第17話 北の秘密兵器
見慣れた建物が見えてきた。横長で窓ガラスの多い開放的な造り。壁が灰色なので遠目には目立たないが、あれが北ギルドの本拠地、ギルドハウスだ。
通りとは反対側に後付けのエレベーターまで備えた地下室ありの豪華仕様。普通の家では、考えられない贅沢さなのだ。
だが、悲しいことに北ギルドには職員が少ない。メイナにも確認したことがあるが、南、東、西――そしてダントツびりの北らしい。
ちなみに、職員に限らず、
所属『探索者』数、ダントツびり。
年間獲得ヘリテージ数、ダントツびり。
年間配当予算、ダントツびり。
ギルドへの総合貢献度、四ギルドの中で唯一のマイナス――つまり逆に手がかかると思われているらしい。
ギルドへの貢献度は僕がとある時期に思いっきりマイナス点を稼いでしまったので仕方ないが、所属『探索者』数さえ増えれば、ヘリテージや予算はいずれ戻るはずだ。
まあ、こっちが望んでもエリアに『宮殿』が増えない限りは所属『探索者』が急に増えるということはないが。
西ギルドのマスコット――マニュー=ヘクトール――のような人気者が現れれば一時的に増えるかもしれない。でも、マニューの成長と共に彼女目当ての『探索者』は減ってしまったし、長続きはしないだろう。
一応、エリーナともう一人の綺麗どころはいるが、二人とも揃って事務職なので、基本的に窓口受付はしないので意味がない。
二人とも人がいない時は気を利かせてカウンターに座ってくれるものの、むしろ止めないと僕が怒られるのだ。
たまにギルド本部の事務職さんが探索者を装ってお忍びで監査に来る。
そして、ある日突然『事務改善命令』という名のお手紙が届くのだ。厳めしい封筒を開けると、真っ赤な字でこう書いてある。
――事務員は戦えない職員です。探索者の暴力を受ける可能性がある窓口事務には従事させないように。メイナ=ローエン――と。
いやいや、あなた、うちの実状を知ってるでしょう、と抗議の声をあげても無駄だ。
罰として『探索者』の募集を一カ月禁じます――と、一方的に裁決が下される。反論する機会もない。
そもそも募集しても人が来ない北ギルドには何の効果もない裁決だが。
人集め競争をしている南と東とは違うのだ。
そして、一カ月後に「反省しました。リーン=ナーグマン」と手紙を送って終わるのだ。ちなみに、封筒には反省文に加えて、
――責任を取って退職します。リーン=ナーグマン
と書いた手紙もセットにしているが、その点について質問がとんできたことはない。もしかしたら、メイナ以外にも退職願の常習犯だと思われているかもしれない。
「そもそも、受付に強い人を座らせるって決めるのは勝手だけどさ……向き不向きはあるんだよね」
扉をぎいっと押し開ける。ふわりとお茶の香りが鼻孔をくすぐった。
それに誘われるように、はあ、とため息をついて顔を上げると、北ギルドで唯一の正規受付が背を向けていたところだった。
真っ赤な髪。サイドは薄く刈り上げ、後ろは比較的長め。ボリューミーな頭頂部から前髪にかけてはなかなかのカーブを描いている。
あからさまな筋肉質ではないものの、鍛え上げられた肢体は半そでのシャツを内から押し上げている。分厚い板のような胸板だ。
――ダルス=ランバート。元第六騎士団副団長にして、現北ギルドの秘密兵器だ。
凛々しい顔つきの男は白い歯をのぞかせる。
「よう、リーン。帰ってきたか。ちょうど茶を飲もうと思って入れたところだ。お前もどうだ?」
「……いただくよ。ダルス、お茶のパックを手に入れてくれたんだね。もしかして、前に僕が言ったせいならごめん」
ダルスが眉を寄せて嫌そうな顔で言う。
「はあ? 別にリーンのためじゃねえよ。俺が茶を飲みたいからもらってきたんだ。エリーナも喜ぶだろうと思ってな」
「そうか……僕の早とちりか」
「……早とちりって、わけでもねえぞ。そう……俺が、茶を飲みたいと思ったのはリーンの話を聞いたからだ。そういう意味では、リーンがスタートとも言えるな」
そう言ったダルスの手元にはお茶のポットがある。彼の手と比べると随分小さなポットだ。
見たことのないそれに、お茶パックがすでに二つ放り込まれている。
「いい香りだね」
「裏通りのばあちゃんが、作ってるやつだからな。安く譲ってくれて助かった」
「ダルスは顔が広いからうらやましいよ」
「まあ、騎士団の頃から顔は広いからな。街中の掃除とかしてると勝手に知り合いが増えるんだ」
ダルスは「へへ」っと笑い、乱暴に鼻をかいた。口調は荒いが、彼は心の根の優しい人間だ。あと、ひねくれ者。
「ん? ダルス……そういえば一人かい?」
「おう? 一人だぞ? 誰か探してんのか?」
「シンは? それと僕の客が二人いたはずなんだけど。あれ? エリーナもいない」
「シンと客? 知らんぞ。俺が戻った時にはいなかった。エリーナは置手紙があった。これだ」
ダルスが四つ折りの手紙をさし出す。
中を広げると達筆な文字で、
――お買い物に出てきます。エリーナ。
と書かれている。
僕はぼりぼりと頭をかいた。
これは心配するべきだろうか。シンに任せるとは言ったものの、彼はまじめすぎるのだ。エリーナにそばについていて欲しいと、はっきり伝えるべきだったかもしれない。彼女がいれば、たまに暴走するシンのブレーキになるのだが。
「リーン、茶が入った」
「ん、ありがと」
「別に礼を言われるほどのことはねえよ。ついでだ、ついで」
カップが温められていた。注がれた緑色のお茶の表面にわずかな波紋が生じて香りが立ち上った。採りたてのような青々しい香り。
口をつけると清涼味がのど奥を降りていった。
うん、おいしい。
「久しぶりの茶はどうだ?」
「おいしいよ。残り物のパックって聞いてたけど、新茶みたいな味だ」
「まだ詰めたてのパックかもな……これは運が良かった」
ダルスはそう言ってぐいっとお茶をあおった。飲み方はまるでビールの一気飲みだが、飲み終えたあとの顔は幸せそうだ。
彼もお茶が好きなのだろう。
「温まったか?」
「おかげさまで」
「なら、ついてきてくれ」
「ん?」
ダルスはくいっとあごで地下を示した。
地下室には訓練場がある。
「お前がいない間に、北ギルドに入りたいってやつらが来たんだ」
***
明るい廊下を通って階段を降りる。地下にはエレベーターが通っていない。ダルスの足跡を聞きながら、つきあたった両開きの扉の部屋に出る。
扉はすでに開け放たれていて、岩や砂を入れた訓練場がお出迎えだ。
地下二階をぶち抜きで作られた部屋は、驚くほど広い。
年に数回のランク試験を一同に介してできるように特別にこしらえたものだ。南や東で行われる試験では、これでも入りきらないほどだと聞く。
「待たせたな」
Tシャツ姿のダルスはポケットに手を入れて、部屋の中央にずかずかと進む。そこには、異国風の衣装を身にまとった男たち三人が厳しい表情で佇んでいる。
どこかで見た顔だ。
腰に佩いた反りのある剣。一見動きづらそうに見えるが、足の動きを隠すための衣服。
王都では目立つ三人組。
思い出した。先週、北ギルドにやってきて、珍しく「御ギルドに所属したい」と話していた人間たちだ。
どこで噂を聞きつけたのか、「四つのエリアで唯一、少数精鋭を貫いているのが気に入った」というのが理由だった。
単に悪評が立って人が集まらないだけだが、勘違いする人間はどこにでもいる。
そして、彼らは書類審査で落ちた。というより、僕が落とした。
ダルスが書類を作成し、『見た目で不合格』という内容に北ギルド長の印を押したのだ。
「どうして彼らがここに?」
「俺が通した。どうして落ちたか納得できないんだと」
「そうなんだ……」
三人組の一人がすり足で一歩前に出た。
だらんと両腕を垂らした姿勢は隙だらけに見えるが、それぞれがC級程度だろうとダルスは言っていた。
キンググリズリーが三匹いると思うと、そこそこ威圧感がある。
「我々は納得していない」
「そういうことだ」
「ギルドの恣意的な判断に歪められてたまるものか」
三人は敵意に満ちた視線を無遠慮に飛ばす。
よほど腹に据えかねているらしい。
仮にここで合格を出したところで、険悪な雰囲気は避けられないと思うのだが、そこまでは考えないのだろうか。
「まあ、腕に自信があるやつなら、ぴらぴらの紙一枚じゃ納得いかないかもな」
「納得いかないどころではない」
「そうかそうか。よーくわかった。所属前の戦闘は禁止だが……いいだろ? リーン」
ダルスがいたずらっぽい視線を僕に送る。彼の方が頭半分高いので、自然と僕が小さく見える。
いいもなにも、その話を聞いてここまで連れてきたくせに。
そんな恨み言を心の中でつぶやきつつ、僕は肩をすくめた。
「ダルスのやりたいようにやればいい。受付の責任者は君だ。任せるよ」
「よっし! さすがリーン」
「ダメだって言っても止まらないだろ?」
「おうよ。さっき茶を飲んだからな」
「……お茶は関係ないって」
ダルスがポケットから両腕を抜いた。三人組の中のリーダー格が不機嫌そうな顔で距離を詰めた。身長は僕と同じくらいか。
残った二人の男もダルスの余裕ある表情を警戒しているように見える。
「最初に言ったとおり武器は自由」
「望むところだ」
「よし。じゃあ――――リーン、頼むぜ」
「…………はっ?」
え? ダルスは何と言った?
僕? 僕は関係ないだろ?
三人組もなぜこっちを見つめる?
「こいつらは北ギルド最強の男を相手に実力を見せたいらしい。場は温めた――茶のカップと同じようにな」
俺、うまいこと言ったな――みたいな感じで満足そうに笑うのはやめてくれ。
ダルスはニヒルに口端を上げて、また戻ってきた。
僕の肩にぽんと手が乗った。
「見せてやってくれ。お前の――『くぅりてぃかる』ってやつを。度肝抜いてやれ」
そんな気遣いいらないって。
それに……クリティカルの発音違うから。
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