第19話 来客はリボンを乗せた

 三人が揃って倒れ込んだタイミングだった。

 受付窓口と連動している呼び鈴が、だだっ広い訓練場内に小さな音を鳴らした。受付に職員が座っている時には切っているのだが、今は無人だ。

 ギルドの受付に誰もいない時間があるのはいけません、と本部から何度か業務改善勧告も受けているが、大して業務に支障がないので気にしていない。というか、少数職員の北ギルドで四六時中、人をはりつけるのは無理だ。

 『宮殿』に挑戦した探索者の帰りが深夜になることは珍しくないし、行方不明のパーティを探しに向かわなければならないこともある。


「リーン、客か? めずらしいな。まさか探索者か?」

「まさか。ここ北ギルドだよ?」


 ありえないと、僕は首を振った。

 振ってから、これを言い切ってしまう僕はダメだなと反省する。

 ダルスが黒焦げになって倒れている三人組のそばにしゃがみこむ。一番大きなリーダー格を一息に抱え上げ、


「こいつらは目覚めるまで医務室に連れていく」


 と、億劫そうに言った。


「あれ? 彼、今日、出てきてたっけ?」

「いや。けど、薬はある。どれかぶっかけりゃ目を覚ますだろ」

「ダルス……もしかして、ちょっとだけ三人組を心配してる?」

「し、心配してねえよ! ただ……、しばらく力を使ってなかったから、手加減はうまくいったか気になるだけだ」


 それを心配というのだ。

 僕はくすりと笑って「任せる」と告げた。


「なら、客対応は僕だね。エリーナが戻ってきてくれたら……って、呼び鈴が鳴る時点で、それはないか」

「そういうことだ。もし探索者だったら待たせてくれ。こいつらを片づけたら、俺が相手する。北ギルドにふさわしいやつかをな」

「了解。じゃあ、またあとで」



 ***



 階段を昇って、受付窓口へ。

 本当に不用心な建物だと思う。ダルスやシンは大丈夫だが、せめて事務職だけになってしまう時間はなんとかしないといけない。

 モンスターが乱入することはないにしても、犯罪者や探索者崩れはどこにでもいる。ギルドに貴重なヘリテージがたくさん保管されていると考える者もいる。

 この状態ではメイナから何度も業務改善命令をくらうし、職員が不安がってしまう。

 危険な職場なので辞めます――と一人が声をあげたら、連鎖的に何人も辞めてしまう予感がする。

 そう考えると、自分が退職願いを出していると知っても辞めない職員たちは、何を考えているのだろう。


「ごめんね。お待たせしました――北ギルドに……え?」

「ご、ご機嫌うるわしゅうで、です」

「マニュー…………だよね?」

「マニュー…………なのです」


 受付カウンターに、小柄な少女が座っていた。座っていると顔しか見えない。

 薄水色の髪に同色の透き通る瞳。間違いなく西ギルドの副官マニュー=ヘクトール。西ギルド長ガンダリアンの娘だ。僕のよく知る人物でもある。

 カウンターを回り込む。

 固い表情のまま、ぎこちない動作で立ち上がったマニューは、なぜかその場で両膝を曲げて屈伸の途中のようなポーズをとって、明るい白色のスカートの両端をちょんと摘まんで持ち上げた。

 そして、邪悪な笑みを浮かべ、不自然な猫背になりながら言う。下から覗き込む瞳が獲物を狙うように吊り上がる。


「来てあげた……です」

「あっ、……うん。北ギルドにようこそ」


 僕は引きつった愛想笑いを浮かべて、「まあ座ったら」と奥のテーブルを示した。

 ほっとした様子のマニューが膝を伸ばして背筋を立てた。途端に凛々しい立ち姿に変わった。ガンダリアンに鍛えられた彼女は、武人の立ち居振る舞いが自然と身についている。背の伸ばし方がそっくりだ。僕のようなナチュラルな猫背からするとうらやましい。

 だからこそ――

 そんなマニューが、ふわふわした白いドレスを着て、スカート部分をわざわざ持ち上げるという暴挙に出たことが不気味でならない。

 何を考えている?

 彼女の年齢になれば、さすがに自分でも違和感を覚えるはずだ。上流階級の一桁台の年齢の子供が着るようなドレス。他人からどう見えるかを少しは気にするはずだ。

 何年か前に西ギルドのマスコットとして可愛がられた自分を真似ているのか。

 何のために? さすがに無理がある。服も小さく見える。

 普段の彼女を知る僕には不気味すぎる。


 ――まだ、『警報』鳴ってないよな? 三人組とのごたごたで聞き逃したか?


 スカートの下に武器を隠しているとか。油断させておいて、奇襲をしかけるつもりだろうか。

 何度も何度も無茶な理屈をつけて強襲されてきた日常を思い出す。

 自然と手が首輪型ヘリテージに触れた。どうしようかと迷ってから、小声でつぶやいた。


「『追加する暴力(アド・ヴァイオレンス)』設定変更。カウント5」


 首輪がじんわり熱を帯びた。対策はとった。

 今日は厄日だが、カウント5もあれば十分だろう。

 マニューもさすがに致死攻撃はしかけてこないはず。けど、口調は明らかにおかしい。怒りを抑えるために、わざとやっていると考えるべきだ。彼女は不機嫌になればなるほど言葉遣いが変化していく。いや、もう手遅れか?

 心中の葛藤を表情に出さず、僕は彼女のために手前の椅子を引いてから、対面に座る。

 ポーカーフェイトを崩さずに。警戒を解かずに。いつでも逃げ出せるように。


「マニュー、ひさしぶりだね」

「ひさしゅうです」

「最近、そっちに行けてなくてごめんね。ガンダリアンには何度か声をかけられていたんだけど、色々と慌ただしくて」

「……ぜんっぜん、気にしてないです。こなくていいのです」

「そ、そう……」

「はいです」


 会話が途切れた。

 マニューはまったく目を合わさない。かと言って、きょろきょろと見回すこともない。同じ構造の建物だから当たり前か。

 むっつりと口を引き結んだ彼女は、頑なにしゃべろうとしない。イライラしているようにも見える。

 と、その瞬間、僕は天啓のようにひらめいた。

 おもてなしができていないからか、と。

 そそくさと立ち上がる。マニューの瞳がぎらりと光ったような気がした。


「マニュー、今日、ダルスがお茶を手に入れてくれたんだよ。とても美味しいから、入れるね。ちょっと苦いけどマニューならもう美味しいと思えるはず」


 身じろぎした気配だけで、返事はなかった。でも、無言の時の彼女は大丈夫だ。怒ると戦闘に移行するので、今の言葉は大成功だ。

 カウンター奥のお客様用の食糧品倉庫を漁る。見事に何もない。ふと一番左端に大きな木箱があるのに気づいた。嬉々として中をのぞきこむ。

 ――全部、お茶パックだ。

 ダルス、どれだけもらってきたんだ。裏通りのおばあちゃん大丈夫だろうか。

 気を取り直し、お茶パックをポットに放り込んで、湯を温める。湯気が出始めたころ合いを見計らって注ぐ。

 ポット内に透明感のある緑色が広がり、香りが漂った。

 うん、いいできだ。

 残りのお湯でカップを温め、二人分を注いで運ぶ。


「待たせたね」

「ありがとう」

「どういたしまして」


 にっこり笑うマニューの顔は自然体だ。僕の記憶の中で薄れていた小さなころの姿が見られてうれしくなる。

 でも、わけがわからない。用事があったんじゃないのだろうか。

 とりあえずお茶を飲ませて帰らせよう。ガンダリアンに連絡を取った方がいいかもしれない。

 口に出せない話――親子喧嘩かもしれない。


「そういえば、マニューが北ギルドに来たのは初めてだね」

「うん……」

「いつもは――」


 王都の外だから――という言葉をすんでで喉の奥に戻した。

 外で会う時は、マニューがほぼ突っかかってくる。せっかく機嫌が良さそうな彼女に思い起こさせることもない。


「……もっと、凛々しい格好だから、今日の衣装にはびっくりした」

「ど……どうかな? リーンから見てどんな感じに見える?」


 彼女が真摯な表情で身を乗り出した。

 僕は内心で焦りながら、カップの取っ手を持ち口に運んだ。ゆっくりと一口、そして、さらにのんびり二口。

 なぜかここが分岐点になるような気がして仕方ない。

 答えを待つマニューが、はらはらした顔つきに変わっていく。気づかれないようにカップ越しに盗み見て、僕は一生懸命考える。

 顔つき、やってきたタイミング、衣装、言葉遣い。

 考えに考えて――

 二つの選択肢を見出した。

 どちらを口に出すか、しかし結論は出ない。


 ――《思考》クリティカルが発生しました。


 聞きなれた音声とともに、突然、頭の中でクリアになった。悩んでいたのが嘘のようなひらめきが舞い降りた。思考が覚醒したと言ってもいい。

 クリティカルの中ではありがたい物の一つだ。

 タイミングに感謝して、僕は確信を込めて言った。


「とても可愛いよ」


 ぼっ、と火がついたようにマニューの顔が染まる。

 自信を得た僕は読み上げるように流ちょうに続けた。疑いは微塵もなかった。


「あの頃を思い出す。ちっちゃくて、純粋で、愛嬌を感じるしゃべり方――子供のころのマニューとなにも変わってない」


 僕はそう言って、カップをあおった。底にたまった粉が喉の奥に残って苦みを強く感じた。

 昔を懐かしむような気持ちで、カップをテーブルに置き、顔を上げた。

 ――色を失った少女がいた。


「マニュー?」

「こ……子供……ですで?」

「え? なんて?」

「エロスないで……です?」

「え? えろす? なんだって?」

「ちがう……です。まにゅー、ちがうです?」

「待って、待って! なんか勘違いしてるって! 僕はありのままに感じたことを言っただけだって。もう一度、もう一度ちゃんと聞いて!」


 マニューが壊れた人形のように、頭を上下に振った。

 僕は必死に言葉を重ねた。


「マニューは、いつまでも可愛いね、ってそう言ったんだ!」

「いつまで……変わらない、こども」

「待って、マニュー! 絶対、悪い癖が出てる! 思いこんじゃダメだ! 戻ってきてくれ!」


 ――《散策》クリティカルが発生しました。


 ああもう! うるさい!


「ちょっと、落ち着こうマニュー。あっ、そうだ!」


 僕は慌てて、カウンター前を通り抜け、備蓄庫に向かって戻ってきた。

 彼女が大好きなお菓子はちゃんと買ってある。近いうちに西ギルドに顔を出そうと思っていくらかはストックしておいたのだ。

 マニューはこれを食べれば落ち着く。


「ほら、マニュー、『ハッピーチョコレート』だよ! 今は増量中らしくて、三個おまけしてもらえたんだ! 今度、広場にピエロが来るイベントがあるらしくて、子供連れは無料なんだって! ガンダリアンに頼めば――」


 僕は必死だった。

 何かまずい場所に触れたのか、マニューの顔は真っ白だ。「なにを着てもエロスが」とわけのわからない言葉をつぶやいている。

 こんなに放心状態の姿は見たことがない。

 チョコレートで状況を打開しようとしたものの、逆効果だったようだ。

 マニューの目尻にうっすら涙が浮かんだ。

 おろおろし始めた僕は、どうしようかと周囲を見回した。

 と、視線の先に赤髪の男がいた。ダルスが三人組の運搬を終えて戻ってきたようだ。


「ダルス!」

「ああ? 客って、チビスケかよ」

「助かったよ! 僕がなんか悪い事言っちゃったみたいで……マニューが……」


 ダルスは放心状態のマニューを見下ろし、ぽんと肩に手を置いた。

 小柄な体がびくりと震えた。


「ガキが、ガキの衣装着て泣くのか?」


 ダルスは悪い大人を演じるように、にやあっと口を歪めた。

 マニューがふるふると震える。


「いいか、大人ってのは――」


 ダルスはそこまで言ってから、マニューの耳元に口を近づけ、二言三言つぶやいた。内容は聞き取れなかった。

 しかし、効果はてき面だった。

 真っ白だった顔は一気に朱色に染まり、潤んだ瞳を吊り上げて、がたんと立ち上がった。

 そして、目にも止まらぬ速さでダルスの頬をはたいた。


「そんな、はしたないこと、できるわけないですっ!」


 マニューはテーブルの上の『ハッピーチョコレート』の箱を乱暴に抱え、「もうぜったい、来ない!」と、肩をいからせてギルドハウスを出ていった。

 わけがわからない。

 マニューは一体、何をしにきたんだ?

 散歩途中に寄ったのか?

 それにしても――

 僕の《思考》クリティカルは、まったく役に立たない。発動した時には、これ以外の答えはないって思えるのに、うまくいった試しが少なすぎる。


 ――マニューにはちょっと子供っぽいかな。


 という二つ目の選択肢が正解だったのだろうか。

 けど、わざわざ子供のころの言葉遣いをするくらいだから、最初の台詞が正解のはずなんだけど。


「いてて……だんだん強くなってるな。さすがガンダリアンの娘だ」


 ダルスがほおをさすって、扉を見つめる。


「真っ赤だね」

「まだ避けられるが、そのうち無理になる。あれは強いわ」

「マニューに、何て言ったんだい?」

「決まってるだろ? 大人のなんとかだ。本人がぶつぶつ言ってただろ」

「ほどほどにしとかないと、ガンダリアンが来るよ?」

「いいじゃねえの。あいつとは一度やりあってみたいし」

「別に構わないけど、マニューをだしにするのだけはやめときなって。娘のことになると、ガンダリアンも人が変わるからさ」

「元はと言えば、リーンがおろおろしてるから俺が助けたんだろうが。ギルド長の格を下げんなよ」

「それには言い返す言葉がない。でもさ……マニューは特別なんだよ」

「知ってるさ。リーンが気にかける理由くらいはな。俺だってまったく鈍感ってわけじゃないからな。と――客だな」


 ダルスが視線を外に送る。

 そして肩をすくめて歩き出すと、カウンターに座った。

 と同時に、きいっと静かな音を立てて出入口の扉が開いた。小柄な少女――マニューではなく、メイナ=ローエンが立っていた。

 飄々とした雰囲気はなりを潜め、一転して危険な空気をまとっている。

 メイナは、開け放った扉の前に立って、重々しく言った。


「……リーン=ナーグマン。お主、一体、何をたくらんでおる。これは一体どういうことじゃ?」

「やっぱり『警報』はマニューじゃなかったね。さあ……僕が『視える』のは、運が良い時だけだからね。メイナと違って全部は把握できないさ。何かあったのかい?」

「白々しいのう」

「嘘は言ってないよ」


 メイナの鋭い視線を受け流し、僕は肩をすくめて奥の席を案内する。


「ダルス、悪いけどお茶を一人分頼めるかい?」

「了解、ギルド長」


 北ギルドの正規窓口職員は、何を聞くでもなく威勢良く返事をした。

 事件が始まろうとしていた。

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