第18話 北の秘密兵器 2
急に言われても困る。
僕は運頼みなので手加減ができない人間だ。それに、絶対にギルドハウスを破壊しないように、中では魔法などを使わない。こんなにしっかりした建物をもし破壊すれば、北ギルドは明日から掘っ立て小屋になるだろう。残念ながら、うちはお茶パックを買うお金すら切り詰めているくらいだ。
それどころか、本部に迷惑ばかりかけるので、北エリアのギルドが廃止される運命かもしれない。
昔、落ち目の西と問題児の北を引っつけようという案も本当にあったのだ。
本部職員が提案し、メイナが「あんぽんたんと災害をくっつけて……本当に大丈夫か?」と難色を示したことで、その場にいた全員が「確かに」と考え直したという。
ひどい話だ。
僕とガンダリアンを何だと思っているのだ。この職に指名したのはメイナだと言うのに。
「ダルス、残念だけど僕は非番なんだ」
「あれ? そうだっけ?」
「そうなんだよ。午前中からバタバタしてるけど」
「いつものことだろ?」
「まあ、そうなんだけど……ってそうじゃなくて、僕はこの非番をもってギルド長の職を解かれる予定なんだ」
「へえー」
僕は大きなため息をついて、ポケットから封筒を取りだした。
予備の退職願いだ。チャンスがあればメイナに渡せるように準備している。
僕のあとはダルス=ランバートに譲る、と書いてある。微々たる貯金の管理はエリーナ=ノンノートに。体術指南役にシン=ザルードを。北ギルド唯一のA級パーティをギルドハウスに住まわせ、タダで警備をさせるという裏技も考えた。退職後の体制はじっくり考えて結論を出したのだ。
退職願いを取りだし、しっかり広げ、しわを伸ばしてダルスに差し出す。
彼がはねた赤い前髪を軽く持ち上げた。
「ほんと、リーンも懲りないな。俺はやらねえって言ってるだろ? 俺はエリーナやシンみたいにまじめに仕事するタイプじゃねえんだ。適度にバカやって暴れるくらいがちょうどいい。責任者なんてまっぴらだ」
「いや、ダルスはギルド長にむいてるよ。人望も厚いし、顔も広い。騎士団にも一目置かれているから何か言える立場だ。それに比べて、僕と来たら――もうダメダメさ」
肩をすくめて泣きそうな顔を作る。
ダルスが腰に手を当てて胸をはった。にんまりと口端をあげて、僕を見下ろす。
「つまりあれだ――リーンと俺の望みが食い違ってるってやつだ」
「そうだ。話は僕とダルスで平行線だ。これ以上、話しても解決策は見いだせない」
「こういうときは――」
「そう、こういうときは――ギルド長の命令を使おう」
ギルドには完全な命令権が存在する。
緊急時には探索者にすら命令を下せる。職員同士ともなれば、きっちりとした上下関係があるのだ。
「ギルド運営法第三十条――」
「職務遂行にあたっては、上司の命に従うこと」
「さすが、ダルス」
「最初に嫌ってほど本部で聞かされるからな。あれは、ひどい研修だった。俺の人生の中で一、二位を争うほど苦痛だったぜ」
「そんなに? 僕はずっと目をあけて寝てたら、すぐ終わったよ」
「無駄に器用さを発揮するんじゃねえ。あの講師の精神魔法みたいな座学で何ともないのはギルド長くらいだ」
「そんなことないけどなあ……そういえば、僕の研修日はいつもグラウンドが慌ただしかったのを覚えてる」
「どうせ、また何か引き寄せてたんだろ?」
「たぶんね。あとでメイナに嫌みを言われたよ」
「怒ったババアの顔が目に浮かぶぜ」
ダルスがこらえきれないとばかりに、小さな笑いをかみ殺す。
ギルド職員には誰でもなれるわけじゃない。その役職にはその役職の研修がある。ギルド長の研修もそうだ。候補者が少ないので、他国や他都市のギルドの人間も全員集めて一時期に行われるが、二週間も研修施設に閉じ込められれば嫌になる。
僕は特に『宮殿鬼ごっこ』という名のデスゲームが記憶に残っている。ちなみに座学はさっぱり覚えていない。
「貴殿ら……御託はいい。いつになったら、戦うのだ?」
僕らが談笑していると、三人組のリーダー格の男がむっとした顔で言った。
ごめん、ほんとに忘れてた。
「わりい、そういや話の途中だったな」
ダルスが左肩をぐるぐると回して体をほぐす。
ギルド運営法第三十条は、ただの心構えみたいなものだ。破ろうと思えば破れるし、盾突こうと思えばいくらでも反抗できる。
納得いかないと意見がぶつかりあうことも多い。
だが、北ギルドの全員がその一線は守ってくれる。
頼りないギルド長を、優秀な部下たちが支えてくれるのだ。
「最強の男が相手するって話だが、あれは忘れろ」
「……なにぃ?」
「お前ら程度にギルド長が出るまでもないんだとよ」
そうは言ってない。
ダルスは口が悪いし、手も早い。
けど、大事な部分は間違えない。
「北ギルド長リーン=ナーグマン――ご命令は?」
「遊んであげて」
「了解。北で二番……いや、もしかすると三番かな? まあ、ダルス=ランバートが相手をしよう」
ダルスは大きく破顔した。
その瞬間、彼の体の周囲が真っ赤に染まった。
***
これで二番だと?
三人組のリーダー、イチダ=ゴウキは反射的に腰の剣に手をかけていた。
目の前のダルス=ランバートは炎蛇に呑み込まれていた。顔も手足も見えないほどの深く暗い炎だ。
名前は聞いたことがある。
――『炎遊』。
騎士団から北ギルドに入った変わり者だ。生まれつき体温が異常に高かった男は、とある戦闘をきっかけに覚醒したという。
貧乏な生まれで自分のスキルすら知らなかったらしい。「体が熱いから、ずっと動けるんだぜ」と自慢をする男は、体力以上に驚異的な力を持っていた。
一人でモンスターを屠り、時には他国に武者修行に出かけて探索者たちにケンカをしかけた。
だがある日、突如、ダルスの体を炎蛇が食い破って暴れまわる。散々暴れて周囲に甚大な被害を及ぼしたそうだ。炎蛇を抑えようとした騎士団は全員が重傷、近くの建物は全壊。ダルスの中の炎蛇は異常な強さだった。
そして、本人はというと、腕や足はおろか体のほとんどに穴が空いた状態で一年を病院で過ごす。さらに、晴れた日に体を起こして「さみぃ」とうわ言をつぶやいてから、死人のような状態で動かない期間が一年経過する。
最後は、炎蛇が前触れもなくダルスの下に戻ってきて、みるみる体が治癒し「腹が減った」と言って復活。
噂を調べれば調べるほど、どこまでが本当でどこからが尾ひれの部分なのかがわからない。
イチダは、そんな人間がいるはずがないと思っていた。
少数精鋭を貫くギルドの職員であるからには、それなりに強いのだろうとは思っていた。
しかし、実物を前にするとどうだろう。
北のギルド長に不合格の烙印を押された。二番目に強いダルス=ランバートが相手をするという屈辱を味わった。
今はそんなことは頭の片隅にもなかった。
――この男は強い。
己の肌身をびりびりと突き刺すような威圧感と、気を緩めれば一瞬にして呑まれそうな熱量が渦巻いている。
「どうした? 来ねえのか?」
ダルスはポケットに手を入れたまま一歩一歩近づいてくる。
イチダが握る剣の柄がじとりと汗で濡れた。イチダの剣は刀と呼ばれる業物だ。反りの入った刃は何人をも切り裂く。たとえ格上の敵であろうと、一刀の切れ味は誰にも負けないと自負している。
しかし、目の前の『炎遊』はそんなちっぽけな自負を粉々に打ち砕く。
左足がひとりでに距離を取った。引きずられるように右足が続く。
「力の差がわかるなら、ありがたいな。しばらく炎を使ってないから、お前に向けるのちょっぴり不安なんだ」
「……なぜ、我らを不合格にした?」
「ん? そうだな……俺が、お前らを不合格にした理由は二つある」
ダルスは決死の覚悟で間合いを計るイチダを警戒することなく、ゆっくりと距離を詰めた。
背後で二人の息を呑む音が聞こえた。矢面に立っていないとはいえ、この圧倒的な力の差は感じているだろう。
「探索者ってのは、『宮殿』に入る生き物だ。お前らさ――全員、薄着すぎるんだわ。どこの国の服だ、それ。防御効果がなんにもついてない服だろ? 即死ぬぞ。せめて、そこらの店で一通りの耐性は揃えてこいって。北ならガルン爺ってやつがやってる店をすすめる」
「……それが、合格するための条件か」
「もう一つある」
「……聞かせてもらおう」
「俺は――お前らの髪型が気に入らねえ」
「……今、なんと?」
「だから、前髪を下ろして来いって言ったんだ。なんだお前の前髪は。俺とむちゃくちゃかぶってるだろうが! そんなもんで俺に盾突こうなんて百年早いんだよ! 北ギルドで目立とうとか思ってやがるんだろうが!」
「……失敬な! こ、これは、我らのポリシーだ! 髪型をとやかく言われる筋合いなどないわ!」
ダルスの顔がみるみる歪む。「あっ、そう」という低いつぶやき。
イチダの顔がさあっと青ざめた。
「じゃあ、死ね」
だだっ広い訓練場に、無慈悲な高熱の嵐が吹き荒れた。
絶妙に手加減された炎はイチダたちの衣服を使えないほどに黒焦げにしたが、彼らが拠り所としている刀には傷一つつけなかった。
ダルスは圧倒的な炎に巻かれて硬直する男たちの背後に回り、軽く意識を刈り終えると、気だるそうに首の後ろに手を当てた。
「構えは良かった。南か東に入れば探索者としてはいい線いくんじゃねえの? 北にはいらないけどな」
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