うリデッドを知るシンは不吉な予感を禁じえなかった。


「『貧狼』(とんろう)」


 数少ない敵意をあらわにして向かってくる者に、《体術》を使用する。

 大きく右足を踏み込み、拳を立てたまま真っ直ぐ突いた。崩拳と呼ばれる技に似ている。リデッドに接する瞬間、シンは魔力を解放する。

 A級パーティに属する者の暴力的なまでの一撃。吹き荒れる魔力がリデッドを粉砕する。

 低いうめき声とともに、数匹の群れが塵となって消えた。

 カランという魔核が落ちる音に耳を貸さず、シンは団子状態のリデッドを蹴散らしていく。

 数秒の間に蠢いていたリデッドが壊滅した。

 ――この程度なら。

 シンはようやく通れるようになった通路で、手招きする。

 目立たないように腰を落としたカルエッタとランツが一気に駆ける。


「お強いのですね」


 カルエッタの月並みな賛辞にシンは答えなかった。

 ようやく一階層から五階層まで上がってきた。『宮殿』の中心を貫く黒く巨大な『円柱』は積極的な動きを見せず、小休止しているかのようだ。

 これだけ時間が経っても大した敵はいない。

 本当なら喜ぶべきだろう。

 しかし、シンの心中は暗く重かった。

 中級者向けの『宮殿』にしては、出会う敵が弱いからだ。

 ギルドが決定する基準は決していい加減ではない。

『初級』、『中級』、『上級』――そして、危険すぎるために探索者の攻略を認めない、『禁止級』。

 シンは『中級』の『宮殿』を闊歩するリデッドたちを次々と思い出す。


「やはり変だ……」

「変?」


 たった今倒してきた敵はどれもがあっけなさすぎる。

 そこまで考えて、シンは首を振った。考えていても仕方ない。最優先でやるべきことは『宮殿』から抜け出し、二人を無事北ギルドに送り届けることだ。

 リーンに任された仕事だ。


「行きましょう。もう一階層昇れば到着します」

「はい……」



 ***



 この『宮殿』は第六階層が最上階だ。

 突き刺さった『円柱』を見ながら周回してきたシンの視線の先には、やや赤色に染まりはじめた空が見えた。稀に時間の感覚を狂わせる『宮殿』もあるが、ここはそういう仕掛けはない。単純に同行者を優先して時間がかかったのだ。

 頂上に位置する大部屋が最後だった。

 第六階層は首をかしげるほどにリデッドの姿を見かけなかった。

 一階層から五階層までかなりの魔力を消費していたシンは、顔には出さずとも疲労を蓄積していた。

 それだけに、何かあった時のためにと最後まで温存している魔力を消費しなくて済んだのは幸運と言えた。

 だが――

 そんなに『宮殿』は甘くはないと、シンは改めて思い知る。


「――ここに集まっていたのか」


 シンが苦々しげに口にした。

 大部屋の壊れた出入り口は、きっと逃げ出したリデッドたちによるものだ。

 壁に背を当て、再び中を覗き込み、長く深い息を吐いた。


「いるのですか?」

「静かに。下がって」


 続いて覗こうとしたカルエッタを止める。彼女は素人だ。視線を気取られる恐れがあった。

 シンは静かに目をつむった。

 目にした光景を頭の中で吟味していた。

 大部屋には中央でにらみ合うかのような大量のリデッドたち。

 左の列は見たことのない奇怪な顔つきの人狼型リデッド。右にはよく知る古参の巨猿型のリデッドたちが並んでいた。

 巨猿型のリデッドの強さはC級指定。人狼型は不明だ。

 最奥にはゴースト型のリデッドが倒れ重なった山がある。

 そして――

 その上に、狐の面をつけた背丈が子供ほどのリデッドが一匹。体は小さいものの、存在感は人狼型や巨猿型を遥かに上回っている。

 シンは思いもよらない光景に思わず唇を噛んだ。


「本当にいたのか」


 ――仮面に色がある。

 ゆっくりと目を見開いた。見間違いではない。狐面のリデッドの黒い仮面には、筆で引いたような鮮やかな黄色と青の線があった。

 シンは過去に出会った特徴的なリデッドを思い出す。仮面型のリデッドにも出会ったことはある。

 けれど、そのどれもがくすんだ黒色の肌にこげ茶色のローブ姿だった。

 ――色を持つリデッドがいたら逃げるんだ。

 リーン=ナーグマンの言葉が蘇る。

「なぜですか?」

「ん? 色を持つと極端に強くなるやつがいるからさ。全員じゃないけどね」

「『中級』で私が勝てないほどですか?」

「一対一ではしんどいリデッドもいるかな」

 冗談だろうと思っていた。くすんだ世界の『宮殿』に、色を持つリデッドがいるなどとは思っていなかった。

 しかし、それは目の前に確かに存在する。

 シンは大きく息を吸った。

 窮地だ。カルエッタとランツは戦力にはならないだろう。

 だが、リーンとの話で事前に心構えができた。ありがたいと思わなければならない。

 今から戦う敵は、『中級』の『宮殿』で出会うリデッドたちとは一線を画すと思っておけば良いのだ。

 時間をかけず一気に近づいて始末する。

 幸い、シンの目測では勝てないほどではない。『上級』の『宮殿』で出会う敵には狐面を上回る者もいる。


「蹴散らします。お二人はここから動かないように」

「加勢します」

「お気持ちだけ。あなたがたでどうにかなる敵ではありません」


 よく知るC級指定の巨猿型でも、二人の力ではしんどいだろう。

 シンはカルエッタとの話を打ち切り集中力を高める。

 その瞬間だった。

 癇に障る悲鳴が耳鳴りのように耳朶をなぶった。

 シンが慌てて覗き込む。視線の先で、五匹の巨猿型が狐面に近づいてひざまずいた。その中央の大きな一匹が、煌びやかな銀色の王冠を持っている。


「なにを?」


 人狼型が一匹動いた。巨猿型が持つ王冠を受け取ると、主にするように恭しく狐面に差し出した。

 王と家来と人民。

 シンはリデッドが人間の戴冠式の真似事をしているのだと直感する。

 狐面は興味なさそうな態度で、王冠をつま先で引っかけた。ぶらぶらと揺らし、足でもてあそんだ。

 人狼型が「それは違う」と言わんばかりに、頭に乗せる動作をとった。

 その瞬間――人狼型の上半身が消えた。

 シンは一部始終を見ていた。狐面の細い腕がみるみる大蛇のように変形し、人狼型の頭からかぶりついたのだ。

 にぶい咀嚼音がシンの下まで響いてきた。

 狐面が立ち上がる。死屍累々のゴースト型リデッドをじゅくじゅくと踏み潰しながら、並んだ巨猿型の前に立った。

 睥睨するような動きが、小さな暴君のようだ。

 そして、またも巨猿型が消えた。狐面の腕が丸飲みしたのだ。

 魔力が一気に膨れ上がった。さっきまでの比ではない。


「ァァァァァアアアアアアアアアアアッッッッッ!」


 狐面が絶叫した。

 壁越しに圧倒的な魔力が吹き荒れる。威圧感が数段増し、大部屋に恐ろしいほどの魔力が満ちた。

 化け物め。

 シンは心の中で毒づいた。

 人間がその領域にたどり着くまでどれほどの時間を必要とすると思っているのだ。リデッドを数匹喰っただけで強くなれるだと。


「絶対に動かないように」


 シンはそれだけ言い残して飛び出した。

 狐面がこれ以上強くなる事態だけは避けるために。

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