第15話 怒れる別種

 低い身長、小さい体。そして――重い蹴り。

 マニューの真骨頂はその速度にある。ハヅヤや周囲の職員すら、父親譲りのパワーだと勘違いしているが、彼女は類まれな頑丈さと速度を持って、敵を破壊するのだ。

 特殊な金属で作られた、マニュー専用の赤銅色の小さな鎧が、ぎしっと音を立てた。助走は無かったが、確実にかかとを当てた一撃。


「固いっ!」


 ひらりと飛び退いたマニューは戦慄する。よく知ったキンググリズリーならば、今の一撃で昏倒してもおかしくなかった。

 怒れるクマは、血気盛んに吠える。

 早々に後ろに下がったハヅヤをにらみつけ、荒い鼻息を吐きながらも、その頭部は無傷だ。

 蹴りを防いだのはグリズリーではなかった。

 首に巻き付いた黒い靄、リデッドだ。素早くほどけてマフラーのように広がったリデッドが、間一髪でマニューの蹴りの行く手を阻んだ。

 しゅるしゅると音を立てながら、また太い首に戻っていく様子を見ると、大してダメージがなかったと分かる。

 物理攻撃に耐性のあるタイプか。けど、動きは止まった。

 マニューは冷静に判断し、片手を上げた。


「斉射」


 機会を待っていた職員が一斉に小銃のトリガーを引いた。一瞬の銃身の発光と細長い高音。嵐のような魔弾が次々とキンググリズリーに放たれる。

 が、モンスターはひるまなかった。

 鬱陶しそうに身をよじり、歯をむき出しにして唸ると、四足歩行でのしのしと歩き始める。狙いは当然――リーンに似た、ハヅヤだ。


「効かないか……全員、顔面に集中」


 顔と四肢を持つ以上、弱点は変わらない。モンスターとて例外ではないはずだ。

 輝く魔弾がマニューの言葉に応じて次々と顔にヒットする。ゴーストタイプのリデッドは反応しないが、キンググリズリーの視界は魔弾の光で明滅しているはずだ。


「よしっ」


 マニューが素早くサイドに回り込む。グリズリーのがら空きの横っ腹に向けて、二度目の蹴りを放つ。


「またっ!?」


 ぴくりとも動かなかったリデッドがほどけた。またも間一髪で体毛と蹴り足の間に滑り込んだ黒い靄が、攻撃の勢いを殺す。


「こいつ……見えてるのね」


 リデッドは蹴りを見切る目はもちろん、キンググリズリーに致命傷となる攻撃だけを警戒している。

 面倒な相手、とマニューが嘆息したその時だ。

 視界を奪われることを嫌がったのか、キンググリズリーが膝を曲げた。跳躍の準備。

 マニューが反射的に叫ぶ。


「攻撃停止! ハヅヤ、こっちに走って!」


 言い終えると同時に、巨体が空に跳ねた。体重の割にとんでもない跳躍力だ。キンググリズリーが跳ねるなど聞いたことがないが、崖を上がってくる様子を見ていたため、可能性は頭に入れていた。

 マニューの意図を察したハヅヤが、跳んだグリズリーの真下に滑り込む。

 これで、目標とする男は後ろに回った。グリズリーが着地し、怪訝そうに首を回した。

 いたはずの男がいない――そう言わんばかりに。


「こっちよ」


 マニューの声で巨体が振り向いた。

 憎き敵はそこに移動している。ギルド職員の輪の中に再び進み入るグリズリー。


「斉射」


 再び魔弾が降り注がれる。

 威力は弱いと言っても、魔力の塊だ。モンスターが頑丈とは言っても限界はあるはず。C級程度なら、とっくに倒れてもおかしくない銃弾の嵐の中――キンググリズリーは戦意豊富にのしのし歩き続ける。


「嫌になるほど頑丈ですね。直接やった方が早いかもしれません」


 マニューの側にいた職員が『小銃』を扱いながらぼそりと言う。

 中距離より近接。

 彼女も考え始めていたことだ。『小銃』はどうしても一発一発に込められる魔力が少ない。大口径の銃でもない限り、このキンググリズリーにダメージは入らないだろう。

 となると、西ギルドが得意とする接近戦の方が効果的かもしれない。

 ただ、問題はリデッドだ。

 モンスターに憑依するリデッドは珍しい。マニューは話に聞いているだけで、戦ったことはない。

 憑りついたモンスターの戦闘能力を引き出し、限界まで酷使する。時間が経てば憑りつかれたモンスターは反動で半死半生となる。

 知っているのはそれくらいだ。

 敵の能力を知らずに接近戦を挑むのはリスクが伴う。マニューが一番恐れているのは、ここにいる誰かが憑りつかれたりしないか、ということだ。

 マニューを含め、ここには通常のキンググリズリーを単独で倒せる人間が数人いる。

 間違って彼らが憑りつかれて、桁外れにパワーアップしてしまった場合、西ギルドどころか王都にすら危険が及ぶ可能性がある。


「あっ、副官、あいつ変身しますよ」

「え?」


 魔弾を受け続けていたキンググリズリーの顔を、リデッドが完全に覆った。仮面のように変化していくそれは、禍々しい角を何本も生やし始め、いくつもの暗い瞳を浮かび上がらせた。

 キンググリズリーの頭部が完全に乗っ取られた証拠であった。


「気持ち悪い」

「副官、あれ……パワー上がってません?」


 途端、落雷が落ちたような怒声が響いた。

 変体したキンググリズリーが見紛うばかりの速度で、最も近くで『小銃』を構えていた職員を殴り飛ばしたのだ。

 誰もが呆気に取られるほどの速度だ。


「大丈夫!?」


 木々の間を縫って吹き飛ばされた職員が、上半身を起こして片手を上げた。

 相当驚いたようで顔が強張っているものの、重症ではなさそうだ。

 西ギルドの職員の鎧は特別な合金でできている。エリア内の数少ない『宮殿』の奥で取れる金属に、他国から買い取った金属を混ぜて作成する。

 その硬度は変体したキンググリズリーの爪でも切り裂けない。

 高値で売れる鎧で西ギルドの売りでもあったが、最近はとあるヘリテージが生み出す強化服が広がっていて鎧の人気が落ちている。


「早めに決着をつけた方が良いのでは?」

「言われなくてもわかってるから」


 他人事のように言うハヅヤのわきばらをマニューが小突いた。

 C級指定のキンググリズリーが西ギルドの職員、それもマニューと共にいる者を退けた。これは危険度が格段に上昇したことを示している。


「仕留める」


 小さな少女の声が真剣みを帯びた。

 この状況では中距離で魔弾を撃つことは魔力の浪費にしかならない。

 マニューは籠手を外した。鎧があると直接魔力を打ちこむときに邪魔になる。完全な戦闘態勢ではないものの、何とかなるだろう。


「続きなさい」


 マニューが先陣をきった。続けて鞘走る音がいくつも続き、西ギルド全体が群れのようにモンスターに襲いかかる。

 キンググリズリーが低いうなり声を響かせる。

 頭部のいくつもの目が、不気味な赤色を帯びた。いまにも飛び出さんとする瞳が輝き――


「散って!」


 マニューは背筋に走った怖気を信じて、声を張り上げた。

 その勘は外れていなかった。目の前で光る一つ目から何かが発射された。とてつもない発光に目がくらむ。咄嗟に両腕で顔を隠した。

 それも正解だった。

 巨木でぶん殴られたような衝撃が、後頭部を突き抜けて吹き飛んだ。

 ――頭は守れ。

 父親のガンダリアンの教えが生きた。

 目の前がちかちかと明滅する。けれど、体勢を崩しながらなんとか受け身を取った。


「くっ――」


 思わず歯がみする。

 キンググリズリーが使った技はまるで――


「魔弾だと!?」


 同じように難を逃れた職員が驚愕する。あろうことか、リデッドに完全に憑依された敵は、頭部のいくつもの目から魔弾を放ったのだ。

 この短時間で、『小銃』と似た機構を頭に作ったのだ。それは、すでに元の生き物の原型を残していないことを意味する。

 見た目はキンググリズリーでも、頭部は完全に作り替えられたと考えて良い。


「リ……リーン……コロ……ス……」


 執念だろうか。怨恨だろうか。

 聞き取りづらい声は、標的のリーンを未だ探している。けれど、もう形にすぎない。

 マニューはそう悟った。

 モンスターの言葉は、断末魔にすぎない。

 目の前にいるのはリデッドだ。


「まだ私をリーン殿と勘違いしているのでしょうか?」

「さあね。そうだったら、戦いやすいけど……たぶん違う」


 皮肉っぽく言ったマニューの目の前で、頭部が膨らんだ。体と見紛うほどの大きさだ。

 頭部の目がさらに増えた。

 右も左も、ここにいる全員を忌々しいとばかりに睨んでいる。

 目が輝いた。マニューが飛び退く。ハヅヤが尻尾をまくって逃走し、職員も跳び下がった。

 そして、一拍遅れて光の奔流が走る――


「全員避けろ!」


 マニューは宙で舞いながら指示を出す。彼女のバランス感覚は秀逸だ。幼いころからガンダリアンに鍛えられた少女は、無茶な体制であろうと敵の攻撃を避けることができる。

 しかし、無数の魔弾はそうはいかない。職員の中には回避が苦手な者もいる。

 一発目よりも強力だ。

 上半身に飛来した魔弾は身をよじって避けた。だが、足にかすった。

 よりにもよって露出した太ももだ。熱線が当たったかのような火傷ができた。


「運が悪い。リーンのバカ、ちゃんと始末しといてよ」


 ここにいない男の顔を思い浮かべて毒を吐いた。

 くるりと宙で宙返りし、森の中へ着地。大丈夫だ。まだ戦える。


「ほんと……リデッド絡みって最悪」


 マニューの目の前は散々な状況だった。

 開けていた森は一段と広がり、キンググリズリーの周囲の地面は無数に抉れている。

 すばやく視線を巡らす。

 職員は何とか生き延びたようだ。二人がかりで障壁を作った者もいる。不意打ちとはいえ二度目だったのが幸いしたようだ。初見なら一人二人は危なかっただろう。


「もう橋どころじゃなくなるけど、やっちゃうか」

「……是非お願いします」


 マニューが背後から聞こえた声に不満そうに鼻を鳴らした。

 いつの間にか、ハヅヤが戻ってきていた。顔面蒼白である。


「あなたどこにいたわけ?」

「どこにって、全力で離れて戻ってきただけですが」

「……やっぱり全然違う」

「……は? 何の話ですか?」

「何でもいい。鎧を脱ぐから、さっさと離れて」

「おおっ! では、早めにお願いします」


 ハヅヤは捨て台詞のように言い残して、駆け出した。振り返ることはない。

 あまりの潔さに、マニューが苦々しさを感じつつも笑みをこぼす。


「まあ、別に嫌いってわけじゃないんだけどね」


 小声で言い、足を進める。キンググリズリーは動いていない。膨れ上がった頭部は見る影もないほど縮んでいる。

 リデッドに操られていると言っても、その宿主の魔力は無限ではない。

 あれだけの魔弾を放てば、回復に時間がかかるだろう。


「今のうちに――え?」


 ぐるんと首を回した。

 南からものすごい気配が近づいてくる。

 巨大な魔力の塊、暴力の化身。このよく知る感覚は――


「まあぁぁぁぁにゅうぅぅぅぅーーー!」


 雷鳴の如き轟音。味方すら震えあがる戦場に響く大音声。

 森が悲鳴をあげ、木々が次々と舞いあがって跳ぶ。その者の行く手を阻むことなど不可能に等しい。

 西ギルド最強の男――『巨人(タイタン)』ガンダリアン=ヘクトールであった。


「パ……パパ……」


 マニューの頭にけたたましい警報音が鳴った。非常にまずいことになった。

 自分の今の姿を確認し、冷や汗が流れた。

 ガンダリアンが、まるで見えているように直線軌道から逸れてやってきた。

 ゴンゴンと、おおよそ放ってはいけない木を殴り倒すような音を鳴り響かせながら、汗びっしょりの『巨人』が姿を見せた。


「おおっ、無事だったか、マニュー。お父さんは心配したんだぞ。出かける前には必ず場所を伝えるように言ってるだろ?」

「う、うん……ごめんなさい」

「いいんだ、いいんだ。マニューが無事なら」


 そう言ったガンダリアンの視線が、頭の上から足元まで降りていった。

 マニューが顔色を失い、真っ青になる。

 とある場所で、ガンダリアンの視線が止まり、巨大な体がひざまづいた。とてつもない圧迫感だ。


「……マニュー? まさか……まさか太ももにケガをしたのか?」

「違うの、パパ! みんながんばって誰も悪くないのです! ちょっと敵が暴れたですから、これからやっつけようってしてた時…………かすったのです」

「かすった!? そうか……言葉遣いがおかしくなるほど危険な目に」


 ガンダリアンが微笑みとともに立ち上がった。

 違うのだ。大きな勘違いだ。おかしな言葉遣いは敵のせいじゃない。緊張感でつい使ってしまっただけだ。

 けれど、マニューは何も言えずに見送るしかなかった。説明すればするほど、怒りに火をつけるだけだとわかっているからだ。

 ガンダリアンがくるりと背を向けた。視線の先には回復中のキンググリズリーとリデッド。

 仇を見るようなするどい視線だ。


「お前かぁぁぁーーー!」


 鼓膜をつんざくような咆哮だった。

 マニューが「違うから!」と叫んで耳を押さえた。

 まったく耳に入らないガンダリアンが一歩、また一歩と歩き出す。


「『巨人(タイタン)』起動。右腕(ライトアーム)」


 怒り心頭の男の右腕に、金色の光の粒子が集まった。素早く形どられた歪なほど大きな腕は、『巨人』と名付けられた鎧型ヘリテージだ。

 パーソナルデータとリンクするヘリテージは、本人しか扱えないうえ、呼び出しも自由というレア物だ。

 ガンダリアンの二つ名の由来である。


「くぅぅたばれえぇぇぃっ!」


 たっぷり助走をつけた『巨人』が、腕を大きく後ろに引く。

 マニューの視界の端であわてふためく職員たちが一目散に逃げていく。

 『右腕』しか呼んでいないので理性は少し残っているはずだ。でも怖いものは怖いのだ。キンググリズリーなどとは比較にならないほど恐ろしいだろう。

 そう同情したマニューは――

 何もかもを破壊する『巨人』の一振りを、白け切った気持ちで眺めていた。


「……橋も地面もめちゃくちゃじゃん」


 その場は跡形もなくなっていた。マニューが自然を傷めないよう手加減しながら調整していたというのに。

 ――リデッドは魔力で潰す。やつらは魔力の塊がしゃべるようなもんだからな。

 いつも聞かされる言葉を思い出しつつ、マニューは目から輝きを失った。


「どうだマニュー! パパの力は!?」

「うん……すごいねー」


 マニューはこの光景を見る度に、母が出て行った理由を薄々悟るのだった。

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